JR西のダーティー対応に思う

大量の犠牲者を出したJR福知山線の脱線転覆事故を調べる国交省の事故調査委員会が、調査内容をJR側に漏えいしていたことが明るみに出た。事故調側委員が飲食の接待などを受けて、報告書の内容を洩らしていた。おそらくJR側は不利にならない論述の仕方まで要請したにちがいないと想像される。

このニュース、「やっぱりね」というのが第一印象。

大きな企業の不祥事を、国が委託した調査委員会が、法と正義に基づいて調査するとは考えられないからだ。犠牲者の側は個々バラバラの素人集団であるから、コトの本質がわからない。

この事故調には、JR出身の委員が含まれている。かれらが出身母体に公正、公平であるとは、おそらくダレも思っていない。かくして事故調査に対するjR側と犠牲者の遺族の力関係がすでに偏向している。

企業エゴというのは、企業の利潤追及、組織防衛のときに最大限に発揮される。死に物狂いで手を尽くす。この際は、暗黙のうちに法や規則やモラルさえも無視される。深く潜行して、いかなる汚い手をつかっても、社内では容認される。いかにダーティーな手段方法であっても、結果がうまく行けば、是認される。「愛いヤツだ」という評価に繋がる。

「そんなことまでして、いいのですか」などと言う者は、弱いヤツ、忠誠心に欠けるヤツとされ、結果を問わず、のちのちまで冷や飯を食わされる。うまく行った場合は、その立案、実行した連中が一種のマフイア的結束でひそかに連帯、勝ち組人事に群がる。

問題が起きると、だいたいこんな構図が社内にできる。jR側の出方は、そうした構図どおりであった。
バレたら、「軽率でした」、「不適切でした」を連発するが、むろん本心ではない。彼らは会社防衛に力つきた「社神」であるから、ひそかに企業は面倒をみることになろう。

これからは問題が発生すると、問題究明のために調査委員会設置。さらに、この調査委員会を調査するシニア調査会、あるいは調査委の上級監査委員会を設置しなければならない。これも信用できないとすれば、もう一段階上の最高調査委員会を設置する必要が生じるかもしれない。

マジメに取り組むとすれば、しだいにマンガチックになってゆく。

山の遭難

「くれよん しんちゃん」の作者が荒船山の崖から落ちて亡くなった。合掌。51歳だそうだから、まだ若い。残念なことである。その後の調べから、デジカメで写真を撮ろうとして、断崖から滑落したのであろうと推察されている。

警察庁の山岳遭難統計の分類によると、中高年層というのは、40歳以上となっているので、この人は中高年層に当たる。じつは山の遭難事故を起こすのは、決まってこの中高年層ということになっている。統計によると、毎年、山の遭難のうち、中高年層が80-90%の高率を占めている。その頭数でいえば、200人前後が死亡、もしくは行方不明となっている。山での不明は、稀有な生還例を除けば、事実上の死亡を意味する。

いまひとつの統計分類では、遭難の態様だが、遭難の原因の一番は道迷い、ついで転落・滑落・転倒であるとされている。つまりクレヨンの作者の死は、統計上の典型例に当てはまるといえそうだ。

インドアにしろアウトドアにしろ、毎年こんなに中高年が亡くなる趣味の分野はない。誤解されると困るが、新型インフルエンザやO157型食中毒などの犠牲者の比ではない。野球やラグビー、あるいはどんな学校体育であっても、これだけの死者が毎年出るとしたら、おそらく活動停止になるだろう。

なのに山の遭難については、ニュースとしてはごくごく一過性の題材にすぎず、報道されてしまえば、忘れ去られている。今回はクレヨンの作者であることから、やや詳細に報道された。今夏の北海道トムラウシ山系でのツアー登山遭難もいっとき関心を持たれた。前者は有名人、後者は大量遭難である点で注目されたのに過ぎず、世間一般の一人ずつで起きた遭難事例では、こうも関心はもたれない。

山の遭難は、このようによほど特別なケースでないかぎり世人の関心をそそらない。したがって、どんなに遭難者の山を築いても、中高年登山者の遭難防止の対策には力にならない。山の遭難を防ぐ一番いい方法は、山に行かないことに尽きる。だから、遭難は、すべからく本人責任の問題とされている。行政による登山道の管理不行き届きが招いた遭難、たとえば間違った道標による道迷いなどいうケースは十分に考えられるが、死人に口なしなので、検証されることがない。

登山というのは、自然のなかで自然という大舞台で羽を伸ばす遊びであるから、それをやる以上、周到な準備と万一に備えた覚悟が必要な遊びである。死の覚悟がひそかにに要求される遊びは、そう多くない。そこに登山の課題がある。

そうは言って毎年200人前後の中高年が亡くなっている現実をただ拱手傍観していていいかとなると、登山愛好家としては、忸怩たるものがある。どうしたものか。

記者会見

民主党政権が動き出して1週間。

民主党は長年、攻める側にあって、満を持していたのせいか、新任各大臣はマニフェストの実施や方針説明に大わらはである。あわせて記者会見についても新機軸を打ち出している。「官」による会見を制限し、「政」が責任発表する仕組みである。

実は、このことは国民にとって素晴らしい姿勢なので、歓迎すべきことなんだが、役所の記者クラブ依存体質が抜けないマス・メディア側は、さぞかし困惑していることだろうと想像する。ただ、この会見方式の変革に伴う困惑は、メデイア側からは決して報道されないだろう。

民主党政権は、官僚による記者発表を制約して、政策にかかわる事柄は、「政」がやる。つまり国民に訴える、理解を求める、説明責任を果たすことは、大臣、副大臣、政務官ら国会議員が行うという。当然といえば、当然の姿に戻すことになった。

「官」は本来、「政」を支える裏方、黒子であるべきなんだが、永年の自民政権は、この大切な任務を放棄して、官僚依存、官僚に丸投げしてきた。「政」がやるべきことを、仕方なく官が代弁していた事情もなくはない。だらしない政治家の肩代わりをしてきた点には多少の同情もあるが、なかには夜郎自大になって、あるいは、あたかも「政」の立場同然になって国家の施策をしゃしゃり出てしゃべっていた官僚がいた。

新政権は、この点を改めて政治主導でやることにしたわけだが、実は従来のマス・メディアは、この官僚主導による官僚のための官僚の記者会見にどっぷりつかって記事を書いていたのだから、「政」一本に窓口を絞られると、おおかたの記者諸君はおそらく大変困惑するだろう。これまで記者クラブに出勤して、お茶を飲んでいれば、つぎつぎと官僚たちが報道資料を届けてくれていたからである。

官僚の記者会見には、必ずA4ぺ-パーに関連する事柄の主要なデータ、事実、ポイントが盛り込まれているほか、その担当官庁による事柄に対する見解まで記載されているので、報道班各位は横書きのものを縦書きするだけで、こと足りていた。ほんのすこし、やる気がある記者がいたとしたら、せいぜい電話で関係者に意見を求め、記事に追加するくらいである。

居ながらにして取材できていた仕組みではつとまらない。普段から勉強して、事柄の流れを把握していないと「政」の発表をもとに的確な記事が書けないということになれば、今回の記者会見の変革は、よりよい報道姿勢を喚起する一石となるだろうな。

とはいえ、言論の自由ふりかざして既得権益を手放さないですむ別のラクチン取材の口を捜すかもしれないけれど。今回の改革は言論の自由の制限とは、まったく別の役人による政策主導を断つ窓口一本化にすぎない。

選挙の怪

民主の大勝で終わった総選挙。

その一、事前の各種予想通りの結果にほぼなった。「週刊現代」の二回目の調査では驚異的な390議席という数字が出たが、それにはとうてい及なかったけれど、新聞各紙の「300超す勢い」、「300うかがう」予想は、その通りになった。

これらの予想は選挙序盤の情勢調査からであるが、そうだとすれば、もう有権者ははなから民主に決めていたわけで、番狂わせの風は吹かなかった。駆け回って絶叫した運動の成果で、変化が起きることなないんだということを証明した。つまり、投票は第一印象というか、最初の思い込みで決まるということか。

その二、小選挙区と比例代表制えの重複立候補によって復活当選というのは、ワケが分からないシステム。やめたほうがいい。小選挙区で落選した連中が、何食わぬ顔で比例で復活しているのは、ゾンビの蘇生みたい。気味の悪い現象だ。今回は自民の閣僚の大物クラスが次々とこの制度で復活しているので目立つのだが、解せないことだ。小選挙区の有権者が 不合格と判断した人物なのだ。小選挙区の民意はどうなるのか。あわせて衆議院議員には小選挙区勝ち組、比例単独勝ち組、重複立候補復活勝ち組の三種類がいることになり、この表記の順番にエライさん、という差別感を生むね。これは!!

比例代表制といえば、もう一つケッタイな話。近畿ブロックで勝ち抜いた民主は名簿搭載人が不足した結果、3議席が自民と公明に割り振られた。まったく民意が異なる政党所属者が当選する仕組みは納得できない不合理。想定外のことであったかもしれないが、名簿からはみ出してしまう権利の場合は無効ということにすれば、すくなくとも民意の反転は起こらない。なんのために選挙しているのか、根本がぐらつく馬鹿馬鹿しい規程である。

その三 幸福の何とやら党が大量の立候補を擁立したが、あれは本気で当選を期していたのか。どうも選挙を利用して、全国の信者数の確認をやったのではないか。そう勘ぐりたくなる。かつて共産党などは当選を度外視して自党の党勢の伸縮度合いをしているのではないかと見られたことがあった。立候補は国民の権利だから、どなたが何人出ても結構だが、大金をはたいて選挙で信者の数を押さえてみるのは、ご苦労さんなことである。

その四、自民惨敗の原因の大きな理由の一つにアベ、フクダ両投げ出し首相、アソウ漢字読み違え首相のええ加減さに有権者が強い不信感を持ったことは言うまでもない。彼ら3人は議院内閣制のおかげで国民の信託を受けることなく位人臣をきわめられたのに、お粗末の限りであった。この結果、全国的には自民退場の大波が寄せられたが、このお粗末クンたちは、再選された。

この不愉快な結果は、一に彼ら選挙区の有権者の意識による。彼ら3人は封建領主、あるいは不在地主的立場にあり、有権者はいまもって彼らを地縁に結びつく郷土のチャンピオン、おらが国のお殿様と信じてやまないのであろう。フクダはさすがに息があがりそうなとことまで追い詰められたが、アベ、アソウは楽勝している。

デキが悪いやつほど可愛いという屈折した感情が、かの地の有権者にあるのかもしれないが、思うに、このような殿様への忠誠、寛容の精神に満ち溢れた井戸中の蛙的有権者の意識があるかぎり、選挙をなんべんやっても、まだまだ政治の近代化はムリかもしれない。政治の主役は、有権者の手元にあるのに。
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