力士の賭博

マア、失礼な予断であると承知しているけれど、力士が野球賭博をしていたことは、驚くに当たらない。彼らなら、暇つぶしに賭博くらいしていただろう。

早朝から力技に励み、鱈腹、大飯を食ったら、あとは寝るだけ。本来業務といっても、せいぜい一分未満の土俵に上がるだけであるから、あとの膨大な時間をどうつぶして暮らすのか。そういう日常に賭博遊びが紛れ込む余地は十分あったにちがいない。世間一般では密かに高校野球も選挙戦もみんな賭けの対象になっている。通過するクルマのナンバーの偶数奇数を当てるようなバクチさえあった。

かつては、一般の忙しいサラリーマンたちも時間を惜しんで賭けマージャンや花札をやっていた。賭博行為もなけなしの小遣いをやり取りするくらいなら、法もお目こぼししている。

賭け事は人の生来の好奇心を満たすものであることは古今東西、あらゆることが賭けの対象になっていることでも分かるし、国家もその生得の素質に便乗して、競馬、競輪、競艇、宝クジと合法化してテラ銭をしっかり稼いでいる。何処かの知事はカジノを開きたいと大真面目に訴えていた。

法定の賭け事OKとNOの区別は、マア、ご都合主義的な理由にすぎない。賭けごとに熱中して仕事をおろそかにしがちだ、賭けにスッて暮らしが破綻するとか、禁忌の理由がもっともらしくあるけれど、それは法定も非合法もおなじこと、それを言うなら、法定の賭博も止めるなければならない。酒をおおぴっらに販売しておいて、飲みすぎに注意しましょうと言っていると似て、いい加減な偽善の配慮である。

力士たちが野球賭博に夢中になって、本来業務をおろそかにしていたか、家計が破綻していたか、国家社会にご迷惑をかけたかどうか、こんごの調べで明らかになるとは思えない。賭博行為のツミとバツは、きわめて個人的なものだからである。国技を冒涜するとか、伝統を傷つけたとか、噴飯ものの言い方で非難をする偽善者がいるが、言いすぎもいいとこだ。

常習賭博の結果、反社会的勢力の資金稼ぎになっていたというような事態が明らかになれば、決して褒められたことではない。これは力士たちのメンタルな問題だろう。相撲協会の一番の問題は、このメンタルな面であって世間の空気や時代の流れから大きく外れていることだろう。

それにしても、こういう相撲部屋で常態化した行為をまたしても週刊誌で暴露で発覚したことを、元新聞人としては憂慮したい。
新聞社の相撲番はナニをみているのか。
また、心技体などと相撲道を顕彰してやまない横綱審議会委員であったオッチャンやオバチャンたちの、この件についてのコメントが見つからないのも残念だ。
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