「それでもボクはやってない」を見る



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遅ればせながら、昨年、上映された日本映画のなかでベスト作品賞を総なめしている感がある「それでもボクはやってない」(諏訪正行監督)
は、面白い。日本の刑事裁判がかかえる問題を痴漢の疑いで逮捕された青年を主人公に描いている。

26才のフリーターは就職の面接に遅れまいと、満員の通勤通学電車に
駅員に押されるように乗り込む。背広の後ろがドアにはさまれたのを
気にして、もぞもぞと背広を引っ張ったりした。

前にいた女子高校生が悲鳴をあげて、下車した駅のホームでこの女高生
に腕をつかまれ、お尻を触ったとして痴漢にされ、駅乗務員室へ、、、これが発端だ。

逮捕されて留置されて、刑事たちは犯行を認めろとせきたてる。最初にやってきた当番弁護士は開口一番「痴漢を認めて、釈放された方がよい」と事実認定どころか、はじめから容疑者扱い。

青年が頑強に否認するほど、容疑が深まり、自白するまで釈放されない。代わった女性弁護士とその先輩弁護士の奮闘が始まり、無実を主張して裁判へ。

先輩弁護士は、こんなことをいう。この国では起訴されたら、99・99%の有罪判決。国家権力である検察の判断が事実上の有罪判決。裁判官は無罪判決をだすのは、検察に逆らうことになり、国家権力の覚えがめでたくない。当番弁護士がいきなり犯行を認めるように言ったのも、
その流れの一端である。

判事、検事、弁護人の三者の力関係は、検察が主導しているようだ。この国の容疑者は、検事による起訴とマスコミ報道による社会的制裁で断罪されている。目撃情報が得られず、証拠もないが、被害や被害者証言はある、という犯行では、いったん捕まれば起訴→有罪判決しかないのか。

ああ、福士自滅


女子長距離ランナーの第一人者、福士が大阪国際女子マラソンに一般参加して、19位、意識もうろう状態でゴールした。レースははじめから
福士が引っ張り、34キロまでに二位以下を600メートルも引き離す
独走だったが、そのあともろくも失速した。

あと五キロくらいからは、足がもつれ、コースに前のめりに倒れる始末。沿道の声援を支えに気力で走り、スタジアムに入っても三度も倒れた。近来、例のない痛ましい、むごい走りとなった。とても悲壮だが、賞賛すべき根性ものといったことではすまされない。そばにいたコーチは、なぜ棄権を判断しなかったのか、これも奇妙だ。

参戦の時期からして、福士はろくにマラソンを練習していないのに、なぜ参加したのか。報道によれば、昨年末になってからの参戦決意である。素人考えでも、マラソンを十分な準備なしに走るのは、困難であろう。

福士とコーチはマラソンを組し易しと軽くみたのだろうか。北京出場だけなら、一万や五千メートルで、ラクに果たせるのに、なぜマラソンか。福士のランナーとしての次の段階をマラソン転向と計画したとしても、今の時期がタイムリーとは思えない。

福士参戦の発表からのマスコミのめちゃめちゃの盛り上げ方は異常。今朝の新聞にはマラソンレースの予告としては異例の全面カラー広告で福士出場を載せていた。曰く「陸上、最後の衝撃」と詠い、福士の笑顔の写真をバカでかく載せている。放送でもコーチが五キロごとに沿道に顔を出して福士にアドバイスを送る、福士の両親が御堂筋で応援し、スタジアムのスタンドにいてゴールを迎える、、、こうした神出鬼没はテレビや大会関係者の便宜供与で行われたのであろう。

この盛り上げ方の異常さからして、類推すれば、これはあのボクシングの亀兄弟を煽ったのと同じである。つまり、福士の突然の参戦は、テレビ関係者が画策した、「予定されたビッグイベント」つくりのパーフォーマンスではないか。そして、それに乗った福士と状況判断できないコーチが、こんな惨憺たる結末になった。そう思えてならない。テレビは
競技者の明日など考えもしない。視聴率を上げさえすればよい。もう、そろそろ、こんなメディアに乗らないことだ。

長距離ランナーにしては、実に明るく楽しげな福士。その得がたい資質が、こんなことでつぶされないように陸上フアンとして切に願っている。


hukushi


             写真はASAHI,COMから


捕鯨反対



アフリカ象は地上最大の動物。インド象やスマトラ象も大きいが
アフリカ象ほどでない。アフリカ象は大きいばかりでなく、気性
が荒く、そして牙も大きい。

したがって、動物のなかでも一番、強い動物であるが、唯一、天敵
がいる。それは人間である。

人間はアフリカ象を捉えて動物園に送り込むほか牙を奪うために見
つけしだいに虐殺していきた。アジアの人が好きな高級なハンコのために象は殺されてきた。

女性のアクセサリーや部屋の飾りの置物のためにも殺されてきた。
あらゆる象の生存にかかっているのは、象の生息する環境破壊を
含めて元凶は人間の行為にある。

クジラは水中最大の動物で、現代では多くの国が捕鯨に反対して
保護している。その論拠は、
クジラの捕獲を続ければ絶滅する恐れがあること、そうなれば海
の中の大きな生態系が壊れる可能性があること、さらに捕鯨の仕
方は苦痛を与える残酷な殺し方であること、クジラは知能が高い
動物であること、捕獲したクジラの利用の仕方がいい加減なこと、
などが反対の理由に挙げられている。

歴史的には、欧米も日本も大いに捕鯨をしてきたし、とくに日本ではクジラは重要な食料であった時期がある。しかし、クジラの食文化はいまや限られた一部の嗜好であり、日常的な食糧にはなっていない。獲れないからクジラ食文化が衰退しているのではなくて、日本の食生活が豊かになり、敢えてクジラを食べなくても蛋白質飽和状態にあるからだ。

日本はもう20年も「調査捕鯨」の名目で年間1000頭以上を捕獲している。国際捕鯨条約で認められいるとはいえ、だれが見ても、「調査」ではなくて、抜け道にしているのは明白である。

農水省と水産関係者の利権を守るために捕獲していると見られている。
狡猾なやり方である。調査であるとすると、捕獲数が多すぎるし、期間も長い。毎年やることではない。

もう一つ捕獲を続けている理由は、クジラは自然界で増えているので
絶滅することはないということを挙げているが、これは論拠が弱い。
なぜなら、自然界にあってはクジラに限らず、生物の数は自ずから生息数が調整されているもので、自らの生存を脅かすほど増えるものではない。自然界では適度のバランスを保っているものだ。

人間の都合で他の動物を殺していいという理由が成立するためには、
ちゃんとした理屈が必要である。コウノトリや旅行鳩が絶えたり、
象やマグロの減数が問題になっている背景に人間の営みがある。

クジラを捕獲する日本に国際社会は生態系の保護といった論点から、
嫌悪感を持っている。日本が調査捕鯨の名目で獲ったクジラが、ど
のように学術的意義があるのか、鯨肉や鯨油はどう利用されているのか、ちゃんとした説明を聞いたことがない。そうした説明で嫌悪感を
克服できるのか、どうか。捕鯨日本の国際社会における国益はどのよ
うなものがあるのか。

なによりも、クジラは家畜でない。牛やニワトリのように人間の都合で
増減できるものでないことだ。まだ飼育も養殖もできない。よって捕鯨に反対である。



「ロッキー・ザ・ファイナル」を見る


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シルベスター・スタローンのロッキー・シリーズ6作目。タイトル通りラストの作品らしい。

(ラストといっても、またぞろ次のラストのラストが出たりするのが、この世界だから、本気にしない。なぜなら。このタイトルは日本版向けで、原題は「ロッキー・バルモア」。つまり劇中の主人公の名前だからである。日本版向けは興行を煽る名づけかな。引退したはずの元スターが復活する話って多いからね。)

とは言っても、三十数年前からシルベスター・スタローンの活劇を見てきた
者には、心躍る懐かしさがある。あの間奏曲が鳴ると、ワクワクするところが、うれしい。別のシリーズ「ランボー」ものと同じで、シルベスター・スタローンの宙を行く大活躍、大奮闘を楽しめる。

妻の死なれ、息子の反発され、過去の栄光を元でにイタリアレストランをやっている還暦のおっさん、ロッキーが、今一度の栄光を賭けてリングに上がる。現役ボクサーの人気回復作戦に乗ってしまうのだが、乗ってからの猛烈トレーニングなんかは、従来のシリーズものと同じなので、苦笑しつつ、しかし面白い。最後のリング上での死闘シーンには過去の作品からのシーンもフラッシュのように挿入して面白く迫力があった。

一人暮らしの人物の寂寥感を現すのに、アメリカ映画は、よくこんなシーンを使う。ロッキーは水槽に亀を飼っていた。亀にエサをやり、窓を開けて鳩にエサをばら撒き、外出する際、鉄棒にブラ下がっている。そういう出だしで、人物の置かれている状況を説明している。これって定番くさいが、興味深い人間の描き方。

監督脚本も本人。ビデオ版

[そうかもしれない」と「老親ろうしん」を見る。



yuki



二つとも高齢化社会の現実を家族が悪戦苦闘して、支える話。
「そうかもしれない」(保坂延彦監督)は地味な老作家が、だんだんボケてゆく妻を困惑しながら、優しく支えるが、本人も咽喉ガンを患い、認知症になって入院している妻よりも先に逝く。妻は夫のいない家に車イスで連れて戻され、あらぬ視線で庭をみつつ、にやっと笑う。

買い物バッグを提げて妻はブタとネギを買ってきたという。バッグには何も入っておらず、ああ、店に忘れたを叫ぶ。作家は肉屋を訪れるが、
奥さんは買い物にきてませんよ、と肉屋の主人。ボケの発端は、こうして始まる。

一方、「老親」(槙坪多鶴子監督)の方はサラリーマンの妻がボケ始めた暴君の義父の面倒を見る。義父には娘が二人いるが、長男の嫁が見るのが当然と冷たい。長男は仕事、仕事と逃げまくる。無理難題を吐く。寝ぼけ、排泄物で汚し、食事をこぼす義父。たまりかねて離婚、奈良の住まいから東京へ
逃げ出すが、なぜか義父は追ってきて、またも面倒を見るハメに。

認証症の役を妻は雪村いづみ、義父は小林圭樹。ともにうまいもんだ。
日本人俳優は男は兵隊、女は娼婦をやらしたら、みんなうまいというが、この二人のボケ役が迫真的なのに驚かされる。ボケ役がこんなにうまいのは、男女ともに人生の終末期には同じように発現する資質を持ち合わせているからかもしれない。

よくできた映画。暗く陰鬱な物語であるから、二つともそこはかとなく
軽いノリで、コミックに演出している。そうでなければ、メッセージ
ばかりでエンタメにならないからだろう。しみじみ考えさせられのだが、ボケた老人を抱える問題が、結局は介護や医療や終末期の処遇の問題指摘に留まり、温かい、しかし、きわめて犠牲的な個人の献身によるサポートの域でエンディングで終わるのは、なんとかならないか。


manda


「ブラック ブック」を観る


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ナチス・ドイツが猛威を振るった第二次世界大戦中の1944年、占領下のオランダを舞台に地下運動で抵抗したレジスタンスとドイツ軍との謀略戦を描いて、秀逸な戦争物語になっている。

避難するユダヤ人をかばうふりして、ドイツ軍に情報を売って儲けるレジスタンスの偽者たち、虐殺したユダヤ人の身ぐるみ剥いで宝石類を奪うドイツ軍兵士たち、レジスタンスのメンバーには入り、色仕掛けでドイツ軍大尉に迫る美しい女性歌手。この歌手を軸にすえて、レジスタンスの内情、ドイツ軍の退廃を描く。

レジスタンスは崇高な対独抵抗運動というこれまでの定説から一歩踏み込んで、レジスタンスのなかでも人間の欲望や金銭欲のために、味方を裏切っていた、醜い連中がいたことを暴く。戦後、英雄として民衆から歓迎された医師が、じつはドイツと通じていたことなど人間不信を増幅するエピソードはショッキング。

心身ともに疲れ果てた歌手は戦後、イスラエルのキブツで子どもたちを
教えている。ここが彼女の安住の地のような印象を与えて、エンディング。こういう結び方は、その後の中東和平問題に思いを寄せると、ちょっとわかりづらいが、予想外の場面展開続きで楽しめる。


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ポール・バーホーベン監督 オランダ、ベルギー、英、独合作
        WOWWOW 放映版

「父親たちの星条旗」を観る


「硫黄島からの手紙」とともに製作されたクリント・イーストウッド監督の日米戦争ものの映画。これで二度目だが、今回はWOWWOWで観た。

太平洋戦争の激戦地、硫黄島の日本軍守備隊を米軍が陥落させたとき、擂鉢山に立てた星条旗の決定的写真はよく知られているが、それが撮影されたときの真相と、そのとき生き残って英雄にされた三人の兵士の後日談。



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アメリカ政府は戦費を調達するため、この激戦地での死闘の写真を最大限を利用することにして、三人の兵士を無二のヒーローに仕立て上げる。全米各地でショーまがいの講演会を開催、銃後の戦意高揚に利用した。彼らの口から国民に国債を買って戦争に協力してほしいと煽ったのだ。

ところが、問題の写真は、最初に立てられた旗の代わりに立てたときのもので、カメラマンの注文で撮ったもの。おぼえのない勲功で英雄に祭り上げられた三人の兵士の戸惑いをよそに、彼らを引きずり回す軍部、熱狂する国民、、。

日本でも古くは肉弾三銃士とか、死んでもラッパを放さなかったキグチコヘイとか、軍神の乱発とか、誠意昂揚に虚実とりまぜた挿話が作為されたが、アメリカでも、そうだった。こういう世論誘導をすることが、戦争を遂行するためには不可欠の銃後対策であることがわかる。いまもイラクやアフガニスタンでも操作され続けられているにちがいない。この映画は、その点へのつよいメッセージであろうか。

英雄の一人は、インディアン出身。英雄視されるかたわら、公然と差別される。アメリカの不条理に苦しみ、戦後は見放されて、農家の納屋で野垂れ死にする。

「この日本で老いる」を読む

第二位の経済大国、第四位の軍事費支出大国、、、いろいろな
顔を持つ日本でお年寄りになることは、どれほど面倒なことが
あるか、幸せな余生を送れるか、、というようなことを医師で
ある大学の教授が、データをあげて説明している。

最後の章は、宗教的な側面から描いている。キリスト教や仏教
に深く帰依した高齢者がやすらかに人生を全うする姿を詳述
している。この章が示しているように、いかに疾病や家族関係
や加齢の孤独から自由であったとしても、最後は内面の悟りと
いうか、精神の充実という領域なしには人生を安らかに
終えるのは難しいこととしている。

老齢による心身の衰退のうち、記憶力の減退について、その原因
や対処の仕方にも詳しく言及していて、興味深い。
記憶障害には、短期と長期がある。ついさきほどのことは、すぐに
忘れるが、遠い昔のことが細部まで覚えているのは、どういうわけ
か。アルツハイマー病型と脳血管障害型の記憶喪失の症状の違い
などは面白かったが、最終的には、若者のような活気ある記憶
というものは望めないらしい。

   京都府立医科大教授、中島健三著 世界思想社刊
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