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追悼 おせいさん

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おせいさんこと、田辺聖子さんが亡くなられた。91才でした。

最近、天寿を全うして亡くなられる著名な方たちは、想えば、閑人の若いころ、青春時代といってもいい時分の前後から活躍され、耳目を集めた人たちが多い。京マチ子、杉葉子、兼高かおる、梅原猛、堺屋太一、小池一夫、ドナルド・キーン、、ああ、ドリス・デイもなつかしい。

とりわけ田辺聖子さんの死には深い感慨をおぼえます。閑人が社会人になり立てのころ、大阪から若い女性が芥川賞を取ってデビューしたのには驚いたものです。それが田辺聖子さんでした。さっそく受賞作の『感傷旅行 センチメンタル・ジャーニィ―』を読み、その経歴を知って、いっそう驚きました。

田辺聖子さんの生家は、閑人が通った小学校のすぐ近くで、中学校への通学路になると、毎日その前を通っていたからです。福島西通りを起点に港の方へ行く市電が走るあたりは、空襲を受けたところと、そうでないところは混在していました。あのころでも中学校の教室の壁は焼夷弾が貫通して大きな穴が開いたまま、隣の教室とツーカーだった。

その田辺聖子さんが生活のため事務員として働いていた金物問屋のあるところも、だいたい見当がつくあたりでした。いまなら御堂筋の梅田新道交差点そばの駅前第三ビルが建っているあたりです。当時は、まだ闇市の跡が再開発されていなかった。

閑人の当時の気持ちを思い起こせば、売れっ子の石原慎太郎、大江健三郎らとは全然ちがって、田辺聖子さんを地元が生んだヒロインみたいなに憧れたものです。

後年、社会部時代に何かの社会問題だったか、中身を忘れてしまったが、その問題の記事につけるコメントを求めて、自宅に電話したら、女性の秘書が出て、「時事問題なんかのコメントはお断りしているんですよ」をかわされた。そういえば、新聞紙上のコメントにいちいち付き合っていたら、仕事にならなかっただろう。

おせいさんの軽妙洒脱、人情の機微、男女についての達観など、大阪弁独特の語り口を生かした作品をよくよみましたが、なかでも週刊文春に十数年にわたって連載した「女の長風呂」シリーズは、おもしろかった。

おせいさんは、スヌーピーのぬいぐるみが好きで、宝塚の熱心なフアン。ご自身もヒラヒラががたくさんついた乙女チックなドレスを好んで着ていました。そういう興味深い愉快な個性となんでこんな世情のワケ知り、人間観察がすばらしいのと結びつくのか、いつも感嘆しながら愛読したものです。

いまごろ、”カモカのおっちゃん”と一杯やっていることでしょう。


(写真はGoogle画像検索から引用しました)

動物園で想う

久しぶりに動物園に行きました。

その昔の万博のころ、サツ回りのかたわら半年間、動物園を守備範囲に担当しました。たいがい夕刊の締め切り後くらいに園内をぶらぶら散策して、動物たちの様子を観察し、見物人たち、飼育員たちの話を聞いたものです。いろんな守備範囲を持ちましたが、息抜きができる、楽しい場所でした。

動物にまつわる記事は、殺伐な社会面にホッとするような話題を提供しますので、けっこう読まれます。それなりに、いい話題を拾って書いたものですが、それはさておき、今の動物園は園域が広く、緑が豊かになり 、多くの展示にも一工夫がみられました。

鳥好きの閑人には鳥が自由に飛び交う大きなゲージが気に入りましたが、子どもたちの目線に立つと、肝心の目玉がいません。パンダもゾウもいないのです。これでは大阪の子どもたちは寂しいね、可哀そうだね、少しばかり同情しました。

それで想い出したのは、あの維新の創業者、ハシモトが2008年、知事選に初当選したときの公約が、「子供が笑う大阪」づくりだったことです。

あれから十余年、府、市ともに首長は維新系ですが、「子供が笑う大阪」どころか、國際児童図書館を閉鎖したり、つまらぬ教育改革を重ねて、学力テストの結果向上に向けて子どもと教職員をいじめぬいています。

市長在任中のハシモトが動物園に関わった発言では、「市外の子どもの面倒までタダで見れぬ」と市外の小学生の入園料の徴収を求める姑息なものがありました。公立の動物園は、社会教育施設なので、本来は無料が原則であることさえ無視したバカ発言でした。

維新は、創業者の大言壮語を慕う、口先だけの大道芸人とか、山師のような人物たちの受け皿政党になり果てていて、子どもが笑顔をみせるパンダやゾウの導入などは念頭にはないのでしょう。

ただ、見方を変えれば、維新による子どもの環境向上についての「有言不実行」が、結果として野生動物の保護に寄与したかもしれません。

なぜなら、パンダやゾウなどの希少動物はワシントン条約(絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)の運用が厳しく、国際取引がむずかしいので、新たな誘致が困難な状況にあるからです。

なにより動物園の使命として種の保存(繁殖)を支えることが大切になってきましたので、その備えがない大阪はノーチャンス。生きたパンダを見る機会は白浜や上野にまかせ、また生きたゾウを見るには、この二つの施設のほか、京都や神戸王子などに出かけて見ることです。

都市間の豊かさの格差というのは、こういうところにもにじみでるもので、行政制度を変えたところで、心がこもった長期的な視野を欠くと意味はないのです。

「ーーー願っていません」

「背後」を「せご」、「云々」を「でんでん」と読むアベの国語力は「中学生以下」とみるブログがネット上で散見されますが、これでは中学生がかわいそう。いまどきの中学生はもっと読解力があります。

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大手のマスコミは、あえて知らんぷりをしてますが、先月末の「退位礼正殿の儀」でアベは国民を代表して、常識のなさをまたまた暴露していました。(*0)

本来なら、「天皇皇后両陛下には末永くお健やかであらせられます事を願って已みません」と読み上げるあいさつを「あらせられます事を願って(已)いません」と読んでしまった。

畏れ多くも(!)、やんごとない人の面前で、まったく意味反対の誤読をしたわけ。おそらく、アベは「己」には「終わる」という意味があり、文脈からいって、「願ってやみません」と読むのが、ニッポンの常識だと言うことを知らなかったらしい。

だいたい、「願っていません」というような文言が、こういうあいさつで、出てくるわけがありません。読めなくとも、とっさに流れに沿う知恵がありません。また、こういう大事な場面で読む文面について、事前に目を通していなかったことを露見しています。アベはいかんなくニッポンの非常識を代表しています。

しかも、アベあいさつを動画でアップする首相官邸のホームページでは、このくだりが削除され、またあいさつ全文の文章も「やみません」と平仮名表示して、アベの失態をカバーしています。これは、公文書の隠蔽、改竄を平気で行うアベ政権の腐敗に通じる作為です。

アベは、己や巳という紛らわしい漢字の読み方について中学生以下の教養しかないようです。

【已】はイ。          ①すでに②やむ(おわる)③のみ(だけ)
【己】はコ、キ。       ①おのれ②つちのと。
【巳】はシ。          み(へび)

子どものころに、こんな覚え方をしたことがないのだろうか。 ないのだろうな。

み(巳)は、うえに、おのれ(己)つちのと(己)したにつき、
すでに(已)やむ(已)のみ(已)、半(なか)ばなりけり。

今回のアベの失態には、日本の代表的な民族主義的団体、「一水会」が「官邸HPから映像削除したこと。潔く字を間違えたこと認め不見識を謝罪せよ」というようなコメントを発表、安倍首相に謝罪をするように求めています。(*1)

アベや日本会議が目指す戦前の皇国史観による国家主義の時代であれば、今回のアベの誤読は、不敬罪を問われるし、政治的失脚につながってもおかしくない失態といえましょう。戦後、民主主義のおかげで助かった皮肉をアベはわかっているのかな。

一人前の社会人としても資質を疑われるようなアベを支える「日本会議」の連中は、こんなアベに愛想づかししないのが、不思議でならない。世論調査でいまもなお、3、40%の内閣支持率があるのが、不思議でならない。バカを選ぶのは、有権者自身のバカさ加減を問われていることに気づいてほしいものです。

アベの出た成蹊大学の名誉教授、法学者の加藤節さんは必修科目に一度も出席しないのに卒業した、アベのことを、「裏口入学という言葉は知っていたが、裏口卒業と言うのは知らなかった」と述懐しています。(*2)

マスコミは、アベはいつでも、どこでも役人の原稿を読むのに、フリガナをつけてもらっているという裏の顔を伝える努力をまったくおろそかにしているから、こんなアベの長期政権がのさばっているのです。



(写真はGOOGLE画像画像検索から引用)

*0 https://www.youtube.com/watch?v=Ck4DDSNo5FI
    7分すぎに録画あり

*1 https://news.nifty.com/article/domestic/government/12136-267721/
  「退位礼正殿の儀」での安倍首相発言に右翼団体・一水会が激怒


*2 http://endress.hatenablog.com/entry/2018/10/19/054847
    人生 喜怒哀楽
    悲喜交々 伝えよう すべてを

三度目の腸閉塞

永らくの休載、失礼しました。お休みをしていた事情は、以下の通りでございます。


サクラの季節を丸々、入院暮らしをしました。
七十代後半から、ほぼ二年おきに三度目の腸閉塞(*1)が起きて、激痛に泣かされました。

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これまで二度は、内科的処置と経鼻からのイレウス菅(腸閉塞菅)を小腸に留置し、詰まった不消化物などを吸引するかたわら、点滴で栄養補給を行い、約10日間で完治していました。

今回は、イレウス菅の挿入後に、再発リスクを防ぐために手術をしてみるという外科医師の説明にほだされまして、まずは全身麻酔のうえ腹腔鏡下でテレビカメラを見ながらの手術、場合によっては、開腹手術という二段構えでやることになりました。

はじめの説明では、患者の負担が少なくて済む腹腔鏡下でやれそうな話でしたが、実際には腹部の二か所に小さな穴をあけた跡が残りましたが、すぐに開腹手術に切り替えたらしく、ヘソから真下10センチほどに手術痕が残りました。

腸閉塞になぜなるか。諸説ありますが、有力なのは、過去に開腹手術をしたときに、腸内に癒着やねじれを残したのではないか、というものです。データでは5割ー8割方がそうであるらしい。

そこで閑人の経験ですが、約40年まえ、盲腸炎を起こしたが勤務中だったので、相当我慢したあげく、緊急入院したことがあります。我慢しすぎて腹膜炎を併発するところでした。あれから、ウン十年もたってからの、ここ数年になって、そんなときの後遺症的な腸閉塞につながるものかどうか。なんとも不思議な話です。

で、開腹手術の結果、若干の癒着が小腸にあり、その部分をはがしたとのことでしたが、その癒着とかつての盲腸炎手術との関連性については、わからなかったと医師はいいます。つまり、結果的には、今後の再発リスクをゼロにする治療には至らなかったというわけ、、、なんだかなあ、、、。

術後、雑菌が入ったらしく、40度近い高熱が出るわ、お腹の膨満感は縮小しないわ、どこかで炎症をおこしているわ、血圧が最高205まで跳ね上がったり、最高77まで急降下したり、痛み止めや抗生剤の点滴も動員するなど、エライ目に遭いました。過去二度の入院約10日間をとっくに過ぎても、体調は治まらず、ずっとビタミンやブドウ糖が詰まったビーフリードの栄養点滴のお世話になりっぱなし。

お腹の痛みや張りが続き、なかなか、三分粥、五分粥、全粥と続く回復コースにのれず、結局、25日間もの入院暮らし。余生、幾ばくもないのに、如月の春を幽閉生活。つくづく、心身参りました。体重でいえば、4キロもやせました。トイレ通いのほかは、歩く機会もないので、山で鍛えた足の筋肉はすっかり衰えてしまいました。まさかのよちよち歩きです。寝たきりは、ほんと怖いですネー。

まあ、「説明と同意」にサインしていますので、医師を恨むつもりはありませんが、こんなことなら開腹手術なんかやるんじゃあ―なかったな、と言う顛末でした。もうこりごり、というのが正直な気持ちですが、もういっぺん、大阪市を廃止する構想の住民投票をやりたいなどとわめく維新の連中らとは、この点でも、体質が違うみたいやなあ。


(イラストはGOOGLE画像検索から引用)

*1、腸閉塞とは
   https://www.onaka-kenko.com/various-illnesses/digestive-organs/digestive-organs_03.html

サヨナラ維新コンビ

大阪市長選挙も始まりました。大阪維新のコンビが「壊れた中古品交換選挙」とされる知事選と市長選に出馬して、ウソばっかり言っています。

マツイは知事・市長候補者討論会で「(都構想が実現しても)大阪市はなくならない。この町並みや土地がなくなるわけがない」と話して、元部下だった元副知事のコニシから「詭弁だ、地方公共団体としての大阪市が無くなるのだ」と、一蹴されています。知性の差がくっきり。

同じようにヨシムラもナンバ駅前の演説会で、「このナンバ駅前がなくなるわけがない」と強調しています。これもまた、虚言です。

「大阪市廃止」というのは、有権者にショックが大きいので、はぐらかしているとすれば、悪辣です。あるいは、こういえば、有権者にはわからないだろうとバカ扱いしているのなら、なお一層を汚いやり口です。

維新の連中は、かつて演技性人格障害(*0)と医師から認定されたことがあるハシモトの無責任な目立ちたがり、虚言癖の影響をうけているせいか、平気で公衆の面前でウソをつきます。まあ。アベ、トランプも顔を赤らめるでしょう。

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維新のスローガンは「身を切る改革」。しかし、身を切られているのは、おもに公務員、教員です。これら税金扶持の人々を不当にやっつけることで、閉塞感のある一般人の歓心を買う手口。とはいえ、自らの身を切る例はない。マツイが知事時代、退職金を返上すると大見得をきりましたが、実際はこうです。

                                               平成27 年9 月1 日
 大阪府知事松井 一郎 様
                                           大阪府特別職報酬等審議会会長 池田 辰夫
             特別職の報酬及び給料の額等について(答申及び意見具申)
(引用者・前略)
知事の給料の額については、上記の考え方に加え、後述のとおり、退職手当を廃止することに伴い、現行の退職手当の一任期(4年)分の額(12,576,000 円)を1ヵ月相当に割戻し、給料の額に復元することとする。
(引用者・後略)

(*2)

どうですか。退職金の名目だけ外し、毎月の給与に積み増ししています。ですから、盆暮れのボナース額は増えて、総額では退職金を上回る勘定です。なにが身を切る改革ですか。

かつて、無能なノックやキヨシを当選させた”懐が深い”大阪の有権者ですが、今回は笑ってないで、本気でこの二人を落として、本来の大阪の姿を取り戻しましょう。

対抗馬のコニシとヤナギモトには、自公のほか国民が推薦し、立憲や共産が自主支援する構図が生まれています。

閑人は国政与党としての自公をぜんぜん評価しませんが、今回の大阪ダブル選挙においては、「反維新」としては、やむをえず支持します。まずは維新勢力を一掃したあとで、この反維新結集グループの総括をすればよいでしょう。

なんといっても、大阪市内で育ち、大阪市内の文化と歴史とともに成長し、職を得た身ですから、どこよりも愛着があります。

その「大阪市」が地図上からも消滅し、財政能力がなくなった、わけのわからん特別区に分割されるのは、我慢がならない構想です。カジノや万博のようなハコものイヴェントではなく、まっとうな街づくりを一歩一歩築ずいてゆく好機です。みんなでコニシ、ヤナギモトを応援しましょう。



*0 最高裁もみとめていますが、以下でも概要がわかります。
   http://hiroponkun.hatenablog.com/entry/2016/06/14/221111
  橋下徹が「演技性人格障害」と指摘した記事に公共性ありとの判決

  https://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/71f4f5417a17b150adf0ed036df14da8
  橋下徹前大阪市長が新潮に最高裁でまた敗訴、確定。「自己顕示欲型精神病質者」 「演技性人格障害」記事をめぐって。


  *1 https://twitter.com/ourosaka
   {都構想うんざり}から引用

  *2 http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/4840/00190309/62-toushinnoyobiikengushin.pdf
特別職の報酬及び給与の額等について

維新入れ替えダブル選挙

昔は、あんまり下品で,汚らわしい事柄を書くのは、筆が汚れる、といいましたが、いま風なら、パソコンのキーボードが汚れるというのがあたりかもしれない。それくらい、大阪維新のゴリ押し選挙は見るに堪えない。民主主義の根幹である選挙制度を弄ぶ不逞の輩の仕業です。

マツイとヨシムラという大阪府知事、市長が首長を入れ代わり、「大阪都構想」出直し看板で”新装開店”するというのが、今回の維新主導の抜き打ち選挙。任期途中の投げ出しは創業者ハシモトいらいのお家芸。一度、住民投票で否決されて、この構想にケリがついているのに、性懲りもなく、ずっと引きずっています。

維新は、売り出し当時、目立ちたがりで奇策をわめき、大衆を熱狂させましたが、あれから何年たっても、一過性のフィーヴァーから覚醒することなく、壊れたレコードのように同じことを繰り返しています。国政にあっては、アベの別働隊、大阪にあっては大阪市廃止論議だけで何もしない不毛の勢力です。

維新がいう「大阪都構想」は、有権者を目くらましするキャッチコピーにすぎないのに、マスコミはずっとこのコピーを報道に採用していますから、おかしい。あたかも住民投票が賛成多数となれば、「大阪都」が実現するかのように錯覚を与えています。大阪が「都」と名乗れる法令の支えは一切ありません。

実態は、「現行の大阪市を廃止して、四つの特別区に編成しなおして、大阪府下の一部とする案」です。なぜこんなバカげた事をするかと言うと、維新の主な言い分は、府と市が二重行政となり、ムダなコストと非効率がある、財政力豊かな大阪市と一体になり、財政基盤を強化したい、特別区の首長は公選、教育と福祉を重点施策とし、行政の基幹部分は府が掌握する、と言うことに尽きます。

有権者は、この二重行政の解消という口当たりのいいキャッチに迷わされがちですが、バブル期のように企業経営まで乗り出した行政はすっかり影をひそめていて、いまは問題ない。府と市の両方に大学や図書館や医療施設がある、選択の余地が多い方が、一般市民にとってはありがたいのです。

ふつうに考えれば、行政の制度をいじっただけで地域経済が向上するわけがない。そんなことで経済活動が豊かになるなら、全国各地の政令都市は全部、府県と合併すればいい。どこも同調しないのは、維新の言い分がマトを得たものでないことの証左でもあります。

多くの経済や都市政策の専門家の結論では、大阪市廃止構想を実行しても、財政効果は見込めないどころか、システム変更の初期費用が膨大となって、採算があわないから、やめとけ、というのが主流です。

この際だから、二人一緒に落として、大阪市廃止構想を打ち切り、ゴキブリ勢力を壊滅させる好機としたい。それにしても、昨年来から、こうした事態の可能性が予想されたのに、国政野党から、打倒維新の候補者が名乗り出ないのは、どうしたことか。

いちばん不利な態勢は,公党のメンツにかけることにとらわれて、名ばかり候補者をたてて、票を割ること。漁夫の利をマツイヨシムラに与えないために、「打倒維新、”都構想”サヨナラ」で一致できる「対決候補」で一本化することです。

ブログ一時休載

身辺にワケありのため、長くブログの書き込みを休んでいました。

一月以上、新たな記載がないと、ヘンな広告が入るらしく、それを解消するために、この短文を投稿しています。

気力が回復し、落ち着きましたら、またブログを再開したいと考えています。

その節はよろしくお願いいたします。

ジュリエット・ビノシュ

年末年始、フランスの女優、ジュリエット・ビノシュの映画(DVD版)ばかり見て過ごしました。美人で知的なうえ、比類のない演技派。ヨーロッパ映画界を代表するビッグ・ネームです。いまさらながら、チャーミングな笑顔に引き込まれるような時間を堪能しました。

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実は、昨今、やむ得ない事情があって、引きこもり状態というか、自ら禁足状態に。なんだもんで寝正月の友には何がいいかな。今どきのTVに見るべきものはなく、後期高齢者の目には、電波のムダ使い。唯一の救いは、スポーツの中継くらいだが、長い夜はもたない。

なので、かねてまとめて見たいと思っていた、ジュリエット・ビノシュの映画をレンタルショップから借りてきました。製作順に並べると、

1986 汚れた血
1988 存在の耐えられない軽さ
1991  ポンヌフの恋人
1992  嵐が丘
1993  トリコロール/青の愛         
1996 イングリッシュ・ペイシェント     
1999  年下のひと

「存在~」や「イングリッシュ~}は以前にも見た事がありますが、この際だから、再見。レンタル・ショップにあったのは、どういうわけか2000年以降の作品は、ジョニー・デップと共演した「ショコラ」だけ。「隠された記憶」や「おやすみなさいが言いたくて」なんかもいい映画でしたが、レンタルショップの棚から消えていました。

レンタルショップの棚は限られているし、そこに張ってある年間人気ベストランキングなんて、ほとんどディズ二―ものかアニメもの、つまり「お子様向き」なので、なかなか昔の名作、傑作といった作品に出合わない、、これは余談。

さて、ジュリエットがまだ20代前半の売り出しのころの作品「汚れた血」は、当時はやったフイルム・ノワール色が濃い青春映画です。ジュリエットは犯罪グループのボスの愛人という役柄で、短い髪、透き通るような白いボディ、大きな瞳と口角が上向きに跳ねる、なんとも言えない可愛らしさを見せつけます。

飛行機からパラシュートで飛び降りたり、むやみに全力疾走する場面で軽快なフィジカル能力を見せるし、前髪を息で吹き上げる仕草など天性の愛らしさを随所に見せます。「ローマの休日」で登場したヘップバーンみたいにチャーミング。すでに大スターを予感させます。

見た順でいえば、ジュリエットの役柄は、写真家志望の田舎娘、失明寸前の画学生、エミリ・ブロンテ作の悲劇の英国貴族の娘、自動車事故で夫子を一瞬に失った妻、前線の看護師、男装の女流作家のジョルジュサンド役といた具合に非常に幅広く、出演作も英米仏独、南米と多岐にわたっています。国際的な大女優です。

「嵐が丘」がちょっとストーリーを追いかけすぎて、ジュリエットの持前の魅力が出せてなかったほかは、どれも見ごたえのあるいい作品でした。なかでも、物語がハッピーエンドに終わるようなのは少ない。女性の人生の光と影をしみじみ、深い嘆息をついて考えると言った作品が多い。ジュリエットが作品を選ぶさいの人生観の表れかもしれません。

昨年は奈良の吉野を舞台に河瀨直美監督で「Vision」に出演、日本映画にも進出して来ました。まだみてませんが、どんな出来具合か楽しみです。もっとも河瀨監督の映画は「あん」を除くと、大変難解なので、なんでまたジュリエットが出演を決意したのか、わかりません。50代後半に入るジュリエットが、これからもいい作品をで活躍してほしいものです。


(写真はGOOGLE画像検索から引用)

IWC脱退の愚

行きつけのジムで,顔見知り男二人に聴いてみた。
「今年,クジラ、食べましたか」
「いや、食うてへん」
「おれも、もう長いこと、食うてへんなあ」

かくいう閑人も食うてへん。特に食いたいとも思わへん。わずか三人に過ぎないけれど、クジラ食うてへんのは、いまではごく普通の家庭の食事風景のようで、特別珍しくも、変わったことでもないようです。

クジラ食いとうてたまらん、クジラ食いにどこそこ行ってきたわ、クジラがないと、おかずづくりに困るねん、、、、なんて会話は死語同然になっています。

そうなんです。鯨食が全国的に盛んになったのは、敗戦後の食糧難をカバーするための便法で捕鯨が勧められた結果です。世の中が落ち着くと、クジラは次第に家庭の食卓から学校給食へ移り、豊かな時代とともに給食からも姿を消しました。鯨食は、いまでは尾の身やさえずりなどを賞味する好き者の珍味扱いです。

この国では、古来から一部の漁港周辺で沿岸捕鯨が行われきた歴史がありますが、冷凍冷蔵技術もない往時での鯨食というのは、限られた地域の消費にすぎず、捕鯨が大きな産業という組織的なかたちになるのは、戦後のこと。一部の保守派が「古来からの伝統の食文化だ」とこだわるほどのものではない。

その程度の”食文化”の伝統を復活させる、、、などという理屈で、アベ政権は、この國際捕鯨委員会から脱退を声明、来年7月ごろから商業捕鯨を解禁すると言います。国会論議もなく、世論をさぐる観測気球をあげることもなく、またもや一気に閣議決定です。集団的自衛権の行使容認や原発輸出と同じように、閣議決定です。アベの独断専行は目に余ります。

いままで調査捕鯨という名目で実質、商業捕鯨をやっていたのです。水産庁の天下り機関、日本鯨類研究所が主体で、調査とは言え、年間約1000頭近い捕鯨を行い、その”副産物”という名目で鯨肉を販売、天下り役人たちの食い扶持に充てられていたのが現状。国際的には「調査」というのは隠れ蓑だと認識されています。

この解禁政策の推進者は沿岸捕鯨地を選挙区にかかえる自民幹事長,ニカイとされています。ニカイは「よその国の食文化をどうのこうのと言わないように、日本の食文化をとやかくいわれたくない」というような趣旨の発言をしています。選挙地盤への己の威信誇示に官邸と官僚が忖度してみせた。というのが裏の事情とみられ、国際感覚に欠けた愚かな理由です。

國際捕鯨委員会は、そもそもワシントン条約(絶滅の恐れのある野生の種の国際取引に関する条約)のクジラ版みたいなもので、有限であるクジラ資源の管理、保護、利用などが目的の国際機関。

食文化について、バカがバカな常套句をよく言います。「欧米人は牛肉食べながら、なんでクジラ食べるのを文句いうねん」。

これは保護されるべき有限の野生動物と家畜の区別がついていない妄言です。クジラを食べることを制限せざるを得ないのは、人知はいまだクジラを合理的、計画的の「養殖する技術」、すなわち家畜化する術を持ち合わせていないからです。

牛や豚や鶏を食べることになんの問題もないようになったのは、「家畜」として繁殖、保存が自在になった食糧だからです。いまウナギやマグロなどいろんな魚類が養殖が可能になり、資源枯渇問題の解決とを競うようになっています。

クジラが家畜化される時代になれば、ニカイにも腹いっぱい食べてもらいましょうか。

今回の脱退は、サンマやマグロの資源配分などには国際協調を求める一方、私利私欲で永年の条約を足蹴にする手前勝手な国家であることを世界に知らしめました。そっちの国際感覚の欠如の方が大きな痛手です。

だいたい、最初に小さな例示しましたように、今の世にクジラ食いたい需要が、大ありとは思えませんね。いまさら、竜田揚げでもあるまいし。


血が通わぬ「改正入管法」

政府と経済界はおおっぴらに「安くて使い捨て」できる外国人の働き手を雇える道を開きました。
低賃金、半ば奴隷的労働者を、都合よくこきつかい、いつでも国外追放できる「新しい在留資格」をつくったわけです。

「改正入管法」は、アベ政権の常習化した手段、強行採決で可決され、来春4月から運用されますが、中身は法律外の「省令」で順次補っていく、という小手先の変更をしたスカスカ法です。

日本政府の外国人受け入れ施策は、ずっと消極的です。アベは「移民政策」ではないといい募っています。アベのアタマのなかには、かつてナカソネが日本は「単一民族国家」と発言して国際的にヒンシュクを買った”故事”の教訓が身についていないらしく、外国人との共生や融和の理念に基づいた改正案ではありません。

戦前復古をめざす日本会議に担がれるアベは、外国人の定住は「大和民族の純化を汚すもの」というような、神がかりの観念をもっているのだろう。難民受け入れについても先進国では突出した少数国であることは、その証左です。

政府・経済界はもっぱら労働力の需給関係に限り改正の必要性を議論していますが、処遇されるのは生身の人間、とりわけ働き盛りの肉体労働者の男女です。他国に出稼ぎして働かざるを得ないかれらの人権について、議論されることがないのは、おかしい。

「新しい在留資格」」というのは、とんでもない非人道的な資格です。まず、「特定技能1号」は、男女ともに家族の帯同を認められない。在留5年でお払い箱です。

その長期間にわたり、外国人労働者はひたすら独り身で、マジメに働き、恋もせず、禁欲であり続けなければなりません。刺激の強い日本で、いい大人の男女が、ロボットのように冷たく、修行僧のように無表情に暮らす、、、ことが前提条件の資格です。

家族が帯同してくることが認められる「特定技能2号」在留者も、滞在期限の5年で満期。以後更新は可能で定住の余地があるとされますが、その認定の方法などはあきらかになっていません。

おそらく受け入れ総人員数では使い勝手がいい1号が圧倒的に多く見込まれます。2号の先に定住を認める道を認めることは、つまり移民同様になり、政府はこれを忌避するのにきまっています。

どのように好意的に新しい在留資格をみても、これでは外国人の生活環境の安定や人権が保障される見込みがありません。実は、「外国人は煮て食おうが、焼いて食おうが、日本政府の自由」と記述した元法務官僚の暴言が、暴言とされず、今なお、日本政府の対外国人施策に脈々と流れているのです。(*1)

さらに今回の改正が在留資格である点についても、この問題の指導的判例として、最高裁判断が背景にあるものと考えられます。在留期間の更新を申しでたアメリカ人に対し、最高裁は「外国人の基本的人権は日本国憲法にあるように保障されるものの、在留の権利ないしは在留の更新する権利は憲法の枠外であって、法務大臣の裁量に任されている」との趣旨で却下しています。(*2)

つまり、日本国内にいる外国人を、どう扱おうが、それは法務省の自由といいうことです。こんどの1号、2号にしろ、不景気になったり、ちょっとした軽微の不品行だったり、過剰人員になったと判断されれば、あっさり国外追放できるわけです。

少子高齢化。生産労働人口の減少に悲鳴をあげる経済界の要請にこたえるかたちで、移民受け入れとか、外国人労働者受け入れとかの抜本的は立法化ではなく、入管法の小手先の変更ということにして、背に腹を代えられぬ事態を乗り切ろうとしています。

技能実習生のなかには、パスポートを取り上げられりして拘束されたり,時給300円、月200時間の超勤など、外国人労働者を食い物にするニュースが絶えない。

今回の受け入れ業種は、いまのところ14種。建設、農水産業、介護、車整備、、、いずれも「きつい、きたない、危険」で3Kと呼ばれた業種です。日本人の成り手がなぜ、少ないかという観点を放置し、こうした業種に受け入れを限定するならば、外国人労働者の人生設計から外されてゆくのではないか。

「外国人労働者」を「外国人材」」と見え透いた美名に変えて、新たな呼び込みを始めても、このような非人道的な運用が可能なことが明るみにでてくると、外国人労働者が日本を目指さなくなることが予想されます。



*1 多文化・多民族・多国籍社会で「人として」
    http://ukiuki.way-nifty.com/hr/2007/12/post_448b.html

*2 マクリーン事件
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6



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