北アフリカ,中東は燃えているか

チュニジアで起きた露店青年の射殺事件をきっかっけに北アフリカ各国の民衆が立ちあがっている。古い言葉だが、一斉蜂起という表現がふさわしい展開である。日本歴史でいえば、一揆か、天草の乱みたいな様相である。

中東の版図の現況は、一次、二次の世界大戦の結果、欧米列強が描いたシナリオを反映している。この一斉蜂起はいわば欧米国家へ民衆による異議申し立てでもある。中東の王族支配、独裁専権支配、パレスチナ問題、いずれにしても欧米が生み出し、擁護している体制である。その体制では、民衆を納得させられない、抑えきれないところまで事態が進行したということであろう。

もとはと言えば、アラビアンナイトの遊牧民が住む砂漠がにわかに世界史に現れたのは、石油の巨大資源を抱えることが分かってからである。現代文明の源である石油。この巨大利権をめぐって中東は近現代史で大波に揺さぶられた。

旧ソ連や中国が選択した社会主義体制には死活をかけて冷戦対決をした欧米だが、この地の政治や経済の非民主的体制を穏便に容認してきたのは、欧米にとって、とてつもない利益であったからだ。中東諸国が、石油ショックのような資源ナショナリズムを一時期発揮したとしても基本的には、欧米資本主義に従順で、共存することで国内態勢を維持できたからである。

つまりは、アラビヤの王様たちは、欧米資本と連携することで、富裕と権力を握っている。三十年、四十年にもわたる専権支配者が存在してるのもアメリカにとっては、都合がいい為政者であったからだ。アメリカは従順な親米路線の政治家であれば、これをバックアップすることを習い性にしており、その権力者が国内向けにどのような無法な権力支配をしていても目をつぶっている。

蜂起した民衆は、われわれにも自由を、政治の民主化を、人権の平等を、と叫んでいるのである。こうした抑圧された民衆の声に耳を傾けず、たとえば、ムバラク大統領が巨費の経済支援を私腹していても、パレスチナ問題について親米従属するということで、バックアップしたアメリカのゆがんだ国益が一因である。欧米各国が中東の非民主的な国家を背後から支えれば、支えるほど、かの国々の民衆は苦難の暮らしを強要されている。

民衆が民主化や言論の自由や人権を求める声が、どんどん大きなうねりになるほど、その声は北アフリカや中東の現況を支えた欧米への非難につながって行く。この動きは興味深いことに、中国のような社会主義的市場経済の民主化不在をも告発することになっている。

お笑い相撲

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                                         (写真はGOOGLE)


その一、シンタロウ知事は、偏見独断人間だと思っているので、好きではないが、八百長メールで湧きかえる騒ぎについて、冷静に発言しているのが、よかった。TVニュースで聴いた。

曰く「相撲なんて、あんなもんでしょう。そう思ってみてりゃ、いいのにね」。

相撲協会は「国技館」と名乗る建物を勝手に作っている。その「自称、国技」をあたかも本当の国技のように思っているおおかたのフアンもおかしいが、あれはスポーツというよりも芸能。プロレスやサーカスのようなエンタメなんであるから、勝負は演目のうちである。

本当の競技スポーツといっしょにすべきでない。力士に心、技、体がどうのこうの、などと横審の委員ら関係者が言うのは、競技スポーツに対して失礼でさえある。協会の広告塔をやっていたシナリオ作家の女性委員なんか、口癖のようにいい、朝青龍追放の急先鋒だった。芸の真剣さ、充実度、エンタメ度の高さにおいて、サーカスの方が格段に上である。協会には公益法人ということで税制上の優遇措置があるだけ、いっそうタチが悪い。


そのニ、「立会いは強く当たって、あとは流れでお願いします」
    「承知しました。はじめは強くあたります」

八百長メールのやりとりのなかで、このメールがいちばん秀逸である。なぜなら、これ単に八百長手順の打ち合わせばかりでなくて、日本社会の対抗軸があるような枠組みでは、ほとんどの重要決定は、このように行われているからである。

国会で「いよいよ与野党激突」や「労使譲らぬ春闘入り」などから、一企業内の意思決定なども、みんなこのようなシナリオで行われ、ナアナアで終息することになっている。与野党激突を装う裏で国対レベルで金銭のやりとりがあることが暴露されている。かつての社会党なんか、ずいぶん金の裏取引でコトを収めている。昔そうなら、今もそうだろう。

労使激突にいたっては、もっとひどい。実力行使に入るぞ、スト突入必至と騒ぎまくり、直前に「涙をのんで回避」
と言うサル芝居をやってきた。かつて泣く子黙る総評と言われたこわもての裏で事務局長が金をもらっていたことが明るみに出ている。たいていの企業内労組幹部は、経営者サイドの小間使いであり、労組内不満分子を差別化、経営者サイドに垂れこむ役割。その見返りに出世が保証されるという歪んだ仕組みが戦後の「企業民主化」のなかで出来上がってしまっている。歴代の労組幹部は、いわばマフィア化している。

「やるぞ、やるぞ」
「やってやる、ブチまかしてやる」

こんなふうに対抗軸が燃えているときは、裏があると、私は勘ぐっていまーーす。

オザワ起訴

検察が狙い定めて立件しようととして、二度挑戦して不起訴。検察審も二度審議。やっと起訴に決めたのが、オザワ問題。解明は裁判所に舞台を移すことになった。

検察の威信が地に落ちてはいるものの、総力を挙げて側近の代議士、秘書を起訴においこんでも尚、十分にオザワの嫌疑を立証できなかったのだから、これは検察側の致命的な一敗地。もう場面を劇的に転換できるような悪性の証拠や、適用できる法があるとは思えない。深追いするのは、いざぎよくない。言葉はよくないけれど、この勝負は、オザワの逃げ切り勝ち。

そもそも政治資金規正法の不掲載なんていうトガで、立件しようというのは、よほど検察が政治目的か、手柄争いにはやっているからだろう。こういう形式犯なら、上から下までいっぱいあるだろう。任意に標的を選び、事件にするかどうかは検察にゆだねられている。その自由な選択をやってみて、失敗したのだから、万事休すである。

いまやオザワが本当に企んだのか、隠蔽したのか、初めから何もなかったのか。いまとなってはわからない。裁判の推移も見当がつく。オザワ側が一切、否定し続ければ、新証拠、新証人が出ない限り、嫌疑不十分であろう。

罪が重いのは、知らぬ存ぜぬのオザワよりも、絶大な捜査権を行使しきれなかった検察の方である。
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