寸感三題

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その一、年金暮らしの身なのに病院通いが多いので医療費控除を求めて最寄りの税務署に行きました。還付申告です。毎年のことながら、大勢の納税者で大混雑です。

今回は遁走し続ける例の大忖度官僚、サガワ某の問題があるので、風景が少しは変わっているかと思いきや、変わっていたと感じました。応対する職員の態度が妙に腰が低くく、親切でした。猫撫で声で「パソコン入力、やってらっしゃいますか」と中年男性職員、「代わりに打ってあげましょうか」と女性職員。

頭の高い税務職員に敬語を使われるのは、妙にくすぐったい。パソコン代打ちしてくれた女性職員は、こちらの生年月日に気づいて「おや、きのうはお誕生日でしたね。おめでとうございます」とまで言ってくれる。例年、この時期に申告しているのに、こんなお愛想を言われるのは初めてだ。

なんだか笑っちゃいますが、まあこれも”サガワ効果”かもしれない。現場の職員は、サガワ問題で突っ込まれたり、いちゃんもんつけられたり、ずばり、嫌みなんか言われたりしないか。戦々恐々としているみたい。”悪徳サガワ”がいい反面教師になっているようだ。

このうえ、逃げるサガワを追討できれば、なおいいのだが、アべもアソウも「適材適所」とかばっています。かばい続けないと、自分たちがアブナイからだろう。こうなると、どっちもどっちというより、お抱え主の生殺与奪の権をにぎってしまったサガワの方が強いのかもしれない。スミマセンでしたと虚偽虚言を大ぴらに口にすると、政権が吹っ飛ぶ。とは言え、かばう方を倒さなければ、この国に明日はない。サガワが長い目で見れば、野垂れ死にすると思いたい。

その二 冬季五輪。だいたい雪も氷もない国が地球上にいっぱいあるのだから、活躍する選手が偏ります。カネを掛ければ雪氷施設ができないこともないが、それはカネしだい。「世界の国からこんにちは」と集まるのには、夏季五輪よりもカネがかかる不公平なスポーツ大会という感じ。言うなれば、先進国のカネがかかるスポーツだね。

フィギュヤー、スピードスケート、ジャンプくらいはおなじみだが、あとの競技種目にいたっては、やってる選手には失礼ながら、寡聞にして初見のものが多い。なんだかスポーツというよりはサーカスのアクロバット、あるいは上海雑技団の演目みたい。だいたい、あんな種目の競技人口って、世界にどれほどいるのかと思わせるものあります。

どんどん細分化するは、ショウ―化するは、そしてカネがなければできないは、であれば、ますますスポーツ関連メーカーやテレビ局、それに勧進元のIOCのための大会になることが必至の成り行き、という印象ですね。


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そんななかで500mスピードスケートで金メダルの小平奈緒と銀メダルの李相花のスピード争いは面白かった。後者の方が世界記録保持者ながら、最近は前者が押し気味だったというから、双方のプレッシャーは大変なものがあったに違いない。試合後の二人の触れ合いもすがすがしかった。「五輪チャンピオン小平、思いやりをみせる」と米紙も報道したそうな。

その三、それにしてもテレビ局が五輪漬けなのは、そんなもんだろうと合点しますが、大手の新聞もまた五輪漬けなのにはあきれてモノがいえない。とくに朝日、毎日とも朝刊一面が五輪記事で埋まった日にはあきれた。ついこの間までアベが国難だ、国難だと喚いていたことは、どうなったのか。国会開会中なのに、モリ・カケ・スパ問題はどうなったのか。世事への目配りがなく、すぐに一辺倒になるマスコミ。視野狭窄のワンポイント集中はアブナイ。

スポーツの報道でさえこれだから、アベがアメリカの意向を忖度して参戦を決めたりすれば、さぞかし連日連夜の「大本営発表」」で紙面が埋まるとが危惧されます。「戦争は公益性、公共性がもっとも高い国民の関心事」なんて言って、いつかきた道を繰りかえすことだろう。

言論の自由が保障された現代にあって、そんなことはありえないと抗弁しても、なんせ、五輪報道でさえこうなるのだから、信じられない。ましてや、国威宣揚には集団的自衛権の行使こそ「世界の真ん中で輝く国」と誇大妄想するアベを支持する大手新聞や右翼雑誌がわんさとある現状です。あな、恐ろしや。


(写真はGOOGLE画像検索から引用)


争点隠し

名護市長選で勝った辺野古推進派に30億円の米軍再編交付金を支給すると政府が言っています。17.18両年度分という大盤振る舞いです。(*1)

アベ政権にすれば、選挙といい、民意といい、札束でひっぱたけば、何とかなる自信を深めたことでしょう。ほんとうの争点なんか一切合切、なんにも触れずにおいても、ゼニをぶら下げたら、勝てるという実績に満足しているでしょう。またまた悪しき経験を積ませてしまいました。

わずか有権者4万人強しかいない地方都市の選挙に、スガやニカイやシンジロウが複数回、応援に駆けつけ、辺野古の「へ」の字も語らず、もっぱら”地域振興と経済活性化”を喧伝して回った。まさに、あけすけな争点隠しのためでした。

名護市は、市域が東シナ海と太平洋に面する広い街ですが、晩飯を食べに出かけても、商店は閑散をして活気がありません。永年、タイガースの春季キャンプを見にいって、名護市内のホテルに何度も泊まりましたから、よく知っています。

しかし、それは全国どこの田舎の都市も疲弊しているのと同じ光景で、名護市だけの衰退ぶりではありません。アベノミクスが地方にまでまったく波及していない証拠でもあります。

住民を貧しく、元気のない状態に追い込んでおいて、巨額のゼニを見せびらかせば、民意はなびく。政府は辺野古推進のために、兵糧攻めをしたようなもんです。どこの国でも兵隊の成り手は、固定化された貧しい階層からわいてくる、というのと同類の手法です。

じっさい、辺野古反対派の市長の過去8年間にこの交付金は総額130億円にも達していましたが、政府は凍結していました。ゴリ押しが大好きなアベ政権も、反対派にはゴリ押しせず、受け取らない言質を盾にしていました。

権力が民意を操るいちばんの妙薬は、他者への敵愾心を煽り、自国(己)優先主義をたきつけ、そのうえでゼニや役得で利益誘導することです。名護市の有権者の過半数が、やっぱり生活が大事や、と判断したことは責められませんが、隠された争点は単に名護市の問題ではなく、この国の根幹にかかわる全体の問題でありますから、残念な結果でした。

アベ政権は、名護市の選挙戦でやったようなやり方で、この国を”国際平和協調のため”参戦するのは当たり前、お国のために奉公するのは、当然の義務であり、誇りです、というような世論つくりを加速させることでしょう。

アベ政権は過去5回の国政選挙でも、正面から改憲の公約の柱に立てたことがありません。ずっとアベノミクスやご都合主義のスローガンを次々と目くらましのように打ち出し、勝てば、信任をえたとばかり改憲を前面に出しています。つまり名護市長選の争点隠しはアベ政権の常套手段なのです。

そして、いまや9条に自衛隊明記と方向性を明確にし、その是非が改憲論議の要であるかのように世論を誘導しています。改憲反対派は、この設定された土俵に上がらないことが肝要です。

なぜなら、自衛隊がある程度、国民の支持をあつめている現状というのは、災害出動への地道な献身なのであります。けっして戦争能力や軍事力への支持ではないのですが、アベ政権は、ことさらに自衛隊の救助救出活動の一面を強調しています。

アベは施政方針にあっても「憲法明記を拒みながら、困っているときだけ助けてくれというはおかしいじゃないか」という趣旨の議論を持ちかけています。

ならば、国民の生命財産を守る警察も消防も憲法に明記する必要があるじゃーあーりませんか。消防力や警察力には、戦闘能力や戦闘装備が備わっていないから、その必要がないのなら、アベが隠していることは明白です。

アベのいう「困っているとき」とは、戦争したら、という事態を指しているのです。戦争に参入することを前提にしながら、その文脈を隠しているのです。騙されてはいけません。平和憲法を持つ国の為政者がやることは、徹頭徹尾、外交努力で戦争を起こさせないこと、これに尽きます。




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(*2)


*1 http://www.yomiuri.co.jp/politics/20180205-OYT1T50037.html
     2018年02月05日 読売電子版
    名護市への「再編交付金」、政府が再開を検討

*2 Google画像検索から引用


三代目の馬鹿ボン

長く生きると、他人の家の三代を、この目で見ることになる。
バカはバカなりに、カシコ(、、、これは大阪方言かな、、、)はカシコなりの三代、である。

やんごとない家筋、家元制度のある職種や芸能の世界でも三代の移り変わりをじかに知ることができる。 松下幸四郎や林家三平、あるいは関口宏なんか、本人はもとより、二代目、三代目も見ていることになる。

政治家の世界も二代、三代目がゴミみたいに多い。よほど甘い汁が吸えるらしく、息子や孫にまで、その道を歩ませようと必死である。艱難辛苦に堪えて、なお得るところがないビジネスであれば、だれも後継者にさせたくないのが人情。だから、茶花や芸事と同じように、虚実ないまぜの名と役得やら実益やらがたっぷりあるに違いない。

そうした世界では、往々にして、「売家と唐様で書く三代目」という戯けた馬鹿ボンが生じる。岸信介、安倍晋太郎、アベ晋三の血筋も、そうである。三代目のアベの場合、教養不足が明らかなので、「売家と唐様では書けない」三代目であろう。


岸信介の名は学生時代、アンポ反対で何百遍、叫んだことか、出っ歯気味の面相、いまも鮮やかである。晋太郎は、元の勤め先の大先輩。当時、外務大臣。父方の安倍寛の血が濃いかったせいか、リベラルな面があった。次期総理なんて思惑が社内に広がっていて、退社して後塵を浴びようとした直近の先輩もいたから、よく知っている。晋太郎は若死にした。

そのあとが、戦後最悪の性悪首相こと、アベである。アベの唯一の功徳というのは、気の毒なことにアキエとの間に子がないことである。あれば4代目の顔が、すでに成人であってもおかしくないが、、、、どうせ養子なんかを取り、4代目を作るに違いないが、閑人はそこまで、この世にはいまい。

今回は三代目は世迷言を言うという話なので続けますが、岸からアベの間に、三代どころか、何人もの自民党の総理大臣がいたが、アベが発議を促している憲法改悪や一方的な閣議決定でもって容認してしまった集団的自衛権の行使(つまり、先年,強行採決した安保法制)について、歴代の自民党政権は、どう語っていたのか。国会でどう答弁していたのか。

それが一目でわかる写真を筑波大学の情報工学の教授がFB(フェイスブック)に投稿していましたので、下に引用して拡散したい。


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こういう証言を集めたすぐれた労作をみると、アベが突出して危険な政策を打ち出していることが一目瞭然です。


アベが、なにがなんでも、がむしゃらに憲法を改悪をしたがるモチベーションというのは、一体なんなのか。70余年、他国の人を殺さず、自国民が1人も殺されないできた稀有な歴史を、どう考えているのか。


この国と国民を再び戦火にさらしてもいいじゃないか、という発想はなんのためなのか。理解に苦しむ。馬鹿ボンの異常な神経ではないか。

アベの口癖に「昨今の安全保障環境の悪化に対処して、、、」がありますが、対立や敵愾心を煽っているアベの方である。相手方が、核の傘というトラの威を借りた挑発であり、侮りと受け止めてもやむ得ないものの言いようである。


一体、北朝鮮や中国が、この国を襲ってくるとか、侵略してくるとか、そういう外患説の根拠なんなのか。かつて「ソ連の脅威」を煽っていたのに、冷戦終了後、脅威なんかなかった。脅威があると言っていた方が都合がよかったと述懐した防衛官僚がいた。だまされやすい民心を弄ぶ無分別である。


アベはあの北朝鮮に対するトランプの和戦両様の構えを抑える側にまわるのではなくて、先制攻撃もやむなしかのような発言で支持するのはなぜなのか。北朝鮮とアメリカが戦端を開けば、集団的自衛権の発動、即この国の参戦は避けられない。

国際社会の数多い為政者にあって、アベの立ち位置は、いまや異様な奇観ですらある。アベは「対話のための対話はムダだ」と口走るほど対話をしたかと言いたい。たとえば、拉致家族の窮状救済のために、どれほどの対話をしたというのか。拉致家族はもう明らかにアベのポジション・トークを見限っているではありませんか。

「元気なバカほど手がつけられない」といいますが、ほんとうにアベの進める先は、あぶない。目下、開会中の国会答弁をみていても、しょっちゅう、横見をしたり、何やら、うすら笑いをして、、、、。

改憲発議トンデモナイ

(少し長めになります。お許しを願います)

今年の内政のいちばんの課題は、アベにすれば、改憲発議だろう。
国民のおおかたは、そんなことよりも、社会保障の拡充や貧困の解消や雇用の安定を望んでいます。
アベの課題は不急不要のムリ筋の押し付けです。

アベによれば、自民党結党いらいの党是だそうだが、保守合同までは憲法護持でした。改憲を世をはばかりながら口にし出したのは、祖父の戦犯、岸信介のころからです。それでもその後、保守対革新が固定化した55年体制下では、改憲論議はおおぴっらにできなかったといってよい。

アベは党是だといい、占領下に押し付けられた憲法だから、改憲するとは常々口走るものの、今の憲法のどこが、どう不都合で、どこをどういうふうに改めたら、この国のためになるのですと、そんな噛んで含めるようなわかりやすい理屈、ないしは、理論でもって説明したことは、一度もありません。通算で6年も居座っていながら、たった一度もありません。

ただただ、アベが言っているのは、壊れたらレコードプレヤーのように、あるいは一つ覚えのオウムのように、カイケン、カイケンとわめくばかりです。つくつく思うことは、アベは本当に憲法を理解しているかという根本的な疑義について、です。おそらくまともに憲法全文を読んだことがないのではと推察されます。

そして、非常に気の毒なことをあからさまに言うようですが、アベのアタマでは、憲法のことなんか、なんにも理解していない、ほんとうになんにも知りもしないのではないか、ということです。

アベの人物像を俯瞰しても、彼が何事かを特別努力して報われた人、ひたすら苦労して今日ある地位を築づいた人、豊かな識見でもって尊敬される人、、、いかなるエライ人のケースを想像しても、どこにも思い当たるフシのないタダの人だからです。

他人より恵まれた家に生まれて、乳母日傘で育ったにすぎないのです。ですから憲法にだけ特化して博覧強記とか、造詣がことさらに深いというようなことは、あり得ないと考えるのがフツーの話です。

それでは、なんでアベが改憲の執着しているかと言えば、戦犯ながら、折からの冷戦が幸いしてアメリカのCIAの工作員になることと引き換えに放免された祖父、岸信介の情念を孫として果たしたいこと、自らを持ちあげてくれるコアである日本会議など国家主義者たちの支持に応えてみせたいこと、そして一番おおきな理由は、アメリカのご意向を過剰に忖度していること。この3点へのこだわりだと思います。

最後のアメリカへの忖度ですが、アメリカにすれば改憲しようが、しまいが、同盟国として軍事力の行使でもってアメリカの国益に寄与してくれる体制であれば、あとはどうでもいいことなんです。(*1) アメリカは先の大戦後、日本が民主主義のよき生徒になったのはアメリカの指導の効果だと信じているので、その指導教義である憲法を変えることには乗り気でないようです。

アベのこだわりのどこにも、国民の生活を豊かにし、しあわせ感が満ちた明るい暮らしを作ろうという為政者としての好ましい姿勢なんか垣間みられません。破れ鍋に綴蓋のようなアキエがかつて、大学の先生と対談したときに、アベは「なにか目に見えない力に動かされているような感じ」と話していたが、これはある意味、アタっています。(*2)

アベの能力でもってしては、一人歩きはムリなのです。後ろでアベをいいように洗脳し、操っている誰かがいます。昨年、とつぜん口走りだした「9条に自衛隊明記」説でも、アベが自発的に考えたものでなく、日本会議の政策プランナーの考えを鵜呑みしていることは、すでに明白になっています。

「後法優先」(*3)の法理でもってすれば、憲法に書き込みが成功すれば、条文として「戦争放棄」も「戦力不保持」も生き残っても、みんなチャラに解釈されて、晴れて地球の裏までも米軍の先兵(集団的自衛権の行使)になれます。アベがこういう狡猾で不実なことを思いつくアタマではないでしょう。

先の大日本帝国の終焉とともに焼け跡に放り出された多くの国民は国家に騙されたと嘆きましたが、映画監督、伊丹万作は「騙された方は愚か。ちゃんとした思考力、判断力がなかった己を悔いるべきだ」という趣旨の辛辣な批判をしています。(*4)二度とだまされないように、アベの改憲発議をみんなで粉砕しましょう。

おわりにアベのアタマを再見する画像を拾って紹介しましょう。

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震災地で子供たちに向けた励ましかなんかの、有名な?アベ自筆です。自分の出身大学につながる漢字さえ書けないことで、満天下をうならせた傑作です。再三、ネット上でも引用されています。「でんでん」と並んで甲乙つけがたい。

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簡易な漢字にふり仮名がふってある演説原稿です。(水を飲む)とあることを忠実に実行しています。アキエのいう「動かされている」ところでしょう。

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国連での演説草稿です。強調すべき点を赤で印をつけてもらっています。たぶん声高になるんでしょう。

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拡大すると、やはり赤をあちこちに印づけていることがわかります。「顔あげて拍手を促す」との文字もあります。アキエがいう「動かされている」感満載です。笑止千万じゃないですか、みなさん!

こんなに手取り足取りされている程度の人物に平和憲法を蹂躙されるなんて、あってはならないことですね。


(写真はGOOGLE画像検索から引用)


*1 2017.10.16 http://www.mag2.com/p/news/309039
  田原総一朗氏が暴露。安倍首相「改憲する必要なくなった」の衝撃
 「憲法改正」に固執するような姿勢を見せてきた安倍総理。しかし、ジャーナリストの田原総一郎氏と昨年9月に会った際、総理は「憲法改正の必要はなくなった」と発言したといいます。その真意とは? 無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』の著者で政治に詳しい国際関係研究者の北野幸伯さんが、この発言の「裏の意図」について読み解いています。

安倍総理、「憲法改正は必要なくなった」と発言
日本、選挙戦が盛り上がっていますね。自民党も希望の党も、改憲に賛成。ということで、「消費税どうする?」が争点になっている。そんな中、面白い情報が出てきました。安倍総理が田原総一郎さんに、「憲法改正は必要なくなった」と言ったと。

安倍首相が田原総一朗氏に「憲法改正する必要なくなった」 昨年9月にジャーナリストの田原総一朗氏が13日、東京の外国特派員協会で会見し、昨年9月に安倍晋三首相に会った際、田原氏に「憲法改正する必要がまったくなくなった」と話したと明かした。

ええ??? 憲法改正は、総理の悲願ではありませんか??? もう少し詳細を。
その理由について、安倍政権が集団的自衛権の一部行使容認を決めるまでは、アメリカ側は「やいのやいのとうるさい」(田原氏)状態だったが、「集団的自衛権の行使を決めたらアメリカはまったく何も言わなくなった。満足したのだろう。だから憲法改正をする必要はない」と安倍首相は語ったという。
(同上)

「集団的自衛権の行使を決めたらアメリカはまったく何も言わなくなった。満足したのだろう。だから憲法改正をする必要はない」
なるほど~~~。アメリカは、「集団的自衛権行使」を望んでいただけだと。(以下略)

*2 http://blogos.com/article/197071/
BLOGOS
「日本の精神性が世界をリードしていかないと地球が終わる」 安倍昭恵氏インタビュー

*3 http://article9.jp/wordpress/?p=8739
   澤藤統一郎の憲法日記
   「後法は前法を破る」―9条3項の新設は2項を破ることになる。

*4 http://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html
   戦争責任の問題 伊丹万作
  一部引用
  「そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。」


  


焼き場に立つ少年

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今年の年頭を飾るのにふさわしい写真です。ふさわしいというのには、悲しすぎる一枚です。胸がつまる写真ですが、再びこのような写真を生み出す道へ突き進むこの国に対して年頭の戒めとして、ぜひ載せておきたい。

ナガサキに原爆投下後の夏、上陸したアメリカ兵、ジョー・オダネルが撮影したまま、長く秘匿していたが、90年代に公開されて世界に大きな衝撃を与えた写真です。

おおかたの皆さんには既視感があるはずですが、あらためて陽の目を浴びたのは、昨年からローマ法王が「戦争が生んだ結果」(*1)というメッセージを添えて、世界に拡散するように推奨したからです。

10才くらいの少年が亡くなった弟を背中に負い、焼き場で順番を待っています。直立不動、唇をかみしめて、血がにじんでいたとオダネルは証言しています。悲しみを見せず、直立不動の姿勢に、当時の凝り固まった軍国主義の影響が幼い心にもろに表れていて、いっそうむなしく、いじらしく、哀れです。

オダネルが撮影当時を振り返った記録があります。長いですが、引用させてもらいます。
「焼き場に立つ少年」 (1945年長崎の爆心地にて)
 

佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。

すると、白いマスクをかけた男達が目に入りました。

男達は、60センチ程の深さにえぐった穴のそばで、作業をしていました。

荷車に山積みにした死体を、石灰の燃える穴の中に、次々と入れていたのです。



10歳ぐらいの少年が、歩いてくるのが目に留まりました。

おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。

弟や妹をおぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は、当時の日本でよく目にする光景でした。

しかし、この少年の様子は、はっきりと違っています。

重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、強い意志が感じられました。

しかも裸足です。

少年は、焼き場のふちまで来ると、硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしています。

背中の赤ん坊は、ぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。



少年は焼き場のふちに、5分か10分、立っていたでしょうか。

白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。

この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に、初めて気付いたのです。

男達は、幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。



まず幼い肉体が火に溶ける、ジューという音がしました。

それから、まばゆい程の炎が、さっと舞い立ちました。

真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を、赤く照らしました。

その時です。

炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気が付いたのは。

少年が、あまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に、赤くにじんでいました。


(*2)

 戦力は、これを保持しない憲法を持つこの国のアベ政権は、ついに「空母」やステルス戦闘機を装備するまで軍事力を拡大させています。空母やステルス戦闘機は、もはや攻撃型装備の典型であって、専守防衛の国是を明白に違反しています。

トランプ指揮下に服従する”アベ戦闘部隊”は、すでに各地で写真にあるような少年を生み出す寸前まで歩を進めてきた感があります。モリ・カケで逃げ回るアベをことしこそ追討しなければ、ほんとうに「この少年像」が現実になります。この国にローマ法王はいいないのか。

(写真はGOOGLE画像検索引用)


(*1)2018年1月5日 朝日新聞電子版
          (天声人語)焼き場に立つ少年
https://www.asahi.com/articles/DA3S13300447.html?jumpUrl=http%253A%252F%252Fdigital.asahi.com%252Farticles%252FDA3S13300447.html%253F_requesturl%253Darticles%252FDA3S13300447.html%2526amp%253Brm%253D150

(*2)ウインザー通信
 http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/d1c013638e8e33d9c2619d0181b6ed54

ミシェル・ウイリアムズ

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2017年が暮れて行きます。一年をふりかえって、いろいろ感懐にふけるのが、世の常なんでしょうが、たとえ僅か365日とはいえ、過ぎてしまったことは、今更しょうがない。あれこれ思いを巡らせても、どうなるものではない。

年越しの安倍家はカケもモリもない、だったか。そういうような川柳を新聞でみましたが、だいたい、それでことしは終わった感じ。
この国がまともになるには、なにわともあれ、まずはアベがナベ底に滑りまず落ちることから始まりますから、来年に期待しますか。

まあ、ことしもアホらしやの鐘が鳴り、南京豆のツナ渡りだったと、わけのわからぬことをつぶやいています。

師走。世人は東奔西走しているときに、閑人は文字どうり、ヒマ。これが社会の戦力外になったものの役得です。なのでDVDの映画三昧をやっています。一つ、いいことを見つけました。アメリカの女優、ミシェル・ウイリアムズが、とても素晴らしいのです。気に入りました。



「フランス組曲」、「マリリン 7日間の恋」、「マンチェスター バイ ザ シー」、「ライフ ゴウズ オン」の4作です。彼女のここ2,3年の主演作品です。

マリリンは、ややコミック調ですが、細身ながら均整がとれたセクシーなプロポーションを感じよく披露しています。あとの3作はいずれも、もの静かな知的な役柄ながら、ときに激しい感情表現を好演して魅力的です。なかなかの演技派です。そのうちアカデミー賞を取るかもしれません。

見た目には、かつてヌーベル・バーグのはしりだった「勝手にしやがれ」で一世を風靡したジーン・セバーグとよく似た雰囲気があります。閑人は「明日に向かって撃て」のキャサリン・ロスや「地上より永遠に」のドナ・リードなんかがタイプなので、目下盛業中の女優のなかで、お気に入りを見つけたのはいいことでした。
 
来年もミシェル・ウイリアムズを楽しみにしましょう。

(写真はgoogle画像検索から引用)




格差と分断

このほど来日したユニセフ(国連児童基金)のアンソニー・レーク事務局長が、日本のこどもに広がる貧困について言及していました。ユニセフが「豊かな国」日本の「貧しい現実」に懸念を表明するのは、異例のことではないかと思います。たしか児童ポルノ野放し日本については警告を発していた覚えがありますが、、。

ながくユニセフ・サポーターをしていますが、今回の発言のようなことを聴くと、「ついに」、というか、「とうとう」、というか、国際社会が日本の恵まれない境遇にいるこどもたちに危惧をいだくまでになったか、という思いがします。アベノミクスが到達した負の真実です。

アベ政権下で広がる経済的格差、社会保障のひずみから、多くのこどもたちが「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(憲法25条)が危機に瀕しています。日本のこどもたちの6人に1人が貧しく、勉強する機会や就職するためのスキルを学ぶチャンスを奪われています。貧困家庭育ちが、次世代の貧困家庭を再生産しています。(*1)

ユニセフは、国連機関で唯一、こどもたち(母親を含む)の物心の豊かさ、幸せを目指すことを目的に設立されています。元はと言えば、先の大戦で荒廃したヨーロッパの国々で犠牲になった恵まれない子供たちの援護から始まり、やがて動向は世界に拡散してゆき、戦後、廃墟になった日本でもユニセフ物資の配給を受けました。その恩恵を覚えている年配の方々は少なくありません。

いまのユニセフは、先に豊かになったけれど、まだ少数派の先進国、、、、先進国クラブといわれるOECD加盟国は35ヵ国にすぎません、、、が、160ヵ国超の多数派の開発途上国で生活困窮する母と子の生命と生活のあらゆる面を救済する機関として活動しています。

十数年もまえ、文化勲章受賞の文化人類学者、梅棹忠夫さんが、こんなことを語っていたと聞いたことがあります。「いまの国連機関で本当役立っているのは、ユニセフと国連難民救済高等弁務官事務所(UNHCR)くらいだ」と。

じっさい、国連設立いらいも、十数年まえからも、たとえば安保理なんか、肝心要の「国際社会の平和」を守る監視の役目をいっこうにはたせないまま、形式的議論の場に陥ったままです。ユネスコ(国連教育科学文化機関)なんか、世界遺産の認定というような各国の遺産に屋上屋を架する、どうでもいい認定をやっています。

2017年版の「世界子供白書」の発表のために来日したアンソニー・レーク事務局長は、先進国のなかでは高い生活水準にあるとされる日本のなかで、子どもの貧困率について、こう述べています。

「日本のおよそ16%の子どもが深刻な貧困状態にあります。SDGsの下で、豊かな社会において子どもが飢えや格差に苦しむことがあってはなりません」、「相対的な貧困はどの社会にも存在しますが、その原因の多くは医療と教育の不平等にあります」

「SDGs」とは2年まえ国連加盟国(193国)のすべてが、より良き将来を実現するために今後15年かけて極度の貧困、不平等・不正義をなくし、私たちの地球を守るための計画「アジェンダ2030」を採択したことをさします。この計画の頭文字、Sustainable Development Goals: SDGs(持続可能な開発目標))のことです。

ユニセフはSDGsのもとで、いろいろな指標、つまり、15才以下の子どもの「貧困」、「健康」、「教育」、「栄養」、「格差」などの現状を調査していますが、その主要指標での日本の順位は下記のとうりです(調査国は41ヵ国)。総合では12位、アジアでは韓国が8位です。(*2)

「栄養」・・・1位
「就労」・・・1位
「健康」・・・8位
「教育」・・・10位
「貧困」・・・23位
「格差」・・・32位

栄養や就労がトップなのは、他国にくらべて少子化の影響で相対的に数がすくないための結果と見られていますが、ろくに三度の食事がとれないこどもがたくさんいます。アベノミクスは金持ちと大企業をさらに豊かにしましたが、貧困家庭を潤していません。その結果、社会階層を貧富で分断する格差が進んでいます。

いまや豊かな家庭の子は進学でき、職業を選ぶ選択肢を広げられ、社会の指導的立場を得られやすくしてますが、貧しい家庭の子は、スタートから機会を奪われているという不公平、不平等が常態化しています。

制服が買えず、中学に不登校になるこども、インスタントラーメン一袋が夕飯の母子家庭。母子家庭では2人に1人が困窮化しています。「美しい国」とやらを目指すアベ政権の白々しい成果です。

昨夜、たまたま読んでいた新聞に女優、薬師丸ひろ子さんの最新映画へについてのインタビュウ―がのっていました。薬師丸さんはこんな問題意識を漏らしています。

「日本という国が、どうなっていくのか。どこに向かっていくのか。どんな価値観を大事にしていくのか(中略)」、「なぜこの国で満足に食べられない子がいるのか。介護に疲れ切っている人がいるのはなぜか(中略)」(*3)

国家が存在する最高の理由は、その「国民の健康で豊かな暮らしを守るため」であって、経済も外交も国防もすべては、そのために奉仕するものでなければならないと考えています。

ユニセフに指摘される子供の貧困について、為政者のアベは恥じなければなりません。薬師丸さんが口にするような懸念は、実は多くの国民が抱く共通の問題であると思っています。子供たちの未来を閉ざす。その一方で富国強兵を目標にするアベコベ志向はいつまで続くのか。


*1 内閣府 27年度版子供・若者白書

*2  ・ユニセフ2017年版世界子供白書
    ・12月14日NHK ユニセフ事務局長 日本の子どもの貧困率に懸念
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20171214/k10011258011000.html

*3  2017年12月18日 毎日新聞夕刊 映画「8年越しの花嫁」で母親役、薬師丸ひろ子さん

NHK受信料制度は不合理

最高裁大法廷は、NHKが受信料徴収を義務づけていることを合憲と認めるために,ヘンな理屈をこじつけました。何をいまさらという感じの、いわゆる実のない”正論”です。

なぜなら、あのような理由であれば、NHKばかりではなく、多くの新聞や出版などのメディアも、発行すれば料金を国民から公平に即徴収できることになるじゃーあーりませんか。大法廷はこう述べてます。

知る権利の充足と健全な民主主義発達への寄与を究極的な目的とし、特定の個人・団体や国家機関から財政面で影響が及ぶことがないよう、受信設備(テレビ)設置者に公平負担を求めるもの」



前半の目的は、民主主義の基本にふれているだけで、当たり前のことを掲げているのに過ぎません。NHKの独擅場ではない。この目的を達成すべく三権分立による現代社会が成り立っています。新聞や多くの出版物もおおむね、そういうことに貢献すべく発行されています

中段にある「財政面で影響」というのは、自主独立のメディアにとっては、当然の立ち位置です。政治や経済や宗教や反社会的勢力や、その他もろもろの社会的な力から独立した「懐具合」を維持することが、編集や発言の独立性を保障するからです。

民間のメディアばかりか、あらゆる商工業による生産物販売やサービスは、そのために激しい競争原理にさらされて必死の営業努力をしているわけです。たとえば、朝日を取ろうか、サンケイを取ろうかは、読者の自由です。発行元はその選択の余地に売り込むために努力をしているわけです。

ところが、大法廷は、NHKに対しては、そのような営業努力を求めず、居ながらにして受信料が取れる制度をあらためて容認したわけです。ほんにお気楽な経営であっていいよと認めたのです。競争社会にあって、羨ましいような特例扱いをしたわけです。ほとんど税金並みの義務じゃーあーりませんか。

だいたい大法廷が「知る権利」をことさらに主張するのも、胡散臭い。なぜなら、「知る権利」が民主社会に必要不可欠な権利であると一般に認識されているにもかかわらず、この国では、まだ憲法21条にある先行理念であって、具体的な「知る権利」を保護する下位法律はほとんど明文化されていないのです。

ですから、国民の多くが情報公開などの「知る権利」を主張して、国会や行政やあるいは教育や医療の場で権利行使をしようとしても「知らぬ存ぜぬと」十分に充たされていない現実があるのです。そのように尊重されていない扱いを受ける「知る権利」をNHK存在理由の冒頭に掲げていることをがウサン臭いゆえんです。

国民の多くは、NHKは政府機関の一つで、時の政権擁護のための広報伝達エージェントに過ぎない。国民の「知る権利」から遠い偏向報道をしているととらえています。

大法廷は、制度を容認したものの、強制的な徴収については、さすがに腰がひけており、「契約の自由」の余地を残すべく「双方の合意があること」を徴収の前提にしていますし、合意が得られず訴訟になった場合、勝訴したら徴収できるとしています。これらの点を譲歩したのは、やはり設置イコール徴収というシステムにムリがあると考えているからでしよう。

一方、勝訴すれば、徴収はテレビ設置時期までさかのぼってできると判断していますが、こうした民事訴訟では原告側のNHKが、いつ設置(購入)したか、それを立証しなければならない。立証するのは並大抵ではない。

閑人なら、もし尋ねられたら、自由な購買行動をなぜ説明しなければならないのかと答えたい。およそ900万人いるとする未契約者を訴訟対象にするのは費用も大変だろう。受信料でもって訴訟費用に充てられる矛盾のサイクルが始まります。

受信料徴収制度について大法廷は現行制度を追認しただけで、社会の変化や実情からくる不合理については触れなかった。たとえば、おもいつくままにあげると、下記のようなケースは徴収しているのか。

一、最近、韓国旅行した。どこでもNHKはみることができたが、、、異国の住民から取れるのか。
一、スポーツジム。数十台の運動機器ごとにTVがついて視聴できているが、一台ごとに取っているのか。
一、ホテルや企業の事務所、病院や施設には数十台が設置されているが、、、
一、車のカーナビでもみれるが、、、
一、スマホでもみれるが、、、、、
一、世帯単位の徴収だが、いまや世帯に複数所持は当たり前。部屋ごとに個人がみているが、、
一、長期不在(旅行や入院)のときは、、、、

 大法廷がいうところの「公平負担」を求められるかどうか。サラリーマンや年金生活者の徴税と同じく、取りやすいところから取っているのが実情にちがいないからです。

設置すれば即徴収が義務付けられるのなら、TV工場出荷時に徴収料を付加するか、メーカーが徴収分を負担すれば、確実に徴収できるだろうが、そうなれば、TVの売れ行きにまで影響が及ぶことが必至です。こうした新しい課題について検討する必要がある示唆を大法廷はなんにも示していません。

付け加えると、大法廷に言ってもしょうがないのだけれど、アベべったりの政権の犬みたいな報道こそ、知る権利や健全な民主主義の発展に寄与してませんよ、という付帯意見をつけてほしかった。まあ、ダメだわね。

適材適所

アベがまた従来からある正しい日本語に新しい意味を加味した「ことば遣い」つくりました。

なにしろ、彼は母校の校名に当たる文字さえ正しく書けないことで知られていますが、今回もユニークな解釈を表明して、国民を惑わせています。これほど国語力が劣ったリーダーは戦後最悪です。いち早く絶滅危惧種の仲間入りをさせたいものです。

なんだと言えば、四字熟語で知られる「適材適所」(*0)という言葉の字義について、「自分の立場を守るためなら、ウソ八百を言い募る人物をふさわしい位置につけること」という意味を追加したのです。

さっそく来春の義務教育から採用されるに違いないが、学校現場の混乱は避けられそうにない。英語の方では原発汚染水の「アンダー・コントロール」というのは、「オリンピックをまかせられないという雰囲気が出ないようにするために使った」という意味だったと新解釈をして、国際社会をだました前歴がありますが、、。(*1)

森友学園の国有地激安払下げ問題で「特別なはからいをしていない」、「記録がない」、「文書は破棄した」、「パソコンは自然消去する」などとシラを切った佐川宣寿・前理財局長を国税局長官に昇格させた人事案件について、アベは、14日、国会本会議の演壇から、こう言い切りました。(*2)

「それぞれのポストに最もふさわしい人材を適材適所で配置する、という考え方に基づいて行った」と答弁しました。アベの行政私物化をかばいつづけた忖度官僚の黒い星を「ふさわしい」とたたえたのであります。

こんご上司を守るためなら、恥も外聞も投げ捨てて献身する人物の意味を付加することになった四字熟語誕生の瞬間です。ようするに、親分の意をくんでなら、なんでもやりますというヤーさんの世界と同じなんです。

アベはモリカケ問題について、国会では「謙虚に 丁寧に、真摯に」といいつつ逃げまくり、選挙期間中は国会で謙虚に、丁寧に、真摯に審議すると争点にせず、再び国会が再開されるや、開き直っています。

このことから国民の間では「謙虚 丁寧、真摯」という言葉は、口先だけのことで、問題を先送りしつつ、ウヤムヤになるまで待とうという意味であることと理解されてきました。

11・30付けのFBで見つけたジャーナリスト、吉富有治さんの投稿の後半部分を引用しましょう。


▼国有地の売却金額が非公開だったのは、972件中1件。
一括支払いが原則なのに分割払いを認めたのは1214件中1件。
将来の売買を前提に定期借地契約を認めたのは1194件中1件
瑕疵担保責任免除も過去に1件だけ。

▼以上は森友学園と近畿財務局との土地取り引きに関するもので、
「1件」とはいずれも森友学園のことです。じつに特例だらけで、これで
「問題ない」とするのは無理がありすぎます。なぜ森友学園だけが特別
扱いなのか、疑問に思わないほうが不思議なくらいでしょう。

▼加えて言うなら、それまで幼稚園単体を経営していた法人には許可
されなかった小学校の設立認可に関しても、大阪府は森友学園の申請
を許可しています。状況証拠だけでも「変だ、怪しい」と見られるからこそ
追及されているのです。これで、「安倍総理の言うとおりだ」と思う人がい
たら、そちらの方がよほどヘンでしょう。



こういう誠にまっとうな意見が通らない、不思議の国って、ほんとヘンですね。

異例中の異例なことを、臆面もなく忖度して、出世する、あるいは、そういう人物をふさわしいと取り立てる。「適材適所」の字義変更。こういうやり方こそ、改憲への道筋かもしれません。

*0 新明解四字熟語辞典
   その人の能力・性質によくあてはまる地位や任務を与えること。

*1安倍総理の「汚染水の影響は完全にブロックされている」発言のその後の言い訳がヒドイと話題に
  https://matome.naver.jp/odai/2137856684578462101

*2 http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201712/CK2017120502000120.html
   東京新聞

どうしたものか

身辺で気持ちが著しく落ち込むようなことがありますと、こういうブログを書こうかなという気になりません。
駄文冗語だから、なおさらです。
誰に頼まれたわけでもないし、自らに課した努力義務もないから、流れは自然にそうなります。

自由というのは、なによりも大事なことですが、もし、どなたかが、前回の記事のあと、何か書いているかとページを開いてくれるとしたら、おおいにガッカリさせるかもしれません。まあ、それは自意識過剰であって、つたない文章にだれも何も期待していないと思うのが正しいかもしれません。

プロのモノ書きは大変だなとつくづく思います。連載をかかえスケジュールに追われるような仕事はやるもんじゃない。月一の出稿でも日々、なにかしら拘束感に捉われるのに、週一なんかになると、よくこなせるもんだと思います。

ストレスなんか、どう向き合っているのかな。もっとも、そういうポジションにない者の負け惜しみみたいに取られるから、そんなことを心配することもないか、お笑い草です。

むかし、朝夕の締め切りに尻をたたかれる仕事をしていたとき、まるまる十年ほど先輩が、50過ぎたら、締め切りのあるような仕事をするもんじゃない。疲れた表情をしてつぶやいたことを思い出します。

もう少し年配の定年を目前にした上司と飲んだ時、職業生活が終わる心境をそれとなく尋ねましたら、ちょっと損した気がすると言いました。サラリ―マンとしては、いい線まで行った人にしても、他の生き方があったかもしれないというニュアンスを秘めていました。

閑人は、その職業になりたくて留年までしたことを忘れて、そのころは惰性というか、倦怠感が身に染みてましたので、それらの先輩の言葉をしっかり覚えていて、50を5つ過ぎた時点で職を離れて、あとは、ほぼ自由に生きてきました。

始めた仕事では、雑誌の連載モノは月一だったし、取材費を前払いされて、記事を書くという、きつい縛りを承知したこともありましたけれど、、なんといっても、好きな仕事でしたので、苦にならなかったです。仕事をするのも、しないのも自分の裁量でできるのは、このうえなく楽しく、自由でした。

アタマよりも、丈夫なカラダがものいう仕事だったから、加齢とともに出歩く機会も減り、編集者とも疎遠になってきました。いまでは、あんなこと、こんなこと、いっぱいあったね、と記憶をたどることが多くなりました。いい記憶がいっぱい残ったことは幸いなことであります。

それにしても、先々月らい、身内に健康上のことで、突然起きた不測の事態にショックを受けています。こればっかりは、代われるものなら代わってやりたいが、わが身ではどうすることもできません。長く馬齢を重ねている者がならず、前途に希望や喜びが山ほどある者がなるなんて、だれの采配であることなのか。理不尽な病い。不憫でなりません。

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