クサナギ君

SMAPのクサナギ君が芸能界復帰したとニュースが伝えている。
当たり前だと思う。自粛・謹慎なんかする必要もなかった。
クサナギ君のやったことは、芳しくはないが、微罪である。

クサナギ君は酒に酔って公園で全裸になったという罪で現行犯
逮捕された。夜中の公園である。だれもが全裸のクサナギ君を
見ることができる状況でない。大声を上げていたことから通報さ
れたようだ。

たしかに行儀の悪い言動だが、だからと言って逮捕するほどの
犯罪ではない。ロレツの回らない悪性の酔っ払いでも、一夜留置
場に留め置いて翌朝、説諭してサヨナラが通常の警察の対応で
あろう。つまり犯罪者に仕立てるのではなくて、保護するのが警察
の任務である。以前は留置場の異称は「トラ箱」だった。真夜中の
公園の酔っ払いは、酒気帯び運転などの悪性ドライバーとわけが
違う。

おそらく酔っ払いが人気者のタレントに気がついた警察が、酔余の
背後に麻薬とか覚せい剤使用などを深読みしたのであろう。家宅
捜索までしたことは、その証左である。深読みで逮捕、捜索されて
は叶わない。タレントにも人権がある。警察はいつのまにか、強権
的になってきた。

こんなにお手軽に酔っ払いを逮捕するのなら、他国の公式な重要
会議の記者会見で意識朦朧になって応じた、あの財務大臣なんか
も帰国後すぐに警察は国益を損ねた罪でパクレばよかった。財務
大臣のイスを賭けるほどの醜態の裏になにか怪しい背後関係があ
ったのかもしれない。

インツゥー ザ ワイルド

into2


ビデオで見る。アメリカ映画の世界では、きわめて良識のある俳優のショーン・ペンの製作、監督。本はエベレスト大量遭難のドクメントで知られる作家、ジョン・クラカワー。本の題は忘れたが、印象深いいいい本だった著者の作品、邦題にすれば「荒野へ」ということになろうか。

話は簡単。地方大学を優秀な成績で卒業、ハーバート・ロースクールへの進学も可能と太鼓判を押される22歳の若者が、貯金も身分証明書も破棄して、馬鹿でかいリュックを背にバックパッカーの旅に出る。めざすは大自然が手付かずで残るアラスカ。辺境に遺棄されたバスの廃車のなかで自給自足の暮らしを送り、ある日、毒性の強い植物を食べたために悲惨な衰弱死するまでの物語。

彼の旅に出る決意は、フラッシュバックで織り込まれるが、NASA出身で、エリート意識と権力欲が強く、不品行の父、その父と喧嘩の堪えない母、嵐がふく家庭で萎縮する妹、、、。ようするに世俗の打算や虚栄、みせかけの豊かさ、、、に嫌気をさした。

かくして22歳は世俗的な成功よりも裸一貫、自然のなかでカで生きる道を選ぶ。ヒッチハイク、貨物列車のタタ乗り、生活費稼ぎの短期バイトを重ねながら、22歳が体験する世間、彼が目を奪われる大自然を共に味わえる。この旅の途中に出会う人たち、山河が素晴らしい。

into1

アメリカには西部開拓のパイオニア精神があった。その影は潜めたが、かつてのヒッピーのように物質文明や功利主義の愛想づかしして現実逃避を試みる若者がまだいるのだ。精神の自由を求めて
人跡未踏のような辺境を訪れる若者がいること、そしてヘラジカやヒグマが棲む
広大な自然に包まれる余地がまだあるのだ。

裁判員制度

今月21日から、この制度が施行される。レンタルビデオ屋さんに貸し出し無償の啓発ビデオが棚に並んでいるくらいだから、国はよほど熱心に国民に理解と協力を求めているのだろう。

筆者は高齢者なので、仮に裁判員に選ばれても辞退することしている。長い人生で民事は一度、刑事はゼロの裁判経験しかないが、かねてこの国の裁判制度には不信感を持っているので、新しい制度そのものにも疑念がわく。

従来の裁判は三権分立に鉄則に立脚していない印象を持っている。ある裁判官の日常を記録したドキュメントの主人公である裁判官は、その記録のなかで、起訴された事件が無実であるかどうか考えたことがないとゆくりなくも語っていた。この談話が示したいるように日本の刑事裁判は、警察・検察の捜査レベルですでに有罪が確定している。裁判官は心証に基づいて量刑を決めるだけである。これが裁判といえるかどうか。

つまり、裁判にとってもっとも大切な「推定無罪」とか「疑わしきは罰せず」という原則は、いまの裁判制度では、顧りみられていないのである。

民事や行政に関わる裁判では、たいがい政府や大きな企業に有利な判断をしている。裁判官は身分保証されているとはいえ、法務省の大枠のなかでの組織運営、人事権行使であるため裁判官が政権政府に従属しすぎる。偏向判断が多すぎる。公害や薬害や環境権訴訟などで、被害者、つまり国民の側にたった法の解釈がない。

今回の裁判官制度の導入だが、国民の良識、市民的感覚を判断に取り入れることが眼目とされているのが、奇妙である。有識者や専門家の考えを公聴する仕組みは官民ともに多用されているけれど、高度の専門職業従事者が、ズブの素人の一知半解、あるいは三日ないし一週間の勉強会でえた考えを求める理由がわからない。

医師や会計士などの知的職業人、あるいは石工や左官屋や印章屋さんのような職人が、その職業分野でズブの素人の意見や判断を積極的に求めることはありえない。そんなことは職業的修練を積み、身につけているものだ。

こういう観点からすれば、裁判員導入というのは、裁判官には専門職業人として、みんな未熟であると自ら認定しているのではないかと危惧する。どうも一人前の識見を持たないので、周囲で支えてやってほしいということかもしれない。上ばっかし見てないで、しっかりせんかい、と言いたい。

裁判員制度以前に、世間に疎い非常識裁判官、ヒラメ裁判官が生まれる試験制度、研修制度こそ見直すべきであろう。たとえば、司法試験に受かったら、三年間、スーパーやデパート店員など熾烈な現場経験を積ませることの方が、よっぽど人間形成や世知の向上に役立つだろう。年令も35歳以上くらいで任官とするといい。人が人を裁くという神学的領域の仕事に自ら進んで成ったのなら、もっとしっかりせんかい、ともう一度言いたい。

もっとも、こうした制度への疑念よりも、裁判員に強い守秘義務を課そうとしているように、国民の裁判批判の口封じ自体が、隠された狙いだとしたら、開いた口がふさがらないが。
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