お目玉

夏場所、千秋楽の両横綱が取り組みのあと、押したり、剣突くらわしたり、
一瞬にらみ合った。あまり褒めたことではないが、前日に琴欧州の優勝を
決められており、ふがいない横綱としてはストレスも溜まっていたのに違い
ない。

この程度のからみあいは、他のスポーツならしょっちゅうある。にらみ合い
どころか殴り合い、喧嘩、ののしりあいはつきものである。むろん、ない方が
フェアである。しかしスポーツには褒めたことでないが、競技者の闘志であり、
ラフ・ファイトも見ものの一つである。

ここで肝心なことは、そんなことで所属チームや連盟からのお目玉
があっても、国家が口出すことはない。なのにである。大相撲でのラフ・
ファイトについて、すぐに文科大臣が横綱の品格を疑う、いかがなものか
とくちばしをいれる。相撲協会も直ちに呼応して横綱を呼んで厳しく叱正
した。好ましくないのなら協会が先に反省すればいいことである。

この対応がだらしない。相撲協会は一方的の国技だと名乗っているが
国技であるのは自称であって、なんの裏づけもない。主要開催場所の建物
を国技館と名づけているだけである。あえて言えば財団法人格を得て、税金
の援助をうけていることくらいである。法人格を受けているスポーツ団体は山
ほどある。

横綱の態度について大臣に文句を言われるおぼえがないのに、へいこらして
恭順の意を表す協会がだらしない。独立したスポーツ団体の誇りも威信もない。

三浦雄一郎の挑戦

三浦さん 75歳、二度目のエレベスト登山達成のニュース。
あの評判悪い「後期高齢者」が、こんなにがんばれると手放しで喜んでいいのかどうか。
いい加減にしなさいよ、三浦さんという感じである。

もっとも、登山という遊びは個人的な楽しみである。山に登ったといって世の中に役に立つわけでない。それを承知で過去、命を賭けて世界の高山に多くの登山愛好者が登り、そして多くの人が落命した。その熾烈な競争の結果、世界の名だたる高山は登頂されつくして、いまでは登頂の登山史的な意味はなくなった。むりやり意味あるようにするには、条件の付与である。単独、無酸素、アルパインから、女性で初、○国人で初、最年少、最高齢、何回目、、、、個別条件で差別化した名誉争いである。

最高峰のエベレスト登頂もサポートさえしっかり確保できれば登れる山になって久しいから、登頂の意義はまったく個人的な満足にすぎないが、三浦さんの計画には、この条件別の名誉獲得という思惑があった。

三浦さんは70歳のときに登頂に成功している、今回、75歳で二度目の挑戦をしたのは、最高齢登山者の記録更新(5月15日までは71歳、柳沢勝輔さん)をめざしていた。ところが、皮肉なことに26日、76歳のネパール人男性、ミンさんが登頂したので、その翌日達成した三浦さんは、記録更新にはならなかった。三浦さんの日程はチベット暴動や中国隊による聖火登山隊に狂わされたらしく、ミンさんの後手になったようだ。仮に先に登ったとしても、後続のミンさんに追い抜かれ、「最高齢」の名誉は三日天下に終わる可能性があった。

25日にミンさんの成功を三浦さんは聞いているので、当初の目的からいえば、もうUターンして下山してもよいのだが、下りなかったのは、おそらく今回の計画に営業の問題があったからだろう。つまり彼はプロなので、今回の登山計画の企画、登攀行動はスポンサー持ちになっているにちがいない。随行者のすでに四回も登頂しているカメラマンがいるからして、いずれTV番組化されるにちがいない。

結局、トシよりのがんばりは、「世界最高峰に立つ最高齢登山者」を売りにした冒険ビジネスだったのだろう。ビジネスが一概に悪いわけではないが、すなおに年寄りの健闘を喜べないのも事実である。
ほんとうのスポーツマンなら、こうしてトシ争いみたいなことに加担しないほうが好ましい。

映画「ドライビング・ミス・デイジー」を観る


dr


元教師の八十過ぎた白人女性と黒人おかかえ運転手の交流物語。成功した息子がいて、豪邸に住み、黒人のお手伝い女性のかしずかれる女性が、ある日、ドライブに出掛けようとしてギアを間違え車を転落させてしまう。

心配した息子が、給料を息子持ちで黒人の中年男性の運転手を雇い、女性の元に送り込む。誇り高kく、人種差別意識を持っているが、元教師だから、その点は隠している女性と運転手の間で、さまざまな差別、侮蔑、誤解、思い込みなどの行き違いが生まれる。そのひとつがドラマの筋に。

やがて十数年経過。いまや老人ホームにいる女性を息子と元運転手が訪れる。息子にあっちに行けと、席を外させて、運転手の手を握って放さない女性、オヤツの時間に運転手の差し出すスプーンからおいしそうにケーキを食べる女性。

あんまりむずかしいことを言わず、叫ばず、人間同志の付き合いを重ねれば、しだいに肌色を越えて人間関係が築けるという物語。この手の物語は、たいてい優位に立つ側が、劣位にある側の辛抱強い忍耐と寛容にほだされて、差別意識から解放されてゆくパターンが多い。差別される側は二重、三重に負担を背負うのである。黒人側にすれば、理不尽な話で、なんでこんな目にあうのや、という気持があるだろうな。これは白人の側の思いあがりの視点で映画が作られる陥穽である。差別の解消は、恩恵とか慈善ではないのだ。

とはいえ、じわじわと心を打つ小味な作品である。1986年のアカデミー作品賞受賞作品。主役、ジェシカ・タンディは主演女優賞を取った。運転手のモーガン・フリーマンがいい味を出している。
監督ブルース・ベルフォード ビデオ版

「エディット・ピアフ 愛の賛歌」を観る


edi



「バラ色の人生」、「バタン・バタン」、「愛の賛歌」などの歌を知らない人はいない。私の若いころはシャンソンが歌の世界で大きな位置を占めていて、ふだんもよく聞いた。シャンソン歌手を名乗る歌手が日本にも多く居た。いまはアメリカンポップスが全盛。そういえば、フランス映画も元気がないな。

この映画は、シャンソンの世界で一世を風靡したピアフの苦闘の伝記。どういうわけか一代の成功者というのは、豊かな恵まれた家庭の坊ちゃん、嬢ちゃんからは育つことは稀。

ピアフもどん底の貧窮の育ち。路上で歌い投げ銭をもらう母、一時は娼婦宅に預けられ、その後引き取った父は大道芸人。食うや食わずの境遇ながら、歌がうまく母とおなじように、しがない町の歌うたい。

ところが、これも成功者譚によくある話だが、巴里きっての劇場のオーナーが偶然、耳にしてピアフの歌唱力に驚嘆、メジャーデビューの道を開いてくれる。とんとん拍子にスター街道。アメリカ巡業も大成功、世界の歌手に。

妻子持ちの世界的ボクサーとの恋。滞在中のアメリカで、ボクサーの帰国を待ちわびて夢かうつつ、忘我の境地。ああ、戻ってきた。飛び上がる歓喜。彼に贈る時計を探して見つからず、いらだって付き人に八つ当たりしているところにマネジャーの声。「(彼の乗った)飛行機が墜落した」。

悲しみで狂乱のピアフ、廊下をふらついて歩く。カメラは哀しむピアフを前から背後から写し、ピアフの歩くままを追う。廊下の先が舞台に変わり、大きなカーテンが開くと満員の聴衆。湧き上がるような「愛の賛歌」の絶唱。いかにも映画的な手法で盛り上げる場面は感動的だった。

薬物中毒で横たわるピアフ。フラッシュバックで半生の思い出と今がめまぐるしく織り込まれて、ややこしいが、深い映像で興味深い。

ピアフを演じたのは、フランスのマリオン・マティヤール。昨年、この映画でアカデミー賞主演女優賞。監督、オリヴィア・ダアン   ビデオ版

(それにしても一昨年のアカデミー主演男優賞は、「レイ」で盲目の歌手、レイ・チャールズを演じたジェイミー・フォックスだった。映画の題材が、こうゆう伝記を好んで取り上げるのは、いいことか、どうか。オリジナルないい本がないということなのかな。もう一つ、ピアフとは「すずめ」のこと、こちらにも、「ひばり」という歌姫がいた。歌い手の名前は東西似たようなネーミングになるものだ。日本人の感性なら、囀るすずめに歌い手を連想しないのでないかなと思ったり)

温暖化

北海道で季節はずれの夏日があって驚いたら、
こんどは雪だという。大阪でも急に寒くなり、しまいこんだ
セーターを引っ張り出したり、コタツをセットし直した人の話を
聞く。遠くビルマのサイクロンの暴威も空前のものである。

こんな気候変動があると、そこらへんの(失礼)オバサンや
オジサンまで、急に大局的で、学術的な問題に目を向ける。

「やはり地球温暖化のせいかな」
「ほんと昔はこんなことはなかった。地球は大丈夫なのか」
「孫が大人になるころには日本も熱帯になるってねえ」
こんな漠然とした,だが、切実な不安、危惧の嘆息を話している。

季節やお天気の話題は、日常的にだれにも好まれているから
晴れたの、雨だのと一喜一憂するけれど、昨今のように気候変
動を見聞して地球環境の将来や人類の暮らしの安全にまで、
ふだんの会話に現れるのは、やはり異常な事態だな。こんな
心配をする人々がこんなに大勢居るのは、人類史上初めてだろ
うな。空から天が降ってくることを心配した中国人いらいのことで
ある。

いまもって地球温暖化なんて、人間の経済活動の負の結果
ではない。地球と宇宙にかかわる大きな自然現象のせいだ、
氷河期があったように、温暖化期がやってきたのだ、、、という
説を唱える人もいる。

世界の経済活動を引っ張っている企業や工業化を望む開発途
上国は、温暖化の原因を経済活動のせいにしたくないし、温暖化
抑制のために高いコストを負担するのに消極的である。

北海道で今夏開かれるサミットの主要テーマに温暖化が取り
あげられるが、あの会議は年一回の首脳の顔合わせにだけ
意義が残っているような無意味な会合なので、おそらく何も
進展しない。論議するポーズに終わるにちがいない。

簡単に言えば、温暖化が人間活動のもたらしたものとすれば、
損すること、暮らしの水準を今より下げること、この二つの命題
を甘受しなければならないが、そういうプログラムは、これまで
の人類の汗と涙の「進歩」を全否定するからである。

結局、筆者もふくめて世のオジサン、オバサンたちの疑念は
これからも氷解することなく、空を仰いで、あれこれ嘆息する
ばかりであろう。

山を汚すもの

行きつけの低山の年中行事が山頂でありました。
この山に何度も登っている人たちの顕彰会があります。
大勢の登山者が初夏の日射しを浴びて、楽しく集います。

ところが、演壇にいるのは宮司さんと会の会長さんのほかに
来賓と称して自民の衆議院議員、府会議員計四人と地元村
長です。

選挙を見越して、人の集まるところに顔を売りに来ています。
会が呼んだのか、押し掛けてきたのか。多分、後者でしょう。

二人の衆院議員は、緑の大切さや地球環境について簡単に
触れて、あとは時局の国会運営の難しさ、改憲論をモゴモゴ。
村長ははっきり次期選挙の立候補を話してました。これには
しらけます。会の出だしを台無しにする雰囲気となります。

あいさつを済ますと、国会議員一人はただちに下山、この男
は山では場違いな黒の背広姿。まったくもって、選挙目当て
のやっつけです。こういう下心しかないような男の話は、さわ
やかな山の空気を汚すものです。

政治家は票のもとに平伏するふりをするのは習性だから、彼
らが人前で目立ちたがるのはやむ得ないが、このような同好
者だけの集まりにそぐわない。彼らを来賓として招く方も セン
スが悪い。いまどきセンセイを呼んで主宰者や集会のハクづけ
になるとは誰も信じていない。うざったいばかりです。 

たくさんの回数を登っている登山愛好者のご苦労や経験談を
二、三人の登山者に語ってもらう機会にしたほうが、よっぽど
楽しい。

目立ちたがり屋、カッコつけたがり屋、票ハンターに対しては、
ていねいにお断りする勇気が必要です。

中国のチョモランマ登山

中国が五輪開催を祝って、チョモランマ登頂を計画、遂行中である。
開会式にあわせて登頂する予定であると聞く。

せっかくだが、中国の熱意は、もう時代遅れである。いまさらチョモラ
ンマ征服でもないもんだ。世界は驚かないし、敬意も表さないだろう。
チョモランマは、いまではサポートさえ整えば、70代でも登れる。

世界の最高峰が国土の一部にあるということは、世界中が知っている。
それをいまさら広報する意味もない。国家威信をかける意味もない。
万一、そのつもりなら、時代錯誤である。

チベット問題にからみ、中国隊の登山計画を妨害しようとする連中が
いるらしく、きょうのニュースによれば、ネパール政府はネパール側の
サガルマータ登山ルートに外国人が入るのを禁止したとある。周辺国
は、中国の厄介な計画に気を遣っているのである。

五輪開会式に世界をアッといわせたければ、その日、中国政府はチベット
の自治を認めると発表するといい。世界はアッと言って、その措置に拍手
するに違いない。ダライ・ラマ14世が要求している「独立は望まないが、
大幅な自治を」の線でいい。ダライ・ラマは中国の振り上げているメンツ
に気を遣って、控えめに要求しているのである。この線に乗って、チベット
問題を沈静化させるべきである。

国際社会は寛容で民族自決に理解がある中国を見直すだろう。中国の
国際社会での立つ位置はぐーんとステップアップすることだろう。それこそ
中国が期待する国家威信の高揚に繋がるだろう。

  (チョモランマは中国、エベレストは英語、サガルマータはネパール
   での表記)
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