思考停止

中山某。発足したばかりのアソウ政権の国土交通相だが、失言三連発した末、突っ込まれると、すべて撤回した。アホらしい。まだ、この手の思考停止人物がいたのか。

以下のようなことは本当は失言とうものではなくて、本心の発露である。余計に程度が悪い。暗然とするなあ。

一つは、成田空港の開港当時の農民闘争を「ゴネ得」と言った。
二つは、日教組の子どもが先生になる。だから学力が低い。
三つは、日本は島国で、内向きな単一民族の国である。

中山某は、東大→旧大蔵省出身の元エリート。拉致事件担当を専任する猫なで声の中山恭子の亭主である。今回の政権で亭主が大臣、妻が首相補佐官。

一見、知性豊かな経綸のある夫婦かと思われそうだが、妻の方は置いておいて、亭主の方の頭は、多分ここ何十年も時が止まっていたらしい。

成田闘争とその後の拡張問題の経緯については、先任大臣が国の責任で地元に深く陳謝しているし、日教組批判はいかにも論拠の薄い旧聞、アカ狩りのような紋切り型非難だし、単一民族論はとっくに崩壊している。かつて中曽根首相が口を滑らして、アメリカの黒人、ヒスパニック系から猛反発があった。単一民族だから日本の民度は優秀で、アメリカなんか黒人もヒスパニックが多くて、、、と馬鹿なことを言ったのだ。渡来人の歴史、多数の帰化外国人、おくればせながら、アイヌ民族の権利を法的にも認めている現実さえ無視している。

つまり、中山某は、この時代の歴史認識や思潮の変化の大きな流れをいっさい感得しないまま、65歳になってしまった。それが政治家でございと称しているだけに、罪深い存在だ。生きたまま化石化している。こんなんが、きっといっぱい居るんだろうな、あの世界には、と改めて感懐を抱かせたのが、唯一の手柄である。即刻、辞めるべきである。

上記を書いた翌朝、中山某は「妻と相談」して、辞任した。愚夫賢妻バージョンである。

スポーツ雑談

相撲は国技か 
スキャンダルまみれの挙句、理事長が辞任した相撲協会。こういうことを伝えるメディアに必ず出てくるのが、相撲は国技なんだから、もっとしっかりせよ、という論調。フアンの声にも必ず出てくる。

でも、相撲が国技だという法令の定めはない。国民の共通の理解でも、一般的でない。競技人口、フアン層の広さ、関連施設、産業から言えば、サッカーや野球の方が人気も経済的貢献度も大きいだろう。伝統といっても、神事だったのは大昔のこと、江戸時代からは巨漢ショーである。

そう思っていたら、あの国技館を相撲協会が1909年に建てたとき、建物の名称に「国技館」とつけたのが、国技化の始まりだそうな。つまり、これは自称なんである。自称作家や自称音楽家が、必ずしも力を持っているわけでないように、国技とは自称にすぎないのである。自称と自明の理になることとは、天地の差があるなあ。

なぜ野球選手の手袋は手に持つのか
プロ野球を見ていると、打つときは手足にいろいろなガードをつけて防備している。ほぼ総ての選手がバッターボックスに入ると、手袋をしている。痛いの防ぐのと、摩擦力をつけるのだろう。

ところが、塁上に出ると、打撃用の手袋を外して、別の手袋を尻のポケットから出す。ここからおかしなことに、左右の手袋を束ねて、片手に持って、次のアクション、次の走塁に備える選手が多い。なかには代走で出てきた選手でも、手袋を手に持つ。一体全体、あらゆるスポーツで手の動きが制約される
「手に手袋を持つ」スタイルでやる競技を知らない。

思うに選手たちは、束ねて手袋を持つことがカッコいいと思っているのかどうか。尻のポケットからヒラヒラさせてカッコいいと思っていた往年の選手がいたが、手に持って走るのがカッコいいか。どうしてベンチから、そんな走塁にも盗塁にも具合の悪いスタイルを止めさせないのか、不思議に思う。

多すぎるマラソンの随伴車
ことしの五輪で男女のマラソン陣は散々だった。国内のマラソンでいつも妙に思うのは、先頭集団を取り巻く随伴車の多さである。そのうち選手と接触するとか、排ガスを吸いすぎるという事態が問題になりそうだ。まず白バイ二台、審判長車、メディア関係者用バス、カメラ用車、TV撮影用者、TV解説者用車、二、三台あるバイク撮影車。TVで見ていると、わずか数十メートルが移る一画面に十台もの車が
写っていた。

これでは選手は排ガスのなかを疾走していることになる。健康上の問題であろう。先頭の白バイは露払いだから譲ってもいいが(シドニー五輪では確か自転車の警官だったが)、あとの審判長車、メディア関係者用バス、TV解説者用車などは不要である。だれもが知ってるようにマラソン競技は、全容を一目瞭然の位置から拝めない。したがって、大会本部のようなところで、TV観賞すればいいのである。なんの役にも立ってなさそうな審判長車なんかなぜ先頭を走るのか、理解に苦しむ。

TV報道も空からヘリ、解説者を乗せたバイク、低アングルを狙うバイクなど、本体以外に撮影車を動員しすぎである。過剰である。だれのためのマラソン競技か、シンプルの整理すべきときである。

また、辞めはった

昨日の夜おそく、フクダはんが電撃辞任しやはった。

庶民のことばで言うたら、しんどなったから、急に放り出しはったんや。
なんちゅう勝手や、なんちゅう無責任なおっさんや。

フクダはんとこの前の右翼かぶれのアベはんも投げ出しはった。先代の投げ出しにお家大事と乗り出したフクダのおっさんも、なんにも手をつけずに「ヤメータ」って、こんなことが罷り通っていいんかいな。

フクダはんは71歳で総理になりはった。ふつうこのトシなら、隠居でっせ。強欲で名誉欲にかじりついている御仁が世間にはえろうおりまんが、そのトシで就任するからには、よくよくやりたいこと、果たしたいことがあるんやなかろうかと思っていたんやけど、なんにもなかった。

もうちょっとマシな男かと思っていたが、つまるところ、いっぺん総理大臣ちゅうもんをやってみたかった、という程度の人物だった。父子二代の総理ちゅうのも、おもろかろう、って思ったんかな。

だいたいアベはんもフクダはんも世襲議員。おそらくチヤホヤされて義務とか責任とか、一人前の人間ができていないのとちゃうか。なにがなんでもやってやる、、、ちゅうような気迫、気概がかんじられへん。辞める理由とかに野党がことごとく法案を妨害、話し合いに応じなかった、駆け引きばかりと泣き言をいうてはりましたけど、そんこと就任したときから、わかってる状況と違いまっか。政治というのは、腕力にモノを言わさず、あの手この手の話し合いで、コトをまとめることとちゃいまっか。

フクダはんもアベもサラリーマン経験があるらしいが、たぶん、ええとこのボン、いずれ政界の出る人やさかいと、歯を食いしばるような激務にはつかしてもらっていないのやおまへんか。己が周辺から甘やかされている、、、という自覚がなかったままセンセイと呼ばれる安楽イスに座ったんちゃいまっか。

サリーマンいうても販促や商談の最前線にいるもんは、相手はんのムリ難題に智恵を絞って、次善の策をひねり出し、変わり身をこなして纏め上げるもんでっせ。世間というのは妥協も調整も譲歩もつきもんや。相手が乗ってきてくれまへん、そう嘆いて席から逃げ出すなんて、なんたるヤワさ加減!

商売で言うたら、独占や優位の立場でやってきたときか、議会運営なら数の上で絶対多数が確保できてたときとやり方を変えんとあかんのに、いつまでも昔のやり方から抜け出せん。独占や絶対多数にあぐらをかいてきたから、実はだれでも総理が務まってきたことに気がつかんやから、しょうもない。

こんなん言うてたら、アベはんやフクダはんを惜しんでいるように取られるかもしれんが、そんなことは寸毫も思ってませんよ。この国の、とくにいまのところ与党の政治家の不作を嘆いているだけ。なんせ、次のも世襲の有力議員がもっぱらというそうやから、どもなりまへん。タライ回しでんな。わいら国民の方は、暮らしを投げ出せんから、つらいね。

議院内閣制よりも、大統領制の方は、まだ有権者に納得の余地があるだけ、つまり、デキが悪いのを
選んだのは、ワイもアンタの責任でもあるな、という気持になるだけにマシかいな。尊皇攘夷の長州、空っ風のカカア天下、こんどは筑豊のボタ山でっか。地域限定バージョンによるタライ回しができる議院内閣制では、いまいち選んだ気がしまへんもんね。

二代続きの投げ出し悲喜劇を見て思ったこと、だす。
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