「アメリカンパスタイムーーもう一つの星条旗」


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大戦中、アメリカは日系人を人里はなれた強制収容所に送り込んだ。おなじ敵国だったドイツ人やイタリア人系にはしなった、アジア人差別の人権侵害であった。アメリカで生まれの二世も同様の措置を受けた。

戦争が長引くと、戦力増強のため、この二世の日系人青年だけの部隊を編成して、ヨーロッパ戦線に投入した。太平洋戦線では日本人同士の対峙となり、日系人は戦わないだろうとの戦術だったからだ。

この日系二世部隊は、勇猛果敢な戦いぶりで、他のアメリカ人部隊よりもはるかに多くの戦功をあげて、アメリカ人のリスペクトを浴びるようになった。この働きが、戦後、日系人がアメリカ人社会での地位を確実にしたといわれている。

というような史実を踏まえて創られた日系人のある家族の奮闘記。
散髪屋でさえ締め出される差別と収容所暮らしのなかで、息子の一人は、アメリカ人少女との祝福されない恋や、アメリカン人優位のルールでの野球の練習など、細かいエピソードを積み上げる。最後は収容所チームとアメリカン人チームの試合で盛り上がってゆく。散髪屋が日系人
の頭を刈るハッピーエンド。

こういう甘い終わり方には、不満もあるが、言っても始まらないか。
中村雅俊とジュディ・オングが日系アメリカンの夫婦役になっている。

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「まあだだよ」を見る


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黒澤明監督の遺作とか。辛らつ飄逸の作家、内田百をモデルにした
信じられないような師弟物語。かつては、そうした師弟愛の結ばれた
人間愛があったのであろうが、いまでは信じられない人間関係と言っていいかもしれない。

大学のドイツ教師が作家と二足の草鞋を辞めて、教師を今日限り辞める
と学生の宣言するところから、映画は始まる。先生の徳を慕う学生たち
が自宅の押しかけ、団欒。やがて戦争とともに、先生の自宅も空襲で
被災、掘っ立て小屋住まいの境遇に。戦後、学生たちは持ち寄って
先生に家を贈る。学生たちは「摩阿陀陀会」をつくり、そこで師弟交歓の場に。

「まあだだかい」とは、「先生、まだ天国に行かないのかい」「まあだだよ」との意味。こうして歳月を重ね、学生たちも孫をつれて参加するようになってゆく。さて、「もういいよ」は、いつ、どんな形でやってきたか。

メルヘンのような先生と学生たちの交流に、黒澤明はどんな思いを託したのかな。
主役は松村達雄、奥さん役に香川京子、学生役では所ジョージ、井川比佐志がいずれもいい味わい。寺尾聡はどのシーンにも出ているが、影が薄い。
ビデオ版

『猿の惑星』を見ての


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四十数年まえの画期的なSF映画をNHKBSがやっていたので見た。宇宙船の故障で他の惑星に不時着した一行三人が見たのは、猿の社会だった。彼らは猿の軍団の捕虜になったことから、猿社会の模様が描かれる。人間社会と同じようにかなり程度の高い社会を形成し、言語を話し、司法制度もあると言った具合。猿のメイクは非常にうまくできていて、マスクをかぶっているとは思えない眼や口の動きの精巧さに驚く。

SFは、稚拙で子ども試しみたいところがあったり、やたらに先端科学を
駆使して荒唐無稽すぎることもあって、あまり見ないが、この『猿の惑星』と『2001年宇宙の旅』は、草分けだったから印象が深い。

ところで、脈絡がいい加減話だが、猿の映像を見ていて、捕らわれた人間の女性の名前がノバということから、連想が飛躍した。過剰投資とかで倒産した駅前留学の英会話学校「NOVA=ノバ」という学校名は、この女性の名前にちなんだのではないか。

ノバ役はリンダ・ハソンという、大変な美人女優である。会話学校の創業者の名前は猿橋望という男。猿とノバが結びつく。学校は夢を未来に実現しようをキャッチフレーズにしていたから、まんざら外れていないかもしれない。ノバとはラテン語で、「新しい」という意味があり、天文学でハイパーノバというと、「超新星」のことを指すというから、創業者、猿橋の頭に『猿の惑星』があったかもねと思う。

『猿の惑星』の公開は、1968年。その後、四作ほどがシリーズ化された。NOVA(はじめはカタカナ表記)は1981年創立。猿橋は1951年
生まれだから、『猿の惑星』を十代のころ見たかもしれない。夢を持って、いいところに道を開拓した男であったが、増長の末、墜落してしまった。猿の惑星から地球に帰還したノバら男女が見たのは、荒廃した大地に残る自由の女神の壊れた半身像であった。
猿橋は、何を見たかな。


『コーチカーター』を見る


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アメリカ映画はサクセスストリーが好きだ。
これは、ぼろっちょい負けてばかりの高校バスケット部に
先輩で、かつては有名選手だった黒人コーチ、カーターが
就任してから、いろいろな紆余曲折があったのち、洲大会
にまで進出できる、強いチームになる話だ。

こういうと、スポーツ根性ものを思いうかべるだろうが、
根性ものの背景に人種差別、学歴社会が根強いアメリカ
社会で一人前になるために、スポーツが大変大きな足場を
提供していることが分かる話だ。

コーチが鍛えるのに一生懸命になるのは、地域の貧しく
て荒んだ環境のままにいると、子どもたち社会の堕ちこ
ぼれから決して救われないからだ。カーターは言う。

この高校の卒業生は職もなく、3割は、犯罪に走り逮捕さ
れていると。カーターはバスケに上達して、大学へ奨学金
をもらって進学することだと繰り返す。カーターは選手
たちと三つの契約を交わす。

必ず授業に出席して一番前の席に座る
成績の平均得点を2・3以上にあげること(5段階評価かな)
試合の日にはネクタイをすること

練習が始まる。麻薬密売の手を出す選手、授業をサボる選手、
成績が上がらぬ選手、、、。カーターは厳しいペナルティー
や体育館の閉鎖などで対抗するが、これに対して学校側や保
護者からの激しい反発が噴出し、一時は辞任を迫られる窮地へ。

カリフォルニア洲リッチモンド高校の実話の基づいたもので、
エンドの字幕で選手のうち六人は、それぞれ名のある大学や
士官学校の進学したとある。アメリカの学歴社会は、日本以
上にがっちりと固い。大学卒は生きていく大きな投資のよう
である。貧しい黒人の生徒が泥沼から這い上がる道は、スポ
ーツか芸能であることが分かる。

沢木耕太郎の『無名』を読む


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父と息子という関係は、むずかしい。家族ドラマにあるような明るい
情景をいっしょにするということは、ほとんどの家庭にはない。
ないから、あのような甘ったるい、陽光さんさんたる情景が、理想の
かたちのように描かれるのだろう。

沢木はノンフィクション作家として独自の世界を保つ。それなりの有名人であるが、89歳になる彼の父は、まったく市井に一老人であって、若いときも、仕事のうえでも、暮らし向きのことでも、ただ一度もにぎやかな脚光なんか浴びたことがない、無名の生活人である。沢木が知っている父は無類の本好きで、「一日一冊の本と一合の酒があれば、それが最高の贅沢」というような暮らしをしている人物である。

仕事に忙しい沢木に、そんな父のことに特別な思いを馳せることになるときがきた。別居している父が病に倒れたのだ。母と2人の姉と沢木は交代で病床で介護することになる。これほど間近に父の眠る顔を長く見たことがない、という感慨から父のことをもっと知りたいと思う。

幼児のころのおぼろげな回想、姉や母の思い出すこと、自分の成長の過程にうすく淡くかかわった父の言動、、、。そうしたことが続くなかで、病床にあった俳句雑誌、といっても、同人誌のささやかなものだが、その俳誌に父の作った俳句を見つける。ええっ、あの父は俳句を創っていたのか。そこからバックナンバーを探し出し、いくつかの父の俳句を見つけ、その作風、その作成の動機や背景や、その心境をあれこれと手繰ってゆく。

いわゆるスパゲッティ症候群と称される検査器具とチューブだらけなって寝たきりの病床を嫌がる父をマンションの自宅に引き取り、家族総出で介護すると、院長や担当医が驚くほどの回復をする。院長が言う。
「こんなお年寄りを自宅の引き取りたいという家族は、いまどき珍しい」と。ふつうは面倒な年寄りを病院に預けたがる家族が多いのだ。

よくなった父は流動食から固形物を喜んで食べるようになり、家族とよく話をし、テレビもみるようになった。ある朝、おきなカボチャの煮つけをぱくりと食べたあと、芸能ニュースが流れるTVを見ていている。冗談めいたことも言った。介護していた姉がちょっと目を離して戻ってみると、父はすでにコト切れていた。

完全な私小説。ノンフィクションといえば、私小説はある意味で、ノンフィクションかもしれないが、探り出した事実に物言わぬ父の顔を重ねて、静かな清涼感のある作品になっている。すこし感情移入があって
自己陶酔を思わせる臭みもあるが、全体としては、いい小説である。

小説に出てくるなかで、いいと感じた俳句三句をあげる。

    薔薇の香やついに巴里は見ざるべし
    迎え火や母若くして逝きにけり
    聖夜なり窓あかあかと麺麭工場




sawaki


山野井夫妻の挑戦


yama



世界でも屈指の優れたクライマー、山野井泰史と妙子さん夫妻は、あの
ガチュンカンから奇跡の生還をしたものの、泰史さんは手足指13本、
妙子さん手足指18本を凍傷で失った。

おそらくもう難壁の登攀はムリではないかと思われていたが、あれから五年、夫妻は懸命なリハビリの結果、登攀道具を操れるまでに回復した
うえ、強靭な精神力で、次の前人未踏の壁を目指す。

それが、18日NHKから放映されたグリーンランドの1300メートルの絶壁登攀のドキュメント。綿密なヘリからの偵察のあと、極北で真夏が二週間ほどしかない時期を狙って、夫妻は盟友の木本哲と組み、三人で、3週間の日程で挑戦する。垂直に立つ、花崗岩の崩れやすい絶壁を、不自由な手と足を駆使してじりじり登っていく。

700メートル登るのに1週間、コルに達するのに10日間といったしぶとい粘りを発揮しつつ頂上を目指す。困難な場所にもかかわらず、
撮影のカメラも、どのようにしたのか分からないが、三人の表情や手足の動きを密着取材して、見ごたえも十分。

3週間目に最後の針峰を突破して、頂上に立つ。夫妻の新しい挑戦は見事に成功した。
「手がどうの、足がどうのとへったくれを言ってる場合ではない。登ることが好きなんだ」という泰史さん。
生活費は月20万足らず。「苦しいかどうか、そんなことはない。食べていけたら、あとは山への情熱だけ」と語る妙子さん。

復帰した山野井夫妻は、次は何をたくらむのか。おおいに楽しみだ。
しかし、TVで見た限りでは、傍観者が無責任に「次の冒険」を期待するのは、はばかれるほどの大きな凍傷の痛手だった。



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      2007・11・18 NHKハイビジョン放映
     「山野井泰史・妙子グリーンランド未踏の大岩壁」

『裏支配ーーー今明かされる田中角栄』を読む

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田中角栄は、貧しい田舎出身者であったから、食べ物も単純なものが
大好きだった。

なににでも醤油をぶっかけて食べた、稲荷寿司の醤油をつけて、鰻重にも醤油を掛けて、いったん蓋をして蒸らした、焼飯も醤油味。つまり濃い味が好きなのだ。そして家の子郎党が集まる新年会のお正月料理は、ぶりダイコン、ソーセージ、稲荷寿司の三種類だけ。これを大皿の大盛りして振る舞い、御本人もばりばりソーセージを食らうそうだ。ウイスキーは、きまってオールドパー、日本酒は{角栄」銘柄。

こんなことも書いてある。その新年会が終わると、角栄は毎年沈没する。二日は佐藤昭宅、三日は辻和子宅。いずれも角栄の愛人であり、認知した子どもがあわせて三人いる。正妻の娘、真紀子が、この状態をにらんで心穏やかであるはずがない。真紀子は父角栄嫌いで育つ。父子の
執念の愛憎が生まれる所以である。


こうした事情は実は、この本のなかでは些事にすぎない。角栄がロッキード事件で逮捕されて、起訴、保釈されてから、脳梗塞で倒れるまでの最後の一年間、話の聞き役となったTBS記者による日本の政党政治、国会運営、官僚たちの内幕を書いた貴重な読み物である。ドロドロの泥沼で権力闘争を繰り広げる政治家たちの生態を描いて面白い。
 
 筆者は国民のよる国民のための政治を確立することを望んでおり、その手立てとして国会審議を一切の編集や解説抜きに、ありのまま放送
する「国会テレビ」が根づくことを期待し、尽力している。情報の公開
こそ、正しい政治の基本であるという。
        
          田中良裕著 講談社文庫




























セージ、

「幸せのちから」を見る


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これはアメリカン・ドリームの物語である。
骨粗鬆症を見る骨密度の新型医療器を売り込む黒人のセールスマンにウイル・スミス。ぜんぜん売れず、在庫が部屋に山積み。パートで働く妻は愛想ずかしして、5歳の息子を残して家を出てゆく。息子はウイルの
実子を起用している。

子連れセールスマンは家賃の支払いができず、追い出される。息子に洞窟探検と称して駅の便所で寝る。利用者が入ってこないように鍵を閉めて足を突っ張るセールスマンの涙、教会の施しで給食と一夜限りの宿に
ありつきながら、医療器を売る日々。

どん底の父子が、いかにして這い上がり、まともな生活を取り戻して
ゆくか。母のいない息子と父の涙ぐましい情愛物語でもある。作業服とスーツ姿では、人間の対応が著しく違うアメリカ社会の格差意識には
いつも驚かされる。

最後のエンドロールには、彼はいまや評価の高い証券会社の経営者になっているとある。貧困から這い上がる道もあるが、貧困に落ち込むと底なしになるアメリカ社会の断面を見せてくれる。ウイルは、いい味わいをだしている。

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      ガブリエル・ムッチーノ監督 ビデオ版

[DATE WITH DREW}を見る


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アメリカ映画には、たまにドキュメントタリーの手法で
面白い作品を創る。マイケル・ムーアーの諸作や「デブラ・
ウインガーを探して」やゴアの「不都合な真実}もそうだっ
た。

この映画は監督・主演しているブライアン・ハーズリーガーの
少年のころから持ち続けている夢を果たす「冒険の旅」一部始終。

冒険といっても、大それたものではなくて、5,6歳のころ見た
映画「E.T」に出ていた子役の少女、ドリュー・バリモアと一度
デートしたいという他愛ないもの。

現在、ドリューは子役で登場してからスター街道を驀進して、美人女
優のトップクラスになっている。(なぜか日本では公開作品が少ない。この女優は一時品行がよくなかった)

27歳になったブライアンはTVのクイズ番組で獲得した1,100
ドルの賞金を資金に、30日間にドリューに連絡をとり、デート
する計画を立てる。クイズの最後の正解がドリューの名前であった
ことに運命を感じ、ドリュー熱が再燃し、彼女とのデートを企画、
その言動を記録することになる。

30日間というのは、買った撮影用のビデオカメラが返却保証期間
(つまり、タダで使い、要済みで返せる。30日間もあるとは驚きだ)
であることと、無職が遊んで暮らせるギりギリの期間である。

こうしてブライアンは友人の手を借りて、思いつく限りの手立てで
ドリューに会う機会を策謀する。ドリューの映画プレミアムの
会場にニセプレスカードを作って侵入したり、会いたいという熱の
こもったDVDを送りつけたり、ホームページを開いたり。一方、
会った時のために腹筋のシェイプアップしたり、体毛を抜いたり。

ところが奮闘努力の甲斐もなく、期限の30日は来て、カメラを店
の返しに行くハメに。これで計画は挫折したのかと思ったとき、一
転して、幸運が舞い込み、凄い成り行きに進展してゆく。ここが実
に面白い。ネタバレを紹介するわけにいかにので、ストリーはここ
まで。

なんともノー天気というか、あっけらかんのお話だが、見ている
うちに、ブライアンの少年時代の夢が実現できるように応援したく
なる、楽しい映画。

「モーツアルトとクジラ」を見る


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妙な取り合わせの題名だが、たしかに映画の中に出てくる
場面と言葉である。アスペルガー症候群の症状を持つ若い
男女が出会い、仲良くなり、喧嘩別れし、再び出会うラブ
ストリー。

よくあるストリーなのだが、設定が異色。登場人物の男女が、
ともにアスペルガー症候群を持つこと。ウイキペディアによ
ると、この症候群は「知的障害のない自閉症」とあり、とく
に対人関係とか、他者の気持への推測力に障害があるという。

男性は「大学を申し分ない成績」で卒業しているが、タクシ
ー運転手の転職を重ねている。数学については天才的な頭脳
を持つが、他人と視線を合わせず、散らかった部屋の状態
を異常にこだわったり、小鳥を飼う優しい一面もあって複雑。

一方の女性は美容師で、ピチピチの美人。レイプされた体験
がある。絵画や音楽に関心が強いが、絶対音感の持つ優れた
聴覚の半面、金属の摺れあうような音の耳を塞ぎ、固まって
しまう。

こうした障害を持つ二人が、さまざまなトラブルや気持の
行き違いを経て、ドラマが盛りあってゆく。
見終わったあと、いい気持になれる、いい映画であった。
ヒロイン、イザベラ役のラダ・ミッチェルが、とくにいい。

    ピーター・ネス監督 ビデオ版



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「戦場のアリア」を見る


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第一次世界大戦下のフランスでの、最前線での敵味方の嘘のような
ヒューマンな交流を描いた作品。クリスマスを控えて約百メートル
隔てた塹壕に対峙する英仏連合軍とドイツ軍。三軍の兵士は戦争に倦み、クリスマスを自宅で迎えたいと思っているが、せれは夢のまた夢。

ところが、雪で迎えた当日、独軍兵士の夫を追ってきたオペラ歌手の
妻が最前線で聖歌を歌い、英軍付きの神父がミサを行うに至って三軍
の兵士は、クリスマス一時休戦をする。クリスマスツリーを飾り、
兵士たちは家族の写真をみせあい、シャンペンで乾杯、サッカーに
も興じあい、ひとときに平和を楽しむ。「聖しこの夜」など知られた
賛美歌を歌われる。やがて英軍のバグパイプの「蛍の光」の演奏のもと、各軍隊は元の塹壕に戻ってゆく。そして翌朝、再び殺しあう砲弾
と銃声の雨。

この前線での「勝手な」休戦は上層軍部の知るところになり、兵士へ
の迫害が始まる。英軍のミサをした神父は解任される。それを伝えた
上司の神父は「恥知らず」となじり、独軍をひとり残らず殺すこと
が平和の地の誕生などと説教する。国家レベルの戦争の大義と平和
を望む兵士たち、国家の大義に迎合する教会。美しい森や田畑を背景
に戦争の虚無を描いている。1914年にほんとうに在った戦争の裏
話。いまでは欧州で伝説化された話になっているそうだが、その伝承が今の世にも生かされていない現実を思い知る作品でもある。
2005年アカデミー賞外国語映画部門ノミネート作品。

   クリスチャン・カリオン監督 ビデオ版

「息子の部屋」を見る


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イタリア映画。個室にこもる息子のあれこれを描いたような
錯覚を起こすみたいな題名だが、その内実は、平穏な家族の
幸せという形は、あっという間に暗転することを、きめ細か
い場面の積み重ねで見せてくれる。

主人公は、はやりの精神分析医。美人の妻と高校生になった
一男一女。団欒のたえない食卓、笑顔を笑い声。隣接の診察
室には、さまざまな難題を抱えて患者が頻繁にやってくる。
冷静沈着に患者の悩みと向き合う姿もシーンを重ねる。彼は
他人の心の痛みや悩みには対応できている。

ある日、いっしょにジョギングしていた息子が父に海に潜り
に行ってくると言い、出掛けたまま、還らぬ人となる。
驚愕と動揺、哀しみの葬儀、落ち込む母と娘。精神分析医の
父は自責の念に取り付かれて、苛立ち、精神状態が著しく不
安定になり、なんと患者と争う始末。こころあたりに日常
と非日常のコントラストが鮮明に描かれる。

暗転した家庭に一通の手紙。
息子の死を知らぬ遠いところに住むガ^ルフレンドから、
遊びに行っていいかとの内容。えつ、あの息子に彼女がいた
のか、息子が好きになった女性はどんな子なのか、、、、
、一家は彼女の来訪を待ち、やがて彼女とともに一家は、
現実を受け入れ、心の平穏を徐々に取り戻してゆく。家族の
絆、家族の崩壊、家族の再生といった重いテーマをしみじみ
考えさせてくれる地味な佳品。
2001年カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞。

主演・監督はナンニ・モレッテイ。知的な美人は、かつての
ジーン・シモンズを思わすラウラ・モランテ。


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