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続くぬかるみ アベ3選

自民の派閥、タケシタ派が、次期総裁選ではアベか、イシバか、あるいはノダか、だれを選ぶか、すったもんだの末、自主投票と相成りました。泥船内の嵐です。

実際には、初めは派閥重鎮のお声がかりでイシバ支持で行こうとしましたが、衆院議員にアベの顔をうかがう者が多くてまとまらなかったので、やむなくというものらしい。これでは総裁選後、同派はお家騒動が避けられないだろう。

イシバは名うての国防オタクです。改憲論者で、9条についても2項を削除、新たに国防軍への転換を主張しています。護憲の立場からは、とうてい容認できない人物です。

だが、少なくとも政策遂行に民主的な手順を尊重する、民意を重視する姿勢はアベとは違うようです。当たり前の政治をすすめる度量はもっていそう。この点では、アベよりはるかに良識の人であるようだ。

総裁選は、一般国民には投票権がありません。自民の国会議員と地方党員のみで行われます。自民党員というのは、全国で100万人ちょっと。国民の1%にも足りません。

自民党は絶対得票率では全有権者の17%(前回衆院選比例の結果)にすぎない支持なのに、全議席の60%以上を獲得しています。選挙制度のゆがみが利しています。

その歪みに加えて、党員だけで総裁総理を選び、それが一億国民全体に影響を与えるのですから、議員内閣制というのは、現実の運用では問題が多い仕組みです。多数派が。いわゆる政権タライ回しできる所以です。

もはや「戦後最悪の総理」という評価が定着しているアベについて、無知無能さ加減をあげつらうことは山ほどありますが、もはや、いちいち書き連ねるのは、酷暑にどてらを着て鍋焼きウドンを食するような苦行です。愛想もくそも尽き果てています。

とはいえ、ネット上には、こちらの苦々しい思いにぴったし、憤懣を代弁してくれるようなアベ批判の落書があふれています。

力作、労作の作者にはなんの面識もありませんが、おそらくは、ネット上での拡散希望の意図が大ありだと勝手に解釈させてもらい、以下に引用、紹介させていただきました。ご容赦ください。

溜飲が下がる暑気払いにもいいでしょう。

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高校野球も五輪も気象に勝てない。

老体にことのほかこたえる、この猛暑。
老体でないものも、悲鳴をあげています。

やはり、この暑さは、ことしだけ特別に異常なのではなくて、地球温暖化の影響にちがいない。
だとすると、トランプみたいな温暖化否定論者が大手を振っている限り、来夏は涼しくなるという保証はない。
地球はもう後退は望めないかもしれない。

暑さにめげて、エアコンの効いた居間でTVの高校野球予選を観ながら、考えました。気象条件の変化に合わせて、夏の甲子園大会は改革しなければならない。

でなければ、選手や応援団から暑さによる犠牲者がでる可能性が高いと思います。健康管理を度外視すれば、死者や病者が出るおそれが大であります。

主催の新聞社と高野連は、緊急対策を取らなければならない。地方大会ではイニングの間に補水時間を設けたり、ベンチ内にエアコンを設置したりと、とりあえずの弥縫策をとっているようですが、炎天下のグラウンドや観客席はほったらかしです。

根本的な対策としては、
一、勝ち抜くために5.6試合もやる予選を前年の秋にする
一、その先にある夏の甲子園をやめて春に一本化する

これが一案。

一、春をやめて、予選を初夏にする
一、甲子園をドーム化する

これが二案。

一、甲子園にこだわらず、会場をエアコンがきく京セラなどドーム球場に変える
一、それでも聖地と美化する甲子園の名にこだわるのなら、例えば、京セラドームの名前を甲子園に変更すればよい。

これが三案。

昔は頭から水をかぶってがんばった。カチわりを頬張って応援した。こんなスポ根物語は、とうに問題外だが、そう思っていない野球関係者が多い。今,、大切なことは野外でやる野球を天災地変並みの気象条件に見合うスポーツにすることです。

ついでに言えば、2020年酷暑の候の五輪開催について。わざわざこの国の一番熱い時期に開く事情というのは、よく知られた不都合な真実で、実はアメリカのTV局の都合といいます。巨額の放映権料を払ったテレビ局にIOCはおさえこまれているわけ。

秋にはアメリカの人気スポーツ、アメフットやバスケのシーズンと被るからだそうだ。ちなみにメーン種目の決勝を朝早くに行うのは、アメリカの夜のゴールデンタイムに合わしてとのこと。

ここにも選手の健康管理や都合は一顧だにされていない。閑人は五輪はもう役目をおわった。やらなくてもいいと、かねてから考えています。

五輪は、もはや商業主義の横暴は目に余る事態にまで悪化しています。世界の優れたアスリートたちは、商業主義という手のひらで踊らされる気の毒なショー道具にすぎません。

こうした五輪のゆがみにそれぞれの競技連盟が、たいした不満不平をこぼさないのは、もはや競技運営が利権化しているからだろうと思わせます。



後味悪い後始末

災害は忘れたころ,、どころか、忘れぬうちにやってきます。人災は忘れられたころに後始末が明るみになります。その後始末も、遅すぎる、軽すぎるとあって、勝手気ままな公権力の行使のため苦しんだり、痛みを覚えたり、悔しい思いをした人たちにとって、まことに理不尽な話です。

野村修也弁護士。よくテレビでコメンテイターとして、知ったかぶりをしゃべっていますので、知る人ぞ知るですが、数年前、大阪市職員、または、そうであった人たち、労働者の権利を守ることに関わっていた人たちにとっては、唾棄すべき不適切なアンケ調査を引き受けた責任弁護士です。

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{2012年2月、思想調査アンケートを受け渡しする橋下徹市長と野村修也弁護士(当時・大阪府市統合特別顧問)}

この野村弁護士に対して、二弁(第二東京弁護士会)は業務停止一か月の懲戒処分をしました。(*1)野村弁護士は2012年ころ、当時の大阪市長、ハシモトの要請に基づき市特別顧問を務め、あろうことか、ハシモトの意向に沿って全市職員3万人を対象に組合活動や選挙運動への関与を尋ねるアンケート思想調査を実施しました。

アンケ項目には明らかに職員の団結権、プライバシー権、政治活動の自由の侵害など、憲法や労働組合法に違反する内容が記載されていた。市職員の猛反発に対しハシモトは、わざわざ、これは任意ではなく「回答しない場合は処分対象になり得る」と職務命令を出して強制しました。

この調査について野村弁護士に多くの懲戒請求が寄せられていましたが、ようやく二弁は質問項目や実施方法を考慮すると、憲法の保障する団結権(28条)やプライバシー権(13条)、基本的人権を侵害する内容だったと認定、、弁護士の「品位を失うべき非行」にあたると結論づけた。

一方、このアンケ調査では中労委が不当労働行為とみなしたし、組合側が提訴した損害賠償訴訟は、すでに大阪高裁(2015年)で違憲性があると判決、市側は上告せず、いずれもハシモトが敗れています。今回の野村弁護士の懲戒処分で、やっと両弁護士のやったことの後始末が一応の決着を見たわけです。

あのころ、ハシモトは公務員いじめがポピュリズムに合うと計算したのか、職員の入れ墨調査をやったり、職場での喫煙者を懲戒処分したり、人格・プライバシ―攻撃を盛んに行い、またそれに快哉を叫び、付和雷同する支持者が大勢いました。いわゆる維新信者たちです。あのいじめを受けた人のなかには、職場で処分を受けたり、退職した人もいた記憶があります。

アンケ調査については、ちょっと冷静に考えれば、明らかにやりすぎ、不適切だと思えるものでした。こんな思想の自由を侵す違憲性が強いアンケを、弁護士でもあるハシモトが依頼し、さらに野村弁護士は依頼人の利益のためならビジネスと割り切って違法な質問項目の作成などを請け負うのか。なんでもありの弁護士稼業との印象を受けたものです。

 なお、報道によると、野村弁護士は、日本弁護士連合会に不服申し立てを行う意向を示しているそうです。この顕示欲の強そうな特例弁護士は、世間では処分は軽すぎるとみているという空気も読めないらしい。もう一方の旗振り役で、弁護士稼業に戻った男は、この件について「コメントはない」とのこと。

いっときの熱狂の果てのクレイジーな権力行使が、いかにむなしいことか。ぜんぜんやる必要性がなかった。いまにして、そう思うことが多い世の中です。


(写真はGOOGLE画像検索から引用)


*1 2018年7月18日 読売新聞電子版
   https://www.yomiuri.co.jp/national/20180718-OYT1T50011.html?from=ytop_main7
    元大阪市特別顧問、野村修也弁護士を業務停止

 



 

裏口入学

文科省局長が教育支援事業に指名、補助金を出す見返りにバカムスコを医科大に不正入学させた事件が明るみに出ました。

このムスコ、一次試験から点数をカサ上げしてもらっていた。そういう風評もありますから、よほどのバカムスコだったのだろう。しかも、あのアべの出身高校卒だというから、この先輩にして、この後輩ありってこと!なんとなく、さもありなんかとを納得します。

事件はまことにわかりやすい。権力の片棒をかつぐモンが、わが子さえよしとして職権乱用した構図です。あのモリ・カケも根は同じ。モリの方は復古思想信条に共鳴して、カケの方は”腹心の友”優遇のため、アベが権力乱用した疑惑の案件です。

この局長親子は裏口入学のかげで見知らぬ、正当な誰かが不合格に泣いたことには思いが至らない。モリ・カケ案件にも見られる権力の驕りと利己心こそ、諸悪の根源でしょう。

この手の話、ああ、またか。そんな既視感があります。いまも昔も医師は、職業ヒエラルキーのトップグループ。ヤブ医と陰口叩かれても、それなりに世間さまの信頼をうけられるは、ゼニ儲けはできるは,、、、いわば押しも押されぬ社会の”勝ち組”とみなされている職業です。

成れるものなら、なりたい、ならせたい。不正を承知で、わが子のために画策した”親バカ”が露見した一幕です。今春から「道徳」を学校教科に格上げした矢先のことだけに、悪い冗談です。

この一事をしても、道徳や倫理というのは、政治や行政が音頭取って、どうなるもんでもない。なにしろ言いだし兵衛の方が身についていないことをいみじく立証してみせました。

それで思い出しました。昭和40年代、私大医学部(医科大学)が各地で新設ラッシュとなりました。”勝ち組”になるための裏口入学に必要な金額までひそかに流布したことがあります。当時、私大の理系学生から、突然、出来立ての医科大に転学した開業医の跡継ぎを知っています。なにかウラがありそうな気がしたものです。

昭和45年ごろ、浪速医科大学疑惑というのもありました。当時の堺市長が収賄で逮捕されました。設立準備側は、実際に校舎を一棟建ててみせて、医科大創設をうたい、多額の資金詐取をしたことが発覚したので、認可は頓挫しましたが、出資者の多くは開業医でありました。当時、へんぴなところに建てた校舎での家宅捜索を取材したことがありました。

昭和46年の昔、大阪大学と大阪市立大の医学部に大量の不正入学者がもぐりこんだことが発覚して、世間を騒がせた。その事件を追って、ほとんど不眠不休で大学当局はじめ親バカや、そのバカ息子、バカ娘を取材したことがあります。

街中の路上に放置された高級外車内で見つかった他殺体が、その事件の発端です。本筋の殺人事件捜査が進むにつれて、容疑者たちが女や不動産などに派手な金づかいをしていることが浮上、その元を追及した結果、意外なことにひそかに入手した入学試験問題をあっせんして儲けたことが分かり、事件は大学不正入試事件に様相を変えて、大変な騒ぎになりました。

長くなりますので、端折りますが、本筋の容疑者たちは刑務所仲間。、出所後のカネ儲けに所内で印刷している入試問題に目をつけて持ち出し、それを医学部進学希望の子弟を持つ親たちに高く売りつけていた。おおぜいのバカムスコ、ムスメたちをホテルの一室に集め、事前講習会まで開いていました。

その結果、,阪大11人,市大7人が合格していた。容疑者たちは、全体としては30数人の客を集め、一人当たり700万円~1000万円で売り付けていた。事前講習会を受けても落ちた方が多いのは、滑稽なことですが、なかには医学部をあきらめ、法学部に入学していたムスコもいました。

客になったのは、後継ぎがほしい開業医が多かった。また、教育委員長ら学校長や教員も多かった。余談ながら、今回の局長もそうですが、取材を通じて教育関係者の不正という場面を多く見る機会がありました。信頼で成り立つ表の顔が職業だけに、この裏の振る舞いに慨嘆することが多々ありました。

さて、不正入学したバカ息子の一人は「カネの世の中、カネがあるもんがトクして何が悪い」と。この親にしてこの子あり、でした。また中国地方の開業医は「1500万円払った。家業を継がせかった」と肩を落としていました。

阪大の教授も「あの年度の学生のなかには、ちょっと基礎学力が足りないものが多いなと教授会でも話題になったことがあったんですが、まさか、まさか、、」。それでも、あの年は大学紛争のあおりで東大入試が中止になった。そのまたあおりで、入試戦線が大混乱したので、そのせいかと見過ごされていたのです。

世間をうまく立ち回るには、ゼニと権力と思いこんでいる連中は、この先も絶えることない。バカ息子、バカ娘のためなら、他人を足蹴りしてでも、いい席を与えてやりたいという親バカも後を絶たない。

いくら制度をいじっても、文明の利器が発達しても、人間の業は変わらないもんだ。長く生きて、そんな感想しか出てこないのは、残念至極だが、そう思わせるような事態が多すぎます。

ルール

その一、 日本サッカーのW杯が終わりました。決勝Tに進出できたのは、オマケのせいだと思っていますから、まあ、当然の成り行きでしょう。

オマケというのは、こうです。予選の第3戦で劣勢にあるのに、攻撃をやめて、延々とボ―ル回しをして時間稼ぎをしました。別のところで戦っているセネガルが負ければ、日本に”勝ち”が転がり込む。日本とセネガルは勝点、得点、得失点で引き分けとなっていました。

当然、セネガルの戦い方へなんの影響力をもたないのに、負けるだろうという予想をアテに遅延行為というサボタージュしたわけです。これは博打みたいなもので、たまたま博打についていたから進出できたのですから、オマケだと思っています。

西野監督の指示です。従った選手に責任はありません。今大会から採用された”フェアプレーポイント”(警告数が少ない方が優勢)ルールを西野監督は着目したのでしょうが、こんな消極的な戦法でもってしても、妥当なルールの範囲とする方が驚きです。

このルールは、きれいなゲームを奨励する目的で策定されたのでしょうが、西野監督は、自己決定を捨てて、勝ち負けを博打に預けたのです。他のスポーツ競技には例をみない、お粗末なルールといっていいでしょう。攻めない柔道選手、シュートしないバスケやハンドボール選手。打率を落とさないために打席に立たないバッター、、、ありえないルールは即刻改めるべきでしょう。

その二、5月末の「党首討論」。入れ替わり立ち代わり出る4野党の質問にまともに答えないアベ。その逃げ回る貧相なアベの醜態だけがクローズアップされていました。なぜアベが答弁にもならない、牛のよだれのような、スピーチをするかといえば、時間稼ぎのためだからです。そうすれば、ルール上、逃げ切れるからです。

党首討論は、もともとは国家基本政策について与党と野党第一党の党首が、政権交代があり得る政治状況を想定して、質疑をかわすことを企図して発足したもの。二者による討論なので、時間も45分と決められていますが、いまのように野党が4党にもなってしまうと、各党の討論時間は、ほんの細切れの持ち時間しかありません。

この時間制限の枠というルールをアベが悪用しています。つまり、正面からの議論から逃げて、もっぱら時間をムダに消費しようとしているのです。

そんなアベの不誠実な態度について、こうした党首討論のありようでは歴史的な役割は終わったとエダノ立憲代表が慨嘆しました。今回は、アベはそれを口実に歴史的役割は終わったとして党首討論そのものをやめようとしています。要するにアベは、つつかれると、わんさかボロがでるから、討論なんかやりたくないのです。こんなルールは即刻、実効あるものに改めるべきです。

平和の詩 「生きる」

爽やか、すばらしく、心打たれましたね。
沖縄全戦没者追悼式。中3少女の「生きる」という自作の詩の朗読。

近年ずっと何を言っても、何が発覚しても、世界の情勢が動いても、ウソ、ごまかし、はぐらかし、、、腐臭ふんぷん、不誠実なアベ政権。うんざりするような脱力感に陥るなか、泥池に咲くハスの花を見るような清らかな朗唱でした。

沖縄をこころから愛し、過去の悲惨な歴史を乗り越えて、平和な未来を希求する気持ちがほとばしっています。耳を傾けながら、前後9回訪れたことがある沖縄の海と空、平和の礎、辺野古の工事現場、延々と続く普天間基地などの風景を思い出していました。

まだ幼さが残る小柄な相良倫子さんは、祖母から聞き及んでいた沖縄戦の記憶をもとに、多くの無辜の人々が亡くなり、美しい海と大地が壊された事実を訴えました。7分半の長さを思わせない優れた内容でした。

来賓席。抗がん剤治療の副作用か脱毛した頭に帽子をかぶった翁長知事が厳しい表情で前を向いていました。すぐそばに沖縄の衣装、かりゆしふうの黒い服に身をつつんだアベが座ってました。せんだっての大阪地震の被災者を見舞ったときは、もっともらしい青い作業服姿でした。

TPOなんてという気の利いたものではありません。その場かぎりの服装が物語るように、アベは、直近の問題に全力をあげるふり、見舞うふり、悼むふりをしています。国民の好感度を得るための着ぐるみたいなものです。

アベのやることなすことは、すべてより良き指導者の「ふり」であって、本性では地震の被災地のことも沖縄のことも「わたしは、どうでもいい」(トランプの妻、メラニアが先日、移民の親から引き離された子ども収容所を見舞った際にきていたジャケットの背中の文字、I  REALLY DON'T CARE, DO U?、、、、、、、、)のでしょう。

そうなければ、あれほどは諸事万端に口先だけの言葉で、責任を取らず、言い逃れたり、開き直ったりする不誠実な立ち居振る舞いができるはずがない。トランプのポチであることだけが政治生命の延命になると信じているような愚かな人物です。

相良倫子さんのまっすぐな詩がきわだって意味深い。大切であることが分かります。全文を引用させてもらいます。

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私は、生きている。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ
心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
草の匂いを鼻孔に感じ、
遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。  

私は今、生きている。

私の生きるこの島は、
何と美しい島だろう。
青く輝く海、
岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、
山羊の嘶き、
小川のせせらぎ、
畑に続く小道、
萌え出づる山の緑、
優しい三線の響き、
照りつける太陽の光。

私はなんと美しい島に、
生まれ育ったのだろう。
ありったけの私の感覚器で、感受性で、
島を感じる。心がじわりと熱くなる。

私はこの瞬間を、生きている。

この瞬間の素晴らしさが
この瞬間の愛おしさが
今と言う安らぎとなり
私の中に広がりゆく。
たまらなく込み上げるこの気持ちを
どう表現しよう。
大切な今よ
かけがえのない今よ

私の生きる、この今よ。
 
七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

みんな、生きていたのだ。
私と何も変わらない、
懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。
疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。
仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。

それなのに。
壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。
無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。
 
摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。
悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。
私は手を強く握り、誓う。
奪われた命に想いを馳せて、
心から、誓う。

私が生きている限り、
こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。
もう二度と過去を未来にしないこと。
全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。
生きる事、命を大切にできることを、
誰からも侵されない世界を創ること。
平和を創造する努力を、厭わないことを。

あなたも、感じるだろう。
この島の美しさを。
あなたも、知っているだろう。
この島の悲しみを。
そして、あなたも、
私と同じこの瞬間(とき)を
一緒に生きているのだ。
今を一緒に、生きているのだ。
だから、きっとわかるはずなんだ。
戦争の無意味さを。本当の平和を。
頭じゃなくて、その心で。
戦力という愚かな力を持つことで、
得られる平和など、本当は無いことを。
平和とは、あたり前に生きること。
その命を精一杯輝かせて生きることだということを。  

私は、今を生きている。
みんなと一緒に。
そして、これからも生きていく。
一日一日を大切に。
平和を想って。平和を祈って。
なぜなら、未来は、
この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。

大好きな、私の島。
誇り高き、みんなの島。
そして、この島に生きる、すべての命。
私と共に今を生きる、私の友。私の家族。
これからも、共に生きてゆこう。
この青に囲まれた美しい故郷から。
真の平和を発進しよう。
一人一人が立ち上がって、
みんなで未来を歩んでいこう。

摩文仁の丘の風に吹かれ、
私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。

(*1)

(写真はGOOGLE画像検索から引用)

*1 6月24日 毎日新聞電子版

初めての顔合わせ

"老いぼれ"と”ちびのロケットマン”による初めてのご対面劇 in シンガポール。
鳴り物入りの前評判に比べると、中身はいまいち。
肉なしのサンドイッチ、あるいは、薄味のアメリカンコーヒーといった印象。

でも、幕間の感想とすれば、(まあ皮肉をこめて)、よかった、よかった、としましょう。なぜなら、ご両人が会って、握手を繰り返している限りは、小競り合いも衝突も当面、回避できるからです。政治ショーであれ、なんであれ、お芝居を演じている間は、戦争にはならない。ご両人の効用は、それがいちばん。

ご両人は、これから先、ずっとなんにもしなくていいから、機嫌よく握手をして、ハーゲンダッツのアイスクリームをなめ続けてほしいものです。そうすることで、世界に波風が立たなくて済みます。

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もともと、どっちも信頼できない、嫌われものの指導者同士。お互いアタマに血が上って、チャンバラごっこに走れば、北東アジアどころか、地球に破滅的な悲劇を招くきます。こんな悪役同士のメンツの張り合いに巻き込まれると大変なことになります。

あの合意文書についても、あいまいな約束事を書き連ねただけで、具体性に乏しい。北が約束したとされる「朝鮮半島の非核化への道」についても、こんなことが可能かどうか。いちばん肝心な検証可能な方法や期限については触れていません。ザル約束です。

金委員長は先刻承知のはず。あのリビアのカダフィ大佐、イラクのフセイン大統領。ともにアメリカの圧力に屈して、核開発から手を引いたあと、抹殺されてしまった。金委員長は、しっかりこうした故事を踏まえているにちがいありません。

ですから、なにをなんと言われようとも、乏しい国富を出し切って、核抑止力を昨年末に達成させた。その余裕でもって、韓国とアメリカの誘いにのってきてます。今度の狙いは「核抑止力による相互平和」の見返りに体制保証と経済支援を引き出すことでしょう。

合意文書には「北朝鮮の非核化」とは言っていません。「朝鮮半島の非核化」です。このことは、北ばかりでなく、在韓米軍をも縛ります。3、2000人も駐留する在韓米軍が核兵器を所有しているのは間違いないでしょう。少なくとも戦術核(普通、射程500キロメートル未満の核兵器)は保有して、北とその背後にいる露中に対峙しているはずです。

非核三原則を国是とした日本。その国内でさえ米軍は核を持っていたのですから、韓国でも当然持っていると推測されます。朝鮮半島の非核化というなら、北は当然、米軍にも約束の履行を迫ることになるわけです。

非核化について「段階別、同時行動の原則」という文言が文書にあります。こっちもカードを切るから、そっちも同じカードを切れという意味だと解されます。そんなことをアメリカは受け入れられるだろうか。

当初、指摘されたCVID(完全かつ検証可能で、不可逆的な非核化)について合意文書に記載がないのは、この点だけを見ても、分かります。厳重に条件を付ければつけるほど、アメリカ側も首を絞めるので、記載がむずかしくなるのは当然と思えます。

日本人の拉致問題については、トランプは金委員長に伝えておいたと言う感じ。アベがうるさく言ってくるので、ガキの使いを買ってやった。あとは当事者同士で話し合え。そういった語り口でした。

トランプは人権問題なんか、なんの関心もないのです。就任いらい黒人射殺事件へのコメントやらメキシコ国境の塀づくりとか、海外移民の受け入れ制限など、彼のやったことを見ればわかります。

ただ、アベが手柄顔でトランプに頼んだと、なんどもしゃべったことは、結果的に「拉致問題は最重要課題」と言ってきたにもかかわらず、アベが、なんにもしていないことが、はしなくもバレたことを意味した話でした。

アベにとっては拉致問題というのは、北の脅威について国民感情をあおる政治利用にすぎない。昨年の総選挙まえの「国難」と同然です。すでにそういう指摘は被害者家族からも公然と批判されています。

在任5年、内閣の最重要課題だと口走りながら、北とまともに話ができる窓口一つ作っていないのです。こういう口先ばかりで、しかも平気でウソを重ねる、頼りない指導者を金委員長どころか、トランプも見透かしていると思われます。

朝鮮半島に冷戦構造の遺物、分断国家がある遠因に大日本帝国の誤った国策があったことを認めようとしないアベでは、拉致問題の進展はのぞめない。トランプが右(首脳会談開催)だといえば右を支持し、一転、左(中止)だといえば左を支持、二転、やっぱり上(開催)といえば、上だと右往左往のアベを世界は冷笑しています。

(表はGOOGLE画像検索から引用)

フラストレーション

巷に欲求不満と不機嫌があふれています。みんさん、便秘か頭痛もちみたいに見えます。
なにかといえば、例のアベ夫妻案件である「森友学園」についての、「お上」のホコの収め方です。

一つは地検の捜査。もう一つは財務省の責任の取り方。双方とも、いわば真相に迫らぬ幕引き。だれもが、納得できない顛末について、国民はいらだち、怒っているのです。心底そう思います。

大阪地検特捜部は告発された6つの容疑について、なんと関係者38人をいずれも「容疑なし」、「容疑不十分」と認定しました。地検は容疑の構成要件をひねくり回して、できる限り狭く厳しく解釈して立件を見送った。公務員によるあれだけの不正について、いずれも法令の趣旨を枉げていないとしたわけです。

検察は、ふつうなら狙った事案とあれば、多少の拡大解釈をしてでも、起訴に持ち込むのが常道なのに、今回は告発をうけていやいや捜査したようで、財務省への家宅捜索さえ行わない腰の引けたやり方。逃げ道をわざわざ広げてやったように見えます。

この案件の表徴、「忖度」ということばが、地検の捜査にも及んだとしかおもえません。やはり、検察には政権側にたつ「国策捜査」への配慮が脈々と流れているのだと思わせられます。特別な使命をもって編成された特捜部の看板は、いまや名ばかりです。

この国の司法は制度的には三権分立といっても、事実上は行政府の官僚にすぎない。裁判官も検察官の法務省の役人。検事が起訴すれば99%以上の事案が有罪となる実情。ですから、検察は裁判所の仕事も兼ねているようなもの。今回のは裁判所のシロクロ判断を仰ぐこともなく、38人を「無実」としたわけです。

民主国家の根幹を揺るがす国会での虚偽、文書改竄、廃棄、隠蔽の数々、国有地の不当払下げ、、、、何もかも、みんなそろって、罪にならないのですって。あらゆる法令を駆使してでも立件すべ巨悪の事案なのに、、、、、呆れてものがいえない。

これほど悪しき前例ができると、全国の公務員諸氏は、こんご自由自在に安心して、公文書の虚偽、改竄文書を作成できるようになるのではないか。こんごは、「公文書には、ご注意」あるいは「信用できないことの代名詞」という世の中になりそうです。

地検の判断について、さっそく、東京と大阪から検察審査会での審査要求が出されたが、当然の流れとはいえ、審査資料を提出するのは地検側だから、どうなることやら、この国の法と正義は生きているかどうか。特捜部の主戦派(いるとすればですが)が、検察審査会の起訴判断をひそかに待つ、という構図を期待しますが、ムリか。

財務省の処分について。あの虚言官僚、サガワが停職3カ月。退職金から天引きするだけ。5千万円弱の退職金からたった3か月の給与棒引き。アソウに至っては殊勝にも一年分の閣僚給与を自主返上だって。銀座の酒場で年間、数百万円飲み食いする手合いだから、173万円くらい、おそらく内心はへとも思っていないだろう。

国民が知りたいのは、バカ大臣の「どや顔」パ―フォマンスなんかじゃなくて、即辞任、政界引退なんです。アベといい、アソウといい、「努力せずとも報われる」世襲の愚かなアホボン連中に、この国が牛耳られています。

ただ、財務省も本丸に火の手が迫らぬように四苦八苦の忖度をしたあげく、忖度協力した側だけが、一応の責任をとらされたことには、大きな不満が組織内部に浸潤するにちがいない。今後、財務省による暴露やサボタージュで反撃を期待したいが、ムリか。

法が裁けぬ、正義が克たないならば、時代劇なら必殺仕掛人なり、西部劇ならガンマンが登場するのだが、民主国家は、そういう問題解決者の存在を認めていない。

三権分立制度は、権力の相互牽制によって、法と正義を自浄するのが仕組み。それが正常に働かないと、もはや国家とはいえない。この国は、そこまで腐敗、逸脱して来ています。アベ政権は国民をなめ切っています。

怒れ、有権者たち。

スポーツ三題

その1 タイガースは今年、優勝できるのかどうか。セ・パ交流戦を控え、2位につけていますが、5位まで1ゲーㇺ半。いまのところドングリの背比べ。勢いからすると、カープ三連覇が最も近い、DENAも潜在力は侮れないのではないかと思ってしまいますね。

金本監督もことしは正念場。ロサリオが期待通りの活躍をしないは、能見や藤浪が停滞するはで、しんどいね。星野元監督の追悼式で誓った「優勝を墓前にお届けしたい」の約束が重くのしかかって大変。

永年のファンとしては、言うまでもなく、優勝を切望するけれど、先の対巨人3タテのような試合を見せてくるのなら、それでも十分楽しませてくれる。めったに優勝しない、できないチームのフアンは、シーズン途中になると、哀しいことに期待値を下げて満足するようになります。とにかく、巨人だけには負けるな。

その2、例の日大アメフット部の卑怯な醜態。ボールを蹴ったり、投げたりしてゴールを争って、ナンボのものや。というのが、あらゆるスポーツにつきまとう、ある意味、アホらしさなんですが、そこはそれルールを作って、厳格にルール内の約束事でもって力と技を競うところに面白さがあります。その枠組みを戦略的に破壊してまで勝ちにこだわり、バレたら逃げまくる指導者たちと大学法人。

まったく話にならない。閑人が若いころ、日大のことを「ポン大」とはしょって言ってましたが、その語感からくる中身の薄い、軽いーーイメージは健在だったようです。これからは、「アメフ大」ということで通るようになるかな。

その3 大相撲は鶴龍が勝ちました。終盤の優勝争いには、「日本出身力士」は加われませんでした。それで思い出すのは、あの稀勢の里。すでに7場所休場中です。来場所も休むとすれば、休場新記録になります。もともと稀勢の里を横綱に昇格させたのは、当時の「日本出身力士」の横綱待望論に沿った感じのもので、多少ムリがあった。

いまや大相撲は国際的な興行になって、隆盛を保っているのですから、日本人かそうでないかを区別する必要はぜんぜんありません。仮にプロ野球やサッカーのようにベンチ入り外国人プレヤーの人数を限定するやり方を大相撲に適用すれば、もう面白い興行はなり立たないでしょう。

強い「日本出身力士」待望論はあってもおかしくはありませんが、その風潮にのって、日本人力士を微妙に優遇するのは、好ましいことではない。結果としてフアンの期待を裏切ることになりますよね。

へつらい官僚バカ

作家の辺見庸さんが、昨今のアベ政権を支える、一連の官僚の堕落は、あまりにも低次元で、論ずる気にもならないと時局の感想を述べていました。(*1)

なかでも首相秘書官や省庁の高官たちの目を覆うばかりの忖度、虚偽、ごまかし、言い逃れ、不誠実について、もともと官僚というのは、権力者にへつらい、権力者の覚え目出度く、出世することを人生の目的にしているバカもんの職業人と定義できそうな、たとえ話をあげているのが興味深かった。

辺見庸さんは、「官僚のどこが優秀かといえば、とにかく徹底的に上にへつらうところ」と言い、馬鹿という言葉の由来を語っています。馬鹿の語源なり由来なりには諸説あるようですが、辺見庸さんは、中国・秦の時代の故事をあげています。ネット上で調べると、辺見庸さんの話は以下のような事と同じです。

昔、中国の奏の趙高(引用者注・権勢を誇る最高官)という方が、二世皇帝の宮中に鹿を連れ、「珍しい馬がおります」と献上した時に、皇帝は「馬ではないのか?」と聞き返されました。しかし、趙高は「これは馬でございます」と答えました。

そして、趙高の家臣に「これはどう見えるか?馬か?鹿か?」と尋ねたところ、趙高派の家臣たちは、「馬でございます」と答えましたが、趙高に不満がある反趙高派の家臣たちは、「鹿でございます」と答えました。

反趙高派の家臣たちの発言は趙高の怒りを買い、その後に処刑されたそうです。このことにより、「自分の持った権力をいいことに矛盾したことを押し通す意味として「馬鹿」と言うようになった」という説です

(*2)

サガワとかヤナセとかイズミとか、別筋のフクダとか、いわゆる忖度高官たちは、権勢の顔色をうかがい、へつらうこと習い性になってしまった中国故事にちなむ由緒正しい”馬鹿モン”たちだということがよくわかります。

「アホな上司に異を唱えないで、いっしょになって『馬』だという。今、問題になっている官僚たちはこれを地で行く話で基本構造は同じ。安倍(首相)が『馬』だと言い張れば、それに隷従するのが美徳だから、みんなして『馬』だと口裏を合わせる、、、、、、」と辺見庸さんはいいます。同感至極です。

昨今のアベ政権の腐敗ぶりにうんざり。いちいち批判するのが面倒くさくなってきた。この欄に取り上げて書くのも億劫になってきた。そんなことを同憂の士に話すと、それがアベの狙い、飽きられて、ほとぼりが醒めるのを、アベは待っているのだと。まったく、そうに違いない。

*1 2018年5月18日、毎日新聞夕刊
「官僚らによる一連の不始末ーーーーー辺見庸さんに聞く」

*2 http://shunnowadai.com/archives/1174.html
馬鹿の語源と由来 日本語の面白い語源を学ぶ

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