末代までの恥

センバツ高校野球で「21世紀枠」で選出されたチームに一回戦で負けた中国地方代表の高校チームの監督が試合後に「負けて口惜しい、もう野球をやめたい、末代までの恥だ」と試合後のインタビューで語った。この発言が世間の顰蹙をかっていた。

しかし、監督はすこしばかり穏当さを欠いたけれども、こう思うのは、むしろ当然の感情であろう。彼のチームは難関の秋の大会を勝ち進んで選出されたのである。そのことに誇りを持つのは当然だし、きつい練習を重ねてきた結果に自信を持って甲子園にやってきたのだ、それがそういうプロセスを経ずに、あいまいな基準、つまり客観的に野球の強さが担保されていないチームにゼロ敗したのだ。口惜しさがほとばしるのは、当然であろう。

監督が口惜しがっている問題点は、当然である。おそらく、こういいたいに違いない。「21世紀枠」などというわけのからない枠組みで選ばれてきたチームに完封されたが、センバツのセンバツされる所以は、もう慣行的に秋の県大会、地区大会で上位に勝ち抜いたチームから選ばれている。夏の大会以後のチームを評価するには、それしかセンバツするまっとうな基準がない。

しかし、主催者側は、センバツのもっと話題性を盛り込みたいと考えたのか、あるいは野球の教育的価値を強調したくなったのか、「21世紀枠」という秋の勝敗の結果とは無関係に任意のチームを選んで、勝ち抜いてきたチームとともに甲子園に登場させている。勝ち抜いてきたチームから見たら、これは不公平な仕組みである。特別扱いされてきたレベルの低いチームとごちゃまぜにされて、理不尽なうえ、そんなチームに負けたのだ。嘲うか、怒るしか、ないんじゃないか。

じっさい、この枠組みに入る基準は非常にわかりにくい。進学率が著しい文武両道とか、学校周辺の掃除をやっているとか、グラウンドが狭く、他の部活と分け合っているとか、つまり、およそ野球というスポーツとなんの関係もないことを取り立てて選んでいる。

今回の21世紀枠の和歌山のチームに地区大会で勝ったチームが選ばれず、旧制のころの古豪だった、公立高校であるというような薄弱な理由で選ぶのは、不公平でないか。スポーツで一番大切なフェアー精神にもとるのでないか。以前、主催者側は「希望枠」などいういい加減な枠も作っていたが、いつのまにか止めている。こういう恣意的な選出方法は、一生懸命、甲子園を目指して練習している選手たちにそぐわない。まさか、どのように選んでも、高校チームの実力なんて、似たりよったりと思っているわけではないだろう。

スポーツには勝敗がつきもの、その強い者同士で勝敗を争うのが、当然のこと。その大会に選出する方法は実力本位で、シンプルで、明解でなければならない。複線の選出方法があるがために、あの「末代まで恥」の舌禍監督は、結局
監督を辞することになった。ツミなのは、センバツのあいまいさにある。

死ぬ気でやれ

バンクーバー五輪、最終のスケート競技、あまり見かけない女性三人団体のチームでタイムを競うあれ、パシュートとか。

日本勢の3人組に対して五輪団長の橋本某が応援に来て、選手たちに「死ぬ気でやれ」と叱咤激励したとニュースが伝えている。

スポーツ団体や選手の神がかりな精神主義、一言で言えば、体育会系のアホらしい根性主義をよく見聞するが、ほんと笑っちゃうな、いまもってこんな大時代錯誤の励まし方をするのか。

これは多分、生きて帰るな、虜囚の辱めを受けるな、受けるくらいなら自死を覚悟せよ、といった戦時下の旧軍の兵の心得みたいなことの流れが生きているのだろうな。勝負事の最たるもの、つまり戦争での悪しき精神主義が、競技スポーツに取り込まれたのに違いない。とてもフェアープレイでもてる力を悔いなく出せ、というレベルの話ではない。


橋本某は、思い切ってベストを尽くせと要請したつもりなんだろうが、もうちょっと別の言い方での励ます言葉がないのか。日頃の練習の成果を存分に出せばいいこと。死ぬの生きるの、という次元の問題ではない。橋本某自身は元スケート選手なんだが、彼女が現役のころのやり方と、多分同じなんだろうな。スポーツの清々しい効用は特別なものがあるけれで、スポーツ界にはびこる、このつまらん根性一辺倒主義はなんとか、ならんのかな。

本来、伸びる選手が、これでダメになった例が多いことだろうと推察される。
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