鳩の失墜を笑えるか

普天間の基地移設問題は、振り出しに戻ってしまった。
このため鳩山さんは四面楚歌、痛烈に批判されている。史上最低の首相だと唾棄する評論家もいる。野党の自民党にいたっては、敵の大失態を拍手喝采している観がある。

しかし、批判している評論家は、鳩山さんが企図して挑戦しようとした試みを、これまで主張したことがあるのか。メディアは、鳩山さんが試みた米軍普天間基地の県外移設、国外移設を推進する言説をしたことがあるのか。多くの国民一般は、沖縄の苦渋の軽減にふだん関心をもったことがあるのか。

戦後の政権で、沖縄の米軍基地を移設、縮小を図った政権はない。
橋本政権のとき、普天間縮小案がでたのは、米軍の改変上の都合であった。

沖縄の人たちの米軍基地による重荷を軽くしてあげようと考えた政権はない。いつも米国のいいなりで、この件については触らぬ神にたたりなし、の傍観者であった。

タチがわるいことに、自らの利権に関わることは、むしろ積極的に関わったし、沖縄県民の犠牲を承知しながら、米軍に阿諛追従、すりよっていっそうの便宜をはかった政治家が少なくない。


一般の国民も距離的に遠い沖縄のこうした問題には無関心であった。せいぜい観光で訪れる、ちょっと本土とちがった文化と歴史を持つ異境という感覚でしかなかった。

そんな歴代政権とふつうの国民が、今回の鳩山の失敗を非難する資格があるか。
戦後60余年、ほったらかしてきた日米同盟の大きなひずみを質そうとした鳩山さんは動機といい、志といい、その限りでは正しかった。沖縄の人たちのこころに歩み寄ろうとしたことは正しい政治であった。

鳩山さんは、独立国家として、安全保障に関して自国が主導権を握るというあるべき姿を取り戻そうとしたが、自らが設定した{5月末}という性急なタイムリミットと強固な日米両国の現状変更を嫌う官僚組織に阻まれた。日本の外務、防衛などの官僚たちは、米国国務省の一部局員である。

前回の選挙で、民主党が全国的に大勝した原因は、なにも沖縄問題の解決策だけによらなかった。普天間の基地移設案件はむしろ沖縄県民への強いアピールであったが、沖縄問題は多くの公約の一つであった。

それだけに十分な準備なしに政権の最大の公約課題に押し上げてしまったのは、民主政権の失敗だった。もっと慎重に腰を据えて取り組むべきだった。成算のある対米対策を策定し、深く広く根回しをして、四年間の政権任期のあいだに解決を迫るようにするべきだった。鳩山さんが、非難されるのは、この点の甘さである。施策の方向性そのものではない。

例えていえば、竜馬でも松陰でも、彼らが目論んだこと自体は、彼ら自身の手で実現しなかった。しかし、いまも彼らの志は大きく評価されている。鳩山さんは、出直すべきである。

それにしても、一挙に内閣支持率が20%(毎日新聞調査)に下がったことをもって、退陣論がうんぬんされているのは、なんという野党やメディアのポピュリズムだろうか。困難な問題に取り組まない方が、失敗しないでいいというなら、万事に変革はない。

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 前記の三日後、6月2日、鳩山さんは退陣を表明した。

この結果、こんごいちばん懸念されることは、米軍基地の移設・縮小問題が政治的なタブー化されることだ。ここに手を突っ込むと、米国は死にもの狂いで反発し、首相のクビの挿げ替えを要求するということ。

いまひとつは米軍にとって沖縄の基地には、明らかにされたくない(明らかにしたくない)通常兵器以外の兵器を装備しており、これが日米共同の抑止力になっているということが、今回の騒動でかなりはっきりと浮上したこと。

おそらく日本の憲法上では疑義がある戦略配置に当たるではないのか、と推察されるが、鳩山さんは、これを呑まされたのかもしれない。

タレント乱立

元巨人監督の堀内某、
同選手の中畑某、
同チーム選手の谷某の妻である柔道の某、
歌手の三原某、
女優の岡崎某、
TVタレントの岡部某、
落語の桂某、

まだまだいるらしいが、いずれも今夏の参院選に、それぞれの政党から立候補、国政を担う魂胆である。過去にも、大勢のタレントやスポーツ選手が出馬して、国会議員になった例は枚挙に暇がない。であるから、今回の乱立の気配についても、珍しくはない現象である。

彼らは、すでに属している活動分野で、それなりの知名度をもっているので、ずぶの新人よりも有利である。そこが各政党に目をつけられている所以である。、彼、彼女の知名度によりかった浮動票狙いの作戦である。現代のように支持政党がない有権者が多いとなると、浮動票をかき集めることが選挙戦の勝利する最大の要諦、出馬本人にも、比例代表制にもきわめて有利であるからだ。つまり、集票マシーンである。

マシーンであることは、見事、当選を果たしたあとにも付きまとい、彼、彼女たちは陣笠の一員として、委員会や本会議においても、党議党則に沿った押しボタン役を演じるにすぎないのである。彼、彼女たちの多くの先達の過去の実績からして、そういうことだろう。

ココにきて思うのは、代議制の民主政治は、しばしば衆愚に変質する。この場合の衆愚というのは、たいがい代議員を選ぶ側の有権者大衆をさして言われるのだが、押しボタン役の数さえ多ければ、国政の主導権を握れるとあっては、選ばれる側が、仮に衆愚であっても、ぜんぜんおかしくないということである。誤解されると困るが、特定の個人をさして言っているわけでないが、一人々々の中身よりは頭数が求められているという話である。

多数決原理による民主政治のジレンマである。多数決が必ずしも、正解であるとは限らないが、数は力であることが、この世界の論理であることに、不信感を持たざるをえない状況をみんな見てきた。なのに、そのような状況作りに多くのタレント候補が動員されている。そんな印象が否めない。

だれでも立候補を妨げない建前があるにしても、ふだん、国政に関わる主義主張や、識見や経験、あるいは、夢や希望を語ったことがない人物が突然、立候補して、そして、けっこう当選する現状に、たぶん、多くの人は、こんなことでいいのかなという不信感、アホ臭いような違和感を感じているのではないか、やってられないな、と感じているにちがいない。

この選挙状況について袋小路に入りくんだような気分を持つことが、じつは今の政治に対するいちばんの大きな問題だと思うが、ま、政治家なんて、そんなもんだ、ということが、ワケ知りの大人の認識なのかもしれない。

新聞販売の過当競争

この話は、結論からいえば、百年河清を待つような話で、実は議論しても仕方がない。新聞販売業界の永年の宿弊である。死ななきゃ直らない話である。

朝の新聞のチラシにまじって「ご愛読者の皆様へお願い 戸別配達制度を守るため! 新聞の正常販売のご協力を」というチラシが入っていた。

ああ、まだやっている。こういうチラシが入ること事態、正常化していないことを認めているわけだ。昔から新聞販売に伴う過当競争は、鍋釜競争と言って、新聞本体のほかに、さまざまな景品をつけて勧誘するのが常道。

このようなチラシは、ムチャクチャな不当販売競争の内幕を隠蔽するために、正常化努力をする姿勢を見せているだけである。努力するふりを見せるだけであるから、すぐに元に戻る。ある期間すぎりと、また同じことをやっている。

このチラシの手前勝手なことは、「正常販売にご協力を」とあるように購読者へ責任を振っていることである。どこの世界に商品を売っている者が、買う側に「正しく」買ってくださいと注文をつけるとろがあるか。

自宅にいる機会が多いから、この新聞勧誘の連中のセールストークをじかに、あるいはインタホン越しに聴くが、こういったことを言う。

一年取ってくれたら、4ヶ月分、タダにします。
三年取ってくれたら、一年分、タダにします。

この条件を聴いても、現在の新聞を代える積もりがないことを告げると、最寄りのスーパーの買い物券1万円分をつけるという。このほか、中型液晶テレビ、ビール1ケース(350ML,24本入り)、洗剤一年分をつけるなどという。

また、こうも言う。いまの新聞を一年後、二年後に辞めて、当方の新聞をとってくれる契約なら、洗剤を上げるなどと言う。特別の割引を約束する。

要するに、一部でも新聞の部数を伸ばすために、本体の定価などどこ吹く風で、不当割引競争をやっていて、その競争の重圧に耐えられなくなると、業界の内輪で正常化の旗を掲げて、おそらく一時休戦するのである。

新聞業界は本体が正論や大義名分の言辞をまとっている一方で、そんな正論なんて足蹴にするような不当不正な商慣習を続けていている。

おおかたの読者はもう定価で新聞を購読するのは、正しい買い物ではないと思っている。言うことと、することとの乖離の深さが呆れられているのは、政治家並みである。新聞は日々墓穴を掘っている。昨今の新聞不信、業界不振の大きな原因の一つであろう。

新聞業界は、再販制度を特権的に守ってもらいながら、法的庇護を受けている理由を自ら損なうようなことをしているのだから、罪が深い。この新聞業界に身を置いたものとしては、ほんとうに憂慮せざるをえないが、いつまでたっても自浄力がない。
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