検察不祥事

トシとって感性が鈍っているけれど、今回の検察不祥事には信じられないことと驚かされた。

同時に新聞記者になりたてのころを想起した。研修があった。新米記者は主要な取材先めぐりを先輩記者に連れられて回る。そのなかに司法官庁の見学もあった。

裁判所のあと、大阪地検の建物に入った。先輩記者は、検察庁は政界、財界、大物たちの巨悪を暴く最後の砦だ、最強の捜査機関だ、などと説明した。あの先輩は、その後上京して、いまでは政治評論家で、メシを食っている。

若かった小生は先輩に尋ねた。「検察官が不正をしたら、誰が調べるのか」
先輩は、たちどころに答えた。「検察官が不正をすることはあり得ない」

絶大な権力機関が、なんの突っ張りもない信頼関係だけで成り立っているのは、おかしいな、政府機関は三権分立でチェック・アンド・バランスをとるのが民主社会なのにと思ったことだった。当時は生意気盛りだったが、いまでも素朴だが根本的な疑問だと思っている。捜査そのものが適正であるかどうか、チェックする方法が欠けている。(裁判の有罪率とは別の問題として)

もっとも、その後の取材経験からして、警察サイドの法令違反、道義逸脱の事例は山ほどみたきたが、検察官の不祥事はまずなかった。あったとしても、有罪判決を下された一派らによる検察陣の不正捜査と言った、タメにする論評のたぐいであった。巨悪の摘発でもって検察は威信を高めた。捜査手法が難詰されるようなケースはほとんどなかった。

それでも、検察は歴史的には、警察以上に政府権力の防御装置であって、いざとなると権力の番人の急先鋒になるものであることはおいおいに分かってきた。それにしても、悪法も法なりの範囲内での拡張解釈くらいであると思っていた。

まさか検察官の側が証拠を偽造、変造、隠滅に及んで、容疑者の悪性を立証しようというのは、想定外の奇奇怪怪である。こんなことが罷り通るなら、国民全体を捕まえることさえできてしまう。検察横暴で済まされるものでない。

今後の推移についてだが、
功名心に駆られた一検察官のせいにすることなく
検察庁上部に及ぶ責任問題、
検察一体の機構的問題
捜査手法の構造的問題、
など、検証して刷新しなければならない。

いい加減にせい

カン改造内閣が発足した。
昨日は組閣人事が盛んに報道された。

ろくに大臣の名前を覚えないうちにというか、どんな実績を残したかもわからぬうちに、ころころ変わるから、ほとんど関心がない。たとえ変わったところで、官僚の手のひらで踊っているのだから、政治家独自の色合いがでるとは思えない。

カンさんが代表選最中に明かしていたように、従来の閣議は、各省政務次官会議で絞られて懸案を大臣が、イエスのハンコを押すだけであると。つまり、大臣はだれでもいいのだ。これが官僚主導の実態で、政治家はシャッポにすぎない。何ン十年も続いている弊風である。

ところが、その組閣人事を報道各社は、論功人事だ、派閥人事だと難詰しているが、マンツーマンの争いでは勝った方が、勝った方の都合がいい人事をするのは、当たり前である。だからこそ争ったのであって、それが嫌なら争わなければいい。あるいは、じっくり状況判断して、勝ち馬に乗ればいいのだ。

古今東西の常識である。そういう観点からの論評が一切なくて、なお対決抗争が潜行するようなことばかり記事にするは、マンネリもいいところだ。国会議員票が拮抗しているから党運営が大変だというような話は、素人にでも
分かる読みである。そんなアホらしい論評から抜け出さないと、マスコミはいっそうアテにされなくなる。

プロ野球の監督は負ければ辞任する、企業経営者は、利益を上げなければ退任を迫られる。当たりまえの常識である。権力抗争に負けた政治家連中は、ひそかに捲土重来を期すか、勝者の軍門に下り、政策協力すればいい。それも不満なら、離党して、他党に移るか、新政党を起こせばいい。

くだらない争いにもう、うんざりしている。いい加減にせい、と言いたい。

高齢出産

報道によると、元郵政大臣の国会議員の女性が、49歳で妊娠、来春50歳でめでたく初産の運びという。国会議員という職掌がら少子高齢化に歯止めの一石投じようという義挙からかもしれない。『誰が未来を奪うのか、少子化と闘う』という著作もあるから、そういう気分も込められているのかも。

その前には、子どもを産みたいという文字どうりのタイトルの本を著しているそうだから、英断を狙ったのではなくて、ひたすらわが子がほしいという強い願望を満たそうと考えているのだろうか。あるいは少子化防止とわが母性とのマッチングかもしれない。郵政民営化反対から離党し、踏み絵を踏んで、たちまち賛成に回り、復党した変わり身の人だから、両方にかけているのかもしれない。


出産というのは、個人的な営為であると思っているので、好きなようにされればいい。実際、女性が子どもを持ちたいというのは、ごくごく自然な願いであろうから、このように執着が昂じる女性がいても不思議ではない。事実婚の国会議員との間に子どもが恵まれず、なんども不妊治療を受けたことが公表されており、今回も体外授精を受けたというから、並大抵の執着ではない。

50代の出産例も少なくないようだから、めでたく出産されるだろうが、フツーの女性にはちょっと人生設計として企画しようもないプランである。お子さんが成人に達したとき、ご当人は70歳である。そのころまで国会議員を続けられているか、どうか予断は許されないが、どのような職業にあっても、20年先が70代という年齢であることを考慮すると、まずは子育ての選択をためらうプランである。

そういうことが、母子の幸せになるかどうか、これは分からない。この女性議員は元建設大臣をやった自民党議員の養女になって、いわば擬似世襲の二代目だから、三代目の後継者がほしいのかもしれない。25年先の立候補が念頭にあるのだろうか。世間にはいろいろな大人の事情で、家庭から切り離されている子どもが多い。そういう境遇の子どもを引き取って、つまり養子縁組をして育てる。そういう選択はなかったらしい。児童虐待や児童ポルノ問題に関心を寄せる国会議員にふさわしい社会貢献であるのだが。。。

血縁の子どもがほしいという母性は、なにより強い。強いけれど、49歳の国会議員という立場の人の選択肢としては、いかがなものかと思う。ここは、やはり敢然として少子化を防ぐために身をもって実践しているのに違いない、ご苦労さまであると思わないといけないかも。だとすれば、崇高な政治信条ってこと、分からなくはないけれど。
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