偽善系Ⅰ、Ⅱを読む

二分冊で、日垣隆の本を読んだ。

とても面白い。視点が常識に留まらないから、なるほど
と合点することが多い。前は立花隆、今は内田樹の言説が
とても面白いが、この著者は、イケイケドンドンのエネル
ギーいっぱいに既成の権力や論説がどれほどアホらしいか、
理不尽であることかを突破していてゆくバイタリティや分
析力は、非常に愉快である。

辛口評論家で知られる佐高信を「マッチポンプのサタカ」
と切り捨て、総会屋雑誌編集者出身の有名なりたがり
性癖と手口を完膚なきまで暴露している。言われてみれば
矛盾だらけのご都合主義者だが、こうした人物が論客と
して、マスコミが有り難がる背景への切り込みも欲しい
ところだ。

マスコミには、おおむね、ろくに主張は持たないが、一つの
企画の都合のいいエンディングのために、ご都合主義の弁舌
巧みな人物を重宝している。そういう需要に腰軽く対応して
くれる人材?が、時間競争をしているマスコミには、どうし
ても必要なのだ。

この関係がいったんできあがると、その人材?は、記事ない
し番組の座りがいいように、「賛成論」も「反対論」も「折
衷論」も取り揃えて、ちゃんとしゃべり、いい方を使ってく
ださい、なんて言ってる現場があるのだ。つまり、マッチポ
ンプのサタカの背景には、もっと組織的なマスコミのマッチ
ポンプ体質があるのだと思う。

雑誌での対談進行役の田丸美寿々のタテ前と本音の使い分
けぶりを数行の記事で活写していて、おかしい。タバコは
勘弁と言ってる著者の目でぷかぷか吸った挙句、写真撮影
の際に灰皿をテーブルの下の隠す田丸。そういう細かい
叙景描写で、田丸のお里がいっぺんに知れる。

人物月旦のほかに「少年法」の問題点や刑法上の「心身喪失」
の扱いや、長野県に見られた地方政治の腐敗などを俎上にして
面白かった。

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「壮烈第七騎兵隊」を見る


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こどものころは、キンゴロウ、エノケン、シミキン、タカセノボル
らの邦画を見ていた。中学生のはじめに洋画を見出した。それいらい
洋画をよく見るようになった。見始めた洋画で名を覚えている俳優には、エロール・フリンがいた。海賊役でフェンシングのように剣を操り、軽快に敵をやっつける彼は、子ども心にカッコよかった。

「壮烈第七騎兵隊」の主演はエロール・フリンが演じるカスター中佐であった。カスターは南北戦争で功績のあった軍人だが、戦後、西部開拓に立ちはだかったインディアン討伐に向かい、ほぼ全滅したときの指揮官である。十倍を超すインディアンの包囲網に討ち死した。功名心に駆られた無謀な戦術という批評もあるが、この映画は華々しく英雄的に
戦ったカスターを称えている。
調べてみたら、1941年製作。なんと太平洋戦争中であるから、カスター賛美も当然であろう。

(インディアンというのは、差別語だからとしてネイチブ・アメリカンという表現を今は取り入れられているが、当時は映画でもインディアンといった)。

エロール・フリンは長身痩躯、チョビ髭を生やした、にやけた二枚目
だが、当時はこのような、みるからに類型的な二枚目が主人公の
映画が多かった。この映画でインディアンの親分にアンソニー・クイーン。カスター夫人にオリヴィア・デ・ハヴィランドが出ているのが懐かしい。
残念なことに映画を見終わるまで、この清楚な美人の名が思い出せなかったが、オリヴィアは、「風とともに去りぬ」でスカーレットの友人、メラニー役で名を馳せていた。



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    ラウォール・ウォルシュ監督     ビデオ版

イタリアン・リアリズム

イタリア映画「家の鍵」を見た。
若いとき、異常出産で恋人がなくなり、残された
子どもは智恵遅れ身障者だった。十五年後に引き取り
に現れた父は、この子といっしょにミラノからミュン
ヘンの施設にリハビリに向かうところから始まる。

父親にまだ覚悟がなくて、わが子を親戚の子を預かって
いるような素振りをする。子どもは勝手きままに動く。
目を離したすきに電車のひとり乗って行方不明になる。
リハビリのやり方は、子どもに堪えられないような過酷
な療法だった。脳性マヒの娘の世話に明け暮れて、疲れた
女性と巡りあう。女性なふっと洩らす。この娘がいっそ死
んでくれたらと思うことがある、、、。

こうした挿話を積み重ねながら、しだいに父は親としての
自覚と愛情がわいてくる。子どもが友人がいるはずのノル
ウエーに行きたいと言い出して、リハビリをほったらかし
て、ノルウエーに向かう。

ドライブ中の父子。子どもはしつこく車の警笛を鳴らし
ハンドルに触ろうとする。そのたびに制止する父、構わず
鳴らし続ける息子。なんども繰り返す。

昔、イタリア映画の特徴だった厳しいリアリズム映画を
偲ばせる。なっとくできる安易な解決策を示すこともなく、
荒涼とした北の国の風景をバックに、ひしと抱き合う父子
の姿で終わる。このあと、どうなるのか。夢や希望がある
のか。


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ゴアさんの活動


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ことしのノーベル平和賞を受けたのは、IPCCのほかに元アメリカ副大統領、アル・ゴア氏。受賞の理由は、ゴア氏が主演した米映画「不都合な真実」が描いた地球温暖化を防ぐキャンペーン活動によるもの。

ビデオ屋さんで、この映画をみつけたので、さっそく見てみた。
ゴア氏は、政治家になったときから環境問題には関心があった。家は
手広いタバコ栽培の農家。タバコが肺がんなどを誘発するなどとは思
わず、裕福に暮らしていたようだが、十代でタバコを吸い始めたゴア
氏の姉が肺がんで若死にして、一家は大きなショックを受けた。タバ
コ栽培をやめた。

そんな挿話をはじめ、ゴア氏の政治活動が織り込まれながら、CO2
の排出規制を急がなければ、地球が壊れる、人類が絶滅する危機に
あることを、世界中のデータを駆使して、スライド講座を重ねてゆく。
アメリカ本土のみならず欧州や中国、日本などどこにでも出掛けて、
精力的に講座を開く。その回数は1000回以上という。それを
ドキュメントにしている。

CO2規制の大切さについては、これまでも数多くの言説があるが、
ゴア氏のような経歴の人物が主役になって、こうした啓発活動を
本気で進めている点が素晴らしい。ひるがえって日本の政治家は?
などとヤボなことを考えたりする。講座も前口上でゴア氏は「一瞬
アメリカ大統領になったことがあるゴアです」(国民投票数ではゴ
ア氏はブッシュに勝っていたのは事実)とか「元アメリカ大領候補
のゴアです」とか言って、(笑)を誘っている。

ノーベル平和賞は、そのときどきの国際政治の動向を反映する
きわめて政治的な賞ではある。ゴア氏が映画のなかでも述べて
いるが、CO2排出規制の京都議定書に批准していない先進国は
アメリカとオーストラリア二カ国だけだという現況にクサビを
打ち込む狙いも受賞に込められているのだろう。もっとも本当か
悪意か分からないが、この映画が最初の上映されたころ、
ゴア氏が住む豪邸の電気代は、ふつうの家の電力消費量の20倍
だ、というニュースもあった。

監督 デイビス・ゲッゲンハイム

「雨の降る日曜は幸福について

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考えよう」(幻冬社)という柔なかなタイトルの本を読んだ。
ところが、内容はなかなか過激で、示唆的なもの。既成の
常識を破るような考え方がたくさんあって、いろいろと考
えさせられた。

たとえば、いまの政府の年金制度は、もともと破綻する
ことが分かっている制度であり、介護保険にいたっては
すぐに行き詰るという。保険制度は参加者が多くて、受
取人が少ないことで成り立っているが、年金制度も介護
保険制度も、参加者と受取人が同数になるから、破綻す
るのは当然という。宝クジでもクジを買う人はいっぱい
いることが前提で、その売上金のなかから、ちょっぴり
配当がある。ほとんどの人は損することを納得している
ことで成立しているのがギャンブルだ。保険制度という
のは、金の集め方も配当も宝クジと同じでなければ成り
たたないのである。

破綻必至の制度の誤りは、国民皆保険(強制保険)
賦課制度(みんなが支えあう)、世帯単位加入にあるの
でこれをを辞めて、任意保険、個人加入、積み立て方式
に切り替えたうえ、国営から民営化にすればいい。
ようするに保険事業を国家がやることはない、という。

作者、橘玲さんは作家で会社役員。海外投資なんとかの会
を作っている。元は雑誌編集長。いままで知らなかったが
たくさんの本を出している。せっせと読んでみよう。


(写真は花びらごとに色がちがうバラ。着色ではないそうだ。
これも既成概念を打ち破る花)

原理主義者

世の中には、思想や物事のあり方について
原理原則を厳守している人々がいる。
キリスト教にもイスラム教にもいるし、国内の宗教
にも、そうした信者がいる。もちろん内面の問題で
あるから、そうした人々がいること自体はなんの
問題もないが、そのような原理原則が政治や経済
のシステムと結びつくと、ややこしいことになる。
たいがいは自分たちの立場の原理原則を擁護する
あまり、他の考え方を排除するからである。

リバタリアン(自由原理主義者)というのは、
人間の自由な権利を最大限に認めようという立場
の人々。自由は総ての人にとって、最高の権利に
違いないが、「自由のなかにも平等を」とか「自由
のなかにも伝統を生かそう」とか、いろいろな制約
があるものだ。

たとえば「言論の自由」は人間の権利のなかでも
決して冒されることがない自由だ。しかし、他人
を中傷誹謗したり、理由もなく名誉毀損したり、
プライバシーを暴いてはいけない、少年少女の人
権には特に配慮しなければならない、などと言論の
自由に一定の枠をはめている。多くの近代国家は
こうして自由にも制限が」必要という立場にある。

ところが、リバタリアンの人たちは、こうした自
由に枠をはめることに反対している。徹底した自
由の権利を認めるべきだと考えている。そこから、
売春婦も麻薬販売もダフ屋もニセ札作りも悪徳警官も、ようするに既成の考えでは、ダメ、ノーとされていることも全部、
自由だと主張している。

どんな中傷誹謗もプライバシーの暴露もみんな
自由であるという。人は自由に生きることで幸せに
なれるというのが主張の根本だ。たしかに究極の自由を
追及して行くと、一切の枠は不要ということに行き着く。
ウームとうなってしまう。

著者はアメリカの経済学の大学教授という。政治家や
行政や司法が、いろいろな名目で、いまある人間の自
由な権利を狭めようとしていることへの問題提起の書
であるが、面白かった。

ウォルター・ブロック著、橘玲訳「不道徳教育」(幻冬社)。


温水プールからジムへ


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通っている公設のプールが耐震工事のため来月から閉鎖になる。
天井を補強するという。二ヶ月間もかかるそうだ。

プールでは泳いでいるわけでなくて、水中歩行をやってい
る。水圧に逆らってのウォーキングが足腰にいいと考えて
いる。わが身は腰痛持ちなのである。プールの閉鎖の間、
どうするか。

民間のアスレチック・ジムに行くのも面倒なので、プール
に併設されているジムで、ランニングベルトや固定サイク
リングなどをやることにした。本日は、その講習会がある。

効果的な運動法、器具の使い方を教えてくれるらしい。
いまさらマッチョになる気はぜんぜんないので、体調を
現状維持できればいいという志だから、あまり気が張ら
ない。

それでも、ナイキのジャージィを買ってきた。バーゲン
で安かった。いまあるヤツは、メタボのせいで入らないのだ。
ジムに行くのは、実は腰痛退治もさることながら、
このメタボ退治が狙いでもある。なぜなら冬服のズボンが
みんな間に合わなくなっているからだ。

歯医者

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歯が痛くて、だいぶ前から歯医者通い。これが時間がかかる。
一度、治療のあとに次回まで、そうとうの間を置かれる。
症状の様子を見るというよりも、患者が多くて、割り振られて
いる感じ。

これまでの歯医者の予約にはかつて泣かされた。予約と言いながら、1時間も一時間半も待たされた。堪忍袋が破れて、治療中途のままや
めてしまった。

その結果、虫歯は進行し、歯周病は悪化した。今回の治療は、
その集大成となった。前歯欠落には四本をつなぐブリッジ。
奥歯下は三本を抜歯して、インプラント治療へ。

きのうは抜歯三本の日。実に一時間十五分、途中で別の医師も
加わり、ふたり掛かりで、ゴリゴリガリガリ、キーンキャーン。
我が上品で、小さい口腔内は、町工場並みの騒音が続いた。

さすがに、どうなることかと怖い、手に汗握る、心休まらない
治療。解放されたときは、過激派ゲリラから逃げ出したような
気分であった。歯医者sんには悪いが、歯の治療が大好きという
人は世界中の皆無であろうと思った。

ブログ開き



まずはブログを開いて、次に表紙を取り替えて、
本文のサイドのデザインを変更して、要するに
自己流にカスタマイズしてみたい。




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