ああ、阪神タイガース

開幕3連勝、阪神タイガースは絶好調の出足です。
長年のフアンといたしましては、嬉しいが、大丈夫か
な、いろいろ心配する。例年のように取り越し苦労す
る。

運動会の駆けっこで先頭を切ってるのは、いいけど、
みんなに押されて転んだり、靴が脱げたり、息切れし
たり。先頭はほんのつかの間のぬか喜びではないか。
そのうち、ずるずる後退するのではないか。

長年のフアンといたしましては、ドキドキハラハラの母
親みたいな気持になる。先頭を走っているから、もう大
丈夫という気にならないところが、われらの阪神タイガ
ースの持ち味。

プロ野球界切っての老舗チーム、
数々の名選手を輩出したチーム
セ・リーグで唯一、大阪の地元チーム

といった環境からタイガースは、実力以上の熱心なフア
ンに支えられている。それをよいことに阪神の親会社は
本気で優勝を目指す、なにがななんでも勝ちにこだわる
強いチームに仕上げるという気が、伝統的に希薄。人気
があって観客動員が電車の乗客に反映されたら、ラッキ
ーといったふうに感じられるところがある。熱狂的なフアン
とそろばん勘定優先の球団の温度差に著しく格差がある
稀有なチーム。

岡田監督は名将なのか、やる気があるのか。
ベンチの監督の表情をTVで見る限り、
この人の熱意というか、情熱というか
そんなものがまるで伝わってこない。
どちらかといえば、やる気の感じられないタイプ。

「アホの坂田」(坂田自身のウリ)と似ている茫洋とした風貌
が、勝負の世界には不向きなんだろうな。現役時代、アメリ
カ人のブレザー監督に忌避されていたのは、この人のファイ
ティングスピリッツを見せない姿勢のせいだったな。

星野や長島タイプも好きでない。五年目になる岡田監督。
投手起用にJFKを創設したのは岡田監督の手柄。はやく
戦力全体に岡田カラーを生み出して、優勝を目指してほしいね。

フリーダム ライターズ」を見る

hirary


ヒラリー・スワンクは芸達者な若手女優。見方によっては、怖いとか、きついとかの印象が残るマスクで、よくぞハリウッドで自分の立ち位置を築いたものだ。昨年は「ミリオンダラー・ベイビー」でアカデミー主演女優賞を取った。

彼女が銃とナイフとドラッグ、性の混乱が蔓延するロスのダメ高校の教師に赴任して、ダメ生徒を一人前の高校生に成長させるお話。アメリカ映画にこの手の更生譚のテーマが多いが、これは実話に即しているそうだ。

「皆さんの知っている人が殺された経験がある人、手を上げて」と言うと、クラス全員が挙手。一人どころか、四人まで殺されて、という生徒もいた。ロス暴動のあと、黒人が流入してきて指導困難高校になり、ベテラン教師たちはまったく指導意欲を失い、やる気がない。「彼らには知的向上心を教えるのはムリ、せいぜい規律を守らせるようにするだけ」と話す先輩女教師。卒業まで残る生徒はほとんどいない。

スワンクの新米先生は、ここで孤軍奮闘。生徒たちの教材費をかせぐためにブラの販売員、ウエイトレスと二つのバイトをこなす1方、無理解な上司、堅物の教育委員会に談判。半面、家事や旦那をほったらかしたためか、ダメ亭主が愛想つかして離縁してゆく。

スワンク先生は生徒全員にノートを与えて、日々の記録をつけさす。社会見学に連れ出す。ユダヤ人に対するナチスのホロコーストを展示するミュージアムに行く。生き残りの語り部を募金活動で得た資金で招待して、話を聞く、、、、、。徐々に生徒たちは閉ざした心を開き、荒廃した暮らしからシフト少し大きい文字してくる。

白人地区に流入した黒人たちの貧しい生活、凄まじい犯罪環境、根っからの差別、無気力な教委や先生たち、俺と生徒どもとどっちが大事なんかと責める無分別な亭主(こんな台詞は少し前までは妻の吐くものだった。様変りは、それなり興味深い)。奮闘する女教師がアメリカの重荷を背負ってがんばり、マア、嫌みのない映画に仕上がっている。ヒラリー・スワンクの映画は、面白い。

R・ラグラヴェード監督   ビデオ版

Qチャンの失速

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(写真はasahi.com)


名古屋国際女子マラソンで復活が期待されたQちゃんが、なんと
8キロ過ぎで失速、多くのフアンが仰天、がっかりした。失速後も
伏し目になって完走したのは感心でもあったが、痛々しかった。
あとの会見で昨年8月、膝の手術をして、練習不足と分った。

そんな大事なことを隠すな、と言いたいが、マイナスイメージを
発表しないのは、プロの戦術の一環。止む得ないか。釈然とし
ないけど。

Qちゃんは、尊大なところ、傲慢なところが微塵もない感じのいい
スポーツウーマン。笑顔と元気がウリのいい印象なので、国民的
人気がある。それだけに8年ぶりの五輪出場を夢みていた人は多
くいただろう。

挫けずに、再チャレンジを期待しよう。
今朝のスポーツ紙を見たらQちゃんは、今後、その人気を利用して
、政治家、タレントなどに転向かと、無責任な記事を大見出しで。

活躍していたら、輪に掛けたヨイショ記事。失速したら、揚げ足取り
した挙句、なんの根拠もない観測記事。


マスコミというのは、自分は何一つ関与しないのに、上げたり下げたり。
ほんと食えない存在だな。負けるな、Qちゃん、がんばれよ。

Love is over

地域誌主宰、エッセイストなど多彩な活動をしている森まゆみの「昭和
ジュークボックス」(旬報社刊)を読んだ。彼女は五十代前半かと想うが、
彼女や彼女の周辺の女性たちが、このlove is overが好きなんだそうだ。
カラオケの持ち歌にしている人が多いという。

love is、、、は台湾から来日した歌姫のはしり、オーヤンフィフィ(欧陽菲菲)
が「雨の御堂筋」のヒットのあと低迷したのち、蘇った歌である。1980年
とあるから、もう二十数年も前になるか。love is、、、、がリフレインされる
切ない恋の別れ歌。

森まゆみは、こう言う。彼女はワセダだが、1970年代当時、文系の大卒女子
の就職先はほとんどなかった。商社も銀行も門戸を閉じており、教職を取って
センセイに逃げこむか、外資系が精一杯。あのソニーでも履歴書に親の資産
なんか記入する項目があったそうな。

男子学生たちは日頃の資本主義社会や政権批判、理想や夢を放りだして
長髪を短髪に、紺の背広に身をつつみ次々と大手企業に就職。その変わり身
早さに女子学生たちは唖然、茫然。キャンバスで育てた恋も不実な男に打ち
捨てられて、泣きの涙で帰郷した女子学生も少なくなかったそうだ。

中高年にさしかかったインテリ女性たちは、多難だった来し方を思い、love is、
、、に特別な心情を託しているのかもしれない。

もう一つ。あのピアフの{愛の賛歌}をカラオケでも歌い、頼まれれば結婚式で
も歌っていた森まゆみに、歌手美輪(丸山)明宏が言ったそうな。「愛の賛歌は、不実
な男への別れ歌」とか。

そうだとすれば、とても結婚式で歌う内容ではありませんね。知らなかったな。
あの越路吹雪の力いっぱいの絶唱を聴いていたし、タイトルからも至上の愛
を歌い上げたものとばかり思っていた。この間、ピアフを題材にした映画の主
演女優がアカデミー賞を取った。この歌のいきさつもきっと描かれているに違
いない。

高校駅伝で一区の留学生排除

なんともまあ。時代錯誤な、まるで鎖国主義のような排外的な決定をしたものか。今朝の新聞をみて、笑っちゃうほど呆れた。

師走の京都の街を駆け抜ける恒例の高校駅伝(男子)。一区は最長の一万メートル。この十数年、一区走者のトップ争いはアフリカからやってきた外国人留学生(実際には勉学のためでなく、私学の広告塔の役割というくらい、みんな周知のことだが)たち。これではレースが面白くない、日本人選手の意欲をそぐ、というのが排除の主な理由とある。以前、外国人留学生の参加数を制限したと思っていたら、こんどはこの愚策。

一体、どんなスポーツでも競技力というのは国際基準で争われるもので、日本人選手だけで「勝った、負けた」とやることに、どれほどの意味があるのか。この門戸開放の国際化の時代に日本人高校生だけで記録争いして、どんな教育的効果があるのか。

高校生といえども世界の競技人口は広く深く、とてつもない実力を持つ
同世代がいることをまざまざと見る方がよっぽど教訓になり、励みになるのではないか。実際、留学生に負けたくないと踏ん張った日本人選手もいたではないか。勝てないまでも、留学生たちのように速く走りたいと高い理想を求めて研鑽した高校生も多くいたはずだ。

駅伝レース争いの興味が損なわれるという考えにも、恐れ入るね。高体連はいつからエンタメの興業主になったのか。組織から言って高校の先生たちの集まりであろうが、なんという愚かな負け犬思考であることか。こういう先生方を指導者としなければならない高校生は気の毒だ。

陸上の世界選手権や五輪種目は、日本人選手だけでやってくれるのか。
ケニヤやエチオピアの選手と争わないで済むのか。

記録争いの興味をそぐなどと言って排除するくらいなら、逆にいえば、もう陸上のトラック競技などは、日本人は一斉に練習を辞めればいい。なぜなら、たとえば100メートル競走なんか、おそらく永遠に日本人は五輪でも世界陸上でも勝てないだろうから。

スポーツの意義は、機会均等な舞台で一途に体力・能力を競って明快な記録争いや勝負を分け合うのことにある。それとともに競い合う成長と過程に人間ドラマを楽しめることにある。スポーツの醍醐味を、こともあろうに教育と一体のはずの体育集団が損なうとは、考えもしなかった。


ekiden

[クイーン」を観る

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昨年のアカデミー主演女優賞を取ったのが、この映画でクイーン・エリザベス二世役を演じたヘレン・ミレン。写真でお分かりのように、ソックリさんの装いだ。ダイアナ元妃の不慮の事故死に苦悩する女王を宥め、励ますのが、本質的には王制なんか認めないはずの労働党党首で首相のブレアというのも、おかしいが、このブレヤ役もソックリさんが演じている。周りの女王のご亭主はじめ衆知の人物も、みんなそうだ。

いつも想うことだが、英国王室についてのフリーな表現、批判である。これほどのソックリさんを演じさせ、まだ湯気が出ているような近々の王室の不祥事をエンタメの物語に仕立てあげることができる風土というのは、やはり凄い。言論の自由とか民主主義の定着ぶりと考えるのには、買いかぶりかもしれないが、社会がいろんな異質のものを幾層にも抱え込んでいて、多様な表現の許容できる度量が広いというべきか。

最初、ダイアナの訃報に冷たい女王に対して、何もせずに国民の税金で暮らしている結構な身分とか、急遽の世論調査で国民の四人の一人が
王制の廃止を望んでいる、といった新聞報道が画面に織り込まれていく。ヘリからしか眺望できない広大は森に王子らと身を隠し、大鹿を撃つというご亭主との日常的な会話、「ダイアナって奴は面倒ばかし起こす」。

ダイアナに冷淡な態度を取ったためテレビや紙面で四面楚歌にさらされた女王が、それを口にして、心を痛めるシーンなどは、とてもわが国では映画化できないのではないか。そういうことをあからさまに言うことに抵抗勢力が多いだろうと思った。彼我の言論の自由についての抑制の違いがよく分かる。また映画としても、実写のニュース画面と王室、政府関係者のソックリ劇で非常によくできていた。

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