「国家の品格」を読む

07年の読書界は、06年にブームになった「国家の品格」を
マネて「何たらの品格」本ラッシュであった。女性の品格やら
親の品格やら、あやかり本が目立った。それ自体が品格を欠く
さもしい迎合の振る舞いである。

さて、ブームのさなかには手を出したくないタチなので、いま
ごろになって200万部以上売れたという元祖「品格」を読んでみ
たが、正直なところ、つまらなかった。なんで、この程度の本
が爆発的に人気を博したのか、そっちの方を考える方がよほど
面白いかもしれない。当時、コイズミやアベさんたちが、いた
ずらに自国中心主義のナショナリズムを煽った、その気分が反
映したのも一因かもしれない。

海外旅行の経験者は二通りの感懐を持つといわれる。「やはり
欧米は素晴らしい。もっと学ぶべきだ」派。「いや、欧米は大した
ことはない。日本古来からのものの方がずっといい」派である。

著者は豊かな海外経験を踏まえて上で、後者の立場にたっている。
欧米人はバラの花を好み、日本人は桜花を愛す。バラは茎にから
みついて落花せず色褪せてみっともない。桜花は清く潔く散る、
澄明である、などという例を挙げている。一事が万事である。
こんな比喩に特別は意味はない。育つ花が地域特性で異なって
いただけで、そこに精神性を見るのは、陳腐な考えである。

あげくに、ありもしない武士道精神なんてものを持ち出して、日本
の文化、伝統に立脚して情緒と形に立ち返らなければならない、と
いうようなことを強調している。日本と日本人のよさを武士道精神
のような幻の精神論を援用して指摘したところで、なにも変わらな
いし、決まらない。

どこの国にも国民にも自国の文化や伝統に誇りを持っているし、
好きな花や嗜好がある。それは他国と比較して、どちらが優劣
かという問題ではない。武士道があれば、騎士道がある。菊花が
あれば、チューリップがある。ウイスキーがあればサケがある。

かつて日本人に広く根づいたことがない武士道精神というような
架空の精神論なんかを持ちださずに、昨今の日本と日本人のだら
しなさや荒廃や停滞を論じて、提言していれば、時宜を得たもの
になっていただろうが、読後感は肩すかしである。

          藤原正彦著 新潮新書

「マルサの女」「ミンボーの女」「スーパーの女」を観る

故伊丹十三の没後10年とかでNHKBSで伊丹監督の作品を
連夜放映してぃたので、しっかり見た。

「マルサ」はあくどい脱税者を摘発する国税庁査察部の所属する
女性とラブホ経営者とのあの手この手の戦い。パチンコ屋の売り
上げごまかしを摘発するため、万札の端に赤インクをつけて
パチンコする手口、望遠カメラ仕掛けた車からの斥候、土砂降り
のなかの張り込み。

「ミンボー」は民事介入暴力から格式あるホテルを守る女性弁護士
の活躍、暴力団の色仕掛け、金握らせる攻勢を民事レベルに終わら
せず、ゆすり、たかり、恐喝に持っていかせる弁護士の戦術と立ち
上がるホテルマンたち。

「スーパー」は業績の上がらぬスーパーとやる気のない経営者に
たまりかねた経営者の女友達が、スーパー買収にかかる大手チェ
ーンスーパーからの魔手から守り、あげくに業績も上がるスーパー
にしてゆく話。和牛クズとオーストラリア肉を混ぜて神戸牛に仕
上げる手口、売れ残りのランプを外し、新たにリラップして製造
日とし、賞味期限を引き延ばす手口などが挿話にある。偽装は
いまも続いているわけだ。

三作のヒロインは宮本信子、ヒーローは津川雅彦。伊丹監督は
社会に巣食う不正や腐敗を取り上げて、エンタメにするのが実に
うまい。シリアスドラマになるのを避けて、ハラハラドキドキ
で話を引っ張ってゆく。三作とも、いまも少しも色あせしない
社会問題であるところに、伊丹監督の目がある。

「私は三年間、老人だった」を読む



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アメリカ人の若くて美しい大学院生兼デザイン会社員の女性、パット・ムーアは26歳のとき、ふとひらめいて、85歳の老人になることを思いつく。

人を驚かせたり、エンタメのためではない。専門に研究しているのは工業デザイン。パットは工業デザインは工業と芸術の間にあって商品開発をしなければならない。お年寄りが使いやすい、お年寄りに役に立つデザインとは、どういうものか。「本物の」老人のライフスタイルとはどんなものか、それは老人になってみないと分からないのではないか。しかし、何十年後かに老人になるまで待つわけにいかない。遅すぎる。

パットはテレビのメイクアップ・アーチストの協力を得て、白髪、顔のしわ、カラスの足跡、瞼のたるみ、首筋まで独特のラテックスの乳液でマスクをかぶったような上に化粧、胸を押さえる腹巻、足には包帯をまいて靴下をはき、手袋をする。きれい過ぎる瞳にはオリーブオイルをさしてしょぼくれた眼にした。目立つきれいな歯は黄ばみ黒ずんだ色に。腰にコブをつくり、杖をついて、、、。

誰からも、親しい友人からも見抜かれない老人に変装して、三年間、全米14洲116都市とカナダで実験した。老人になりきって、街を歩き、買い物をして、公園で他人と話をし、会合に出て議論の場に入る。その三年間の稀有な体験を本にしてある。

ある文房具屋の店員の応対の例では、老人の姿で買い物すると、店員は邪険に面倒くさそうにするが、26歳の本来の姿で、まったく同じ買い物をすると、店員は実に親切でよくしゃべり、扉まで送ってくれた。ある店の店員は、もたもたと大きめの額面の紙幣を出したら、お釣りをゴマかした。お年寄りでも「貧しい」お年寄りには、世間の見る目が格別冷たい。

お年寄りは「価値がなく、必要とされず、大切な存在ではない」と世間から想われているし、老人のなかにはそう想っているものものいるが、
パットは考える。「明日の自分のためにできること」を。

     パット・ムーア著、木村治美訳 朝日出版

「昭和33年」を読む

映画「三丁目の夕日」をはじめ、昭和時代を懐旧する
風潮がさかんだ。33年といえば、当方が大学2年
のときだ。あの昭和30年代は、ほんとうに平和で
なつかしい時代だったといえるのか。

それがテーマで、政治、経済、社会現象、スポーツ
や若者文化などを切り口に、今と比較しつつ考えて
いる。

政治でいえば、タナボタで手に入れた戦犯官僚、岸
信介が首相となり、戦前回帰の軍事大国を目指す。
このため国民の自由を制約する警察官職務執行法の
改正案を上程、これを巡って世論が沸騰、デートの
できなくなる、という危機感が国民の間に高まり、
とうとう廃案になった。このあと岸は日米安保条約
の改定を強行して、今に至るアメリカの世界戦略追従
政策のレールを敷いてしまった。

いま、奇しくも岸の孫、アベが首相になり、岸のDNA
を具体化しようとして、猛反発をうけて、政権投げ出
し、混迷を深めている。政治とカネの問題、政治家や
官僚の腐敗など、いまもぜんぜん浄化されていない。

「昔はよかった症候群」と「先行き不安感」は、いつの
時代にでもある現象なんだが、なぜ、いま、昭和30年
代が好意的に回顧されるのか、そこはあまりはっきりし
ない。

大学生だった当方などは、アタマに重い帽子をかぶって
いるような陰鬱な気分で過ごしていて、懐旧の念は浮か
ばないね。

         布施克彦 ちくま新書

映画「バベル」を観る


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不思議な構成の映画。モロッコ、東京、メキシコ、カリフォルニア
の四地点が、少年の撃った一発のライフルの銃声でつながる。モロッコの砂漠をバスで観光中のアメリカ人観光客、ブラピとケイト・ブランシェットの夫婦。窓際の座った妻が撃たれる。

バベルは旧約聖書で知られる寓話。人間が天上を制する高い塔を
築きはじめる。これを知った神は、人間の増長傲慢を諌めるため
に人間の住む場所をバラバラに、言語をバラバラにして、コミュ
ニケーションを不可能にしてしまった。

映画は、その「バベルの塔」を隠喩にして、モロッコの荒地に住む少年が撃ったライフル銃が、世界に繋がっている現代の人間の様相を四地点
での同時進行の形で描く。

東京の場面は、アカデミー賞助演女優賞候補になった菊池凛子が、聴覚障害のあるいかれた高校生役。ウイスキーをあおり、クスリを飲み、すぐ全裸になる性癖の持ち主の行動を追う。その父役の役所広司は、アニマル・ハンティングに行ったモロッコで、帰国の際、ガイドにライフル銃をプレゼントしていた。

カリフォルニアでは、モロッコ観光の夫婦の2人の子どもを預かったメキシコ女が、2人を連れて、甥の結婚式に出るためメキシコに向かう。差別にイラだつメキシコ人青年の暴走車に乗り合わせて放置され、国境の砂漠をさまよう。

政府間の対立、繁栄のもたらす荒廃、どうしようもない貧困と格差、人種差別、移民問題、夫婦という壊れやすい人間関係、、、現代社会の抱える大きな課題についてのメッセージがつよく込められた労作だ。

  アレハンドラ・ゴンザレス・イニャトウ監督  ビデオ版



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「善き人のためのソナタ」を観る


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社会主義の罪は、いろいろあるが、独裁を維持するために言論の
自由を完璧に抑圧した。あらゆる人間を独裁のために奉仕する仕組み
に変革しようとしたのが、最大の罪悪であろう。そして皮肉な
ことに、そのことから社会主義体制の崩壊の穴が開いた。

この映画は東ドイツの諜報機関、国家安全保安省の徹底した人間
監視システム、標的にされた劇作家や女優の動静の物語であるが、
国家安全保安省の監視役自身が、自由に目覚めて、自分の属する
体制に無言の抵抗を試みた話。ナチズムに抵抗した「シンドラー
のリスト」などと同じように冷血無比の鉄の国家であっても、自
由の尊さと人間性に立ち返る個人がいるとことをドキュメントふ
うに描いて、感動的だ。

トイレから寝室、居間あらゆるところに盗聴器を仕掛け、その言動
を24時間、2人が交代で監視する仕組みの詳細は、非常に興味深い。
監視から逃れるための小細工、それを見抜きながら、泳がせて監視
を深める駆け引き、愛する劇作家の安全を計るため体を代償にする
女優、、、。

 ラストの改心監視役の台詞がいい。東ドイツ解放後、郵便配達
になった男が、劇作家の書いたタイトルの本を書店で買う。書店員
が尋ねる。
   「ギフト用に包装しますか」
   「いや、いい。僕自身のためだから」
 
 監督;フロリアン・ヘンケル・フオン・ドナースマルク
          ドイツ映画、ビデオ版

[不愉快な男たち」を読む

「私がアタマにきた68のホントの話」(講談社)という副題。
辛口で知られる人材育成会社経営で評論家、辛淑玉
(シン・スゴ)の本である。

男優先主義、男性中心主義の社会、会社で男どもが
いかに無能なクセに威張り腐っているか。

女性蔑視、女子ども視する立場から、社内外での際
限のないセクハラ、セックス暴力をする男どもを、
実例をあげて、コッパ微塵に粉砕、糾弾する。

強姦の男性に甘い警察、裁判所。被害者なのに
落ち度を攻められる女性。差別を差別と感じて
いない子ども大人の男性たち。

歯切れにいいタッチ。舌鋒鋭い。「ふざけるな」
「よくもま、これほど低脳な男たちがいるものだ」。
セクハラが懲りない男どものペニスをちょんぎって
しまえ、と言っている。

うーん。

「エンロン」(巨大企業はなぜ崩壊したか)を見る


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2001年、売上高でアメリカ第7位を誇った巨大企業「エンロン」が
不正疑惑が明るみに出てから、46日間で破綻、崩壊した。この映画は
政府の公聴会、元幹部社員、疑惑を追ったジャーナリスト、同社がパ
ブリックメディアとして公開していた映像資料などを駆使して、同社の
内幕を破綻にいたる経緯をつぶさに描いている。

日本でもホリエモンのライブドアはじめ大企業の腐敗不正が明るみに
でることが多いが、企業規模の大きさでは、到底比較のしようがない
巨大企業で、金儲けのためなら、いかにひどいことが組織的に行われて
いるか、を示して興味深い。

エンロンは1985年、天延ガスのパイプライン敷設会社で出発したが、わずか15年の間に金融、エネルギー商社、ブロードバンド会社に業容を広げて、いずれも高収益の奇跡の「模範企業」に成長した。

あまりの順風満帆のかげに不正取引、無謀投資、粉飾決算の疑惑が
指摘されて、坂道を転げ落ち始める。株の売り逃げした幹部たち、
30分で退去せよと迫られて社員たち、もてはやした経済アナリスト、
弁護士、銀行筋の無責任。公聴会でもシラを切る会長、紙切れになった株券、、、なんとも凄まじい勢いで破局にいたるドキュメンタリーである。

最後に狂言回しの人物が言う。うまい話には気をつけろ、と。
そうに違いないが、企業がうまい話のうえに経営を進めているかどうか
を一般が感知する機会はすくない。そこが一番の問題である。

「火宅の人」と「檀」を読む

檀一雄の「火宅の人」(新潮・現代文学全集)は昭和50年に完結した私小説。作家自身の分身と見られる小説家の怒涛の放埓人生記。酒と女と原稿書きに狂奔するさまを虚実入り混じって、つまり、どこからどこまでが本当やら、創作やらと延々と書いている。

家に体の不自由な息子を含む五人の父親だが、別宅をあちこちに構え、
かつ新劇女優ほか、さまざまな女と情痴の限りを尽くす。常識的には
父親、夫、世帯主失格は当然ながら、その泥沼の淵で生きることと死ぬことの人間の寂莫を描いている。

一方、この破廉恥、無頼作家を妻は、どう見ていたのか。そこを描いたのが沢木耕太郎の「檀」(新潮社)。妻を語り部にして、会話のような文体で、夫である作家の言動や狂態をつぶさに書く。気丈な奥さんらしく
陰々滅々なところがないのが救われる。モデル小説への興味もある。

こういうモノを二冊あわせて読むと、家族とは、結婚とは、人間とは
男女の仲とは、などという根源的な関係について考えさせられるものの
、しかし、こういった関係にはこれぞという正解はないもんだ。そのことがよく分かる。

映画「ディーン」を観る


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我が青春の大スター、一番のお気に入り俳優がジェームス・ディーン。
彼の死後半世紀も経ているのに依然として根強い人気がある。この
人気にあやかった伝記映画である。

当時聞きかじったゴシップや挿話が再現されて、懐かしい。幼少期から
大学を辞めて、NYの出て、俳優学校に入ってからの目覚しい才能の開花。TV主演からはハリウッド進出が時系列で描かれる。

とくに幼少期の母の若死、冷徹な父の対応が、彼をして愛情飢餓の迷い苦しむエキセントリックな性格を形づくったとされ、それがデビュー作「エデンの東」のキャル役と重なる。

ディーン役の俳優がキャメラ位置やコスチュームによては、実物と生き写しのように似ており、これも楽しい。いくつかの事実といくつかの推測で制作されたとエンディングにあるが、往時を懐旧するものには結構
いいひとときを提供してくれた。

テスト

このブログのフォーマットが変わったせいか、うまくアップできない。これは二度失敗したあとのテスト記事のつもり。

[老いの居場所」を読む

「時には死んだふり」という副題がついている。
短いコラムをかさねて、今風の老人の処世の智恵を
説いている。目新しくはないが、それぞれのエピソ
ードが地についていて、なるほど、と思わせる。
1925年生まれの、筆達者なオバサンの薀蓄集でもある。

「超長寿社会、理想の隠居道とは」では、世の中から時代劇
の出てくるような隠居さんが消えたのは、戦時中からだという。
壮年の男が戦地の取られ、残ったお年寄りは町内会長だとか
防空演習の責任者になり、これがまた威張りくさった、お上
の威光をタテに威張ったあげく、敗戦。威張る老人が敬遠され
てしまった。リタイヤしてから、急に趣味を持て、楽しみを持て
といってもムリなこと、そっと邪魔にならずに「死んだふり」し
て生きるのが、隠居の道という。

「冠婚葬祭での長男の嫁」では、こういう。田舎で本家分家などと
いまだに言っているところでは、長男の嫁は大変です。嫁以外は
責任なくペチャクチャしゃべって帰る。着物一つでも長男の嫁は
留袖。地元で借りたりすると、借りた値段までオヒレがついて近所
にわかってしまう。こんなのがイヤで田舎に帰るのに抵抗を覚える
、、、。まあ、筆者もそうゆう気持になった人を知っている。
  式田和子著 うなぎ書房刊
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