五輪余話

野球の星野監督は、出発前から、金しかない、金しか要らないと大言壮語していた。
叶わぬ結果になった。
意気込みがカラ回りした。だいたい他国のレベルを十分に把握しないまま、一番になるだけだと指揮官が強気一点張りの言動をぶち挙げたら、部下は緊張のあまり固くなる。萎縮してしまう。その通りになった。すべては星野監督の采配ミスであった。韓国、キューバ、アメリカ等とレベルにおいて格下であることを証明しに行ったようなもので、笑うに笑えない。

その無残な結果の前日、ソフトボール女子が念願の金を獲得した。報道によると、星野監督は「日本女性の強さを見せつけた」と話しているが、なんでソフトボールの試合結果が日本女性一般の強さにかかわるのかわからない。他国の女性一般も強くもあり、弱くもある。ここは女性ではなくて日本チームの強さとだけ言えばよいことだ。

野球が公開競技のころ優勝経験があるという75歳だか76歳だかの元監督が星野ジャパンには金を
持ち帰ってほしい、金しか目標はない。日本選手には他国にない大和魂があるからがんばってくれと言う趣旨の談話が載っていた。

馬鹿も休み休み、言ってほしい。だいたい、ありもしない大和魂というような空疎な言葉をひっぱり出すこと自体、アナクロだし、一方で他国の選手諸君にはメンタルな力が欠如しているかのような言い草である。日本にも他国の人にもおなじように知力、体力、精神力がある。

星野監督や元監督の言には、むやみにナショナリズムを高揚する狙いが込められていて、不愉快である。地球人の運動会と見立てて五輪を楽しみたいと書いていた天野祐吉の意見が正解だ。


開会式余話

北京五輪の開会式に先立つセレモニーは、大ががりな演出を凝らして観る者を圧倒した。
場面転換に花火を打ち上げるというのは、中国らしかった。だが、感動の一夜あけてから、ポツポツと
演出上のボロが露呈されてきた。

一つは天空に打ち上げられた花火が、巨大な足跡の形となり、1歩1歩、鳥の巣に近づいてくるのは、CGの合成だった。TV画面で配信されただけで、実際にはなかった。

二つは九歳の少女が愛らしく中国革命を称える独唱が、口パクだった。実際には事前録音された別の七歳の少女の歌だった。かわいそうな九歳の女児!!

三つは国民を構成する56の民族衣装で行進した56人の子どもたちは、みんな漢族だった。ウイグル族もチベット族もいなかった。

三つ目のは、そういう各民族に扮する演出があってもいいが、それなら出ているのは各民族代表ではないと断るべきであって、あたかも民族融和のシンボルのような紹介の仕方に問題がある。

セレモニー演出は国際的に認められた映画監督、チャン・イーモーが総監督を勤めたとされるが、彼がすぐに露見するような馬鹿な仕掛けはしないであろう。共産党独裁の中国指導者が国際社会で威信を発揚するために、相当なムリ強いをしたであろうな、という気がする。おそらく、これからもっと五輪運営上の信じがたいボロがでてくるような気がする。

五輪が終わったあと、中国の最大の課題は、やはり基本的人権の尊重や政治の民主化をどこまで容認するかという命題に戻ることになるだろう。
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