熱帯魚と原発

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蒸し暑さがぶり返した先週の二日間、趣味で飼育している熱帯魚が8尾も死んだ。かわいそうなことをしました。

原因は水槽の温度が高くなりすぎたせいです。熱帯魚といえども、30度を超すとダメですね。水温調節にはサーモスタット付きで普通は25度に設定していますが、外気が上昇すると、水温も高くなる。サーモスタットというのは上げることは、出来ても、下げることはできない。したがって、下げるために照明の蛍光灯を水面から高く離すリフトを使用したり、ガラスに保冷材を巻いたりしますが、水温を下げるというのは、容易でありませんね。

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それで唐突ながら、今回の福島原発の事故を連想しました。原子炉の燃料棒なんか1800度くらいまで上昇して、高温の沸騰水を沸かしているのだが、これが事故いらい半年経ってもまだ冷却に手間取っています。原発は上げるのは得意だが、下げるのは、からっきしダメという欠陥装置であることが天下に証明されています。冷却水があると言っても、冷却水自体が300度位あるそうだから、一般のモノの熱を醒ますという感じのもでない。

考えてみれば、熱帯魚水槽だって水温を上げるのは簡単だが、下げるのは難しい。原発は温度を上げるのには成功しているけれど、それを冷却する手立てがなっていない。こんなヤバイ装置が、なぜ安心安全とされてきたのかしら。木に上るよりも下りる方が難しいという話が徒然草にありますが、似たような話じゃあーーりまんか。

ついでに言えば、そこでできたゴミ、つまり使用済み核燃料(放射性廃棄物)の捨て場がない。いまだにこんな議論があります。

再処理して気体、液体にして流してしまおうとか
水面下2000メートルくらいの海底に沈めようとか、
600-1000メートル下の地中に埋めようとか、
最近ではモンゴルの草原に埋設しようとか

政府は青森・六ケ所村に廃棄物処理場を建設、特殊な金属の箱に廃棄物を詰めて地中深く埋めようと試みていますが、半減期がプルトニュウム2万4000年、セシウム30年。さらに千分の一に減少するには、その十倍もかかるという放射能です。そういう長いスパンの間、安心安全であって、なんの地異天変、地殻変動がないとだれも保証できません。24万年先や300年先の日本人の安全をだれが論証できますか。

要するに、ゴミの捨て場を模索しているような段階にありながら、一方でこの地震国にどんどん原発をつくり、すでに54基もあります。

経済成長には原発は欠かせない。電源比率の3割を占めている。政府、電力会社、経済界、原子力ムラの研究者たち、マスコミが原発促進のスクラムを組んで、安全安心モードを作ってしまい、おおかたの国民は失礼ながら、特別な根拠もないまま原発促進派、容認派に巻き込まれていましたが、今回の福島原発の事故をきっかけに、そうした洗脳から覚醒することになった人も少なくないだろうと思います。

今となれば比率3割という数字も勘ぐりたくなります。火力や水力発電の操業を故意に停止して生み出した数字じゃないのかな、と。今夏、電力不足が喧伝されましたが、不足事態は起こらなかった。水力、火力の操業再開と節電努力があいまって奏功しています。

二酸化炭素を排出しないように、資源の枯渇を来さないように国を挙げて有効な電源開発研究に取り組むことが必要です。原発依存をから撤収すべきでしょう。冷やすこともゴミの捨て場もないような原発が、安心安全であるはずがない。!!クリーンな放射能なんかなかったのだ。

供給可能な火力発電のほか自然(太陽熱、水力、風力等)を電源にする開発を進めるといい。原発推進に投入したった巨額の費用をもってすれば、自然電源なんか開発できるはずでしょう。人類を危険にさらすようなヤバイ装置に頼らない範囲で経済成長を考えればいいんです。

                                            (写真はGoogle)

キャタピラー

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遅ればせながら、若松孝二監督の映画『キャタピラー』をレンタルDVDで見ました。寺島しのぶが昨年のベルリン映画祭で銀熊賞(主演女優賞)を受賞した、あの映画です。寺島しのぶは、日本の女優のなかではユニークな体当たり演技派という特別な地位を不動のものにした。そういう印象の映画ですね。

戦地で華々しい武勲を挙げて帰還した傷痍兵の夫は、両手両足が奪われ、顔の半分はケロイド、言語障害のうえ難聴とまるで丸太のような姿に変わり果てて、妻、寺島しのぶの元に戻されてきます。茅葺き農家の平凡な農夫は勲功によって少尉昇進、勲4等を授与された「生きた軍神」となります。新聞は最大級の賛辞で夫の功績を称え、村の誇りとされ、寺島しのぶは「生きた軍神の妻」の覚悟を演じます。

冒頭から反戦のメッセージが強い作品です。この軍神の妻役の寺島しのぶは監督に「いちばんモンペが似合う女優」(インタビューでの回答)ということで、起用されたそうだが、この映画では、大日本国防婦人会の白い割烹着姿か、野良作業のモンペ姿かという汚れ役のうえ、夜はしばしば全裸という体当たり役。、

寺島しのぶは、ご存知のとおり、梨園の名家、尾上一門の出身。父は尾上菊五郎、祖父は尾上梅幸、弟は尾上菊之助、そして極めつけは母が東映ヤクザ映画の大スターだった藤純子(今は富司純子)という毛並みの良さに恵まれているけれど、女性に冷たい歌舞伎の世界や大物すぎる両親の名声反発したのか、女優には珍しくハードな体当たりの汚れ役を進んで演じる。そうした分野での作品2作(赤目四十八滝心中未遂、ヴァイブレータ)で日本アカデミー賞主演女優賞を受賞、今回はさらに大きな金的を射止めた。

なにしろ異色のピンク畑の映画界から進出した若松監督と丸太のような帰還兵の夫を迎えた妻という特異な設定のシナリオだけに毎日が「食って、寝て、やるだけ」の凄まじい場面、とくに繰り返される「やるだけ」の濡れ場には圧倒される。R15やR18の指定もないようだが、そうとうきわどいシーンが多い。お国のために丸太のようにされた男の夜が、こうならざるをえないのは、一体全体、だれのせいか。だれが報いてくれるのか。壁に両陛下の御真影が掲げられ、名誉の勲章三個が並べられている部屋で、夫婦は悲痛な涙に暮れる。

寺島しのぶが「裸になるのは衣装の一つですよ」(インタビューでの返答)という割り切り方で熱演している。おそらく受賞の大きなモチベーションになっているだろうと推察される。寺島しのぶは、次はどんな作品にでるのかな。梨園育ちのお嬢さんという、こちらの先入観が強いので、彼女が選ぶ体当たりの演技派路線は一層、興味深いですね。

休載の間に

3週間ほどパソコンから離れて暮らしてました。
パソコンが無くても困るという境遇にあったのではなくて、パソコンをする気力さえなくしていたのが、本当の事
情。元気であればインタネットを常に見ていたかった。

さて、その間のメディアとの接触で言えば、改めてTVは不要だと思いましたね。電力不足ならTV局を思い切って縮小再編成するとよい。

とくに地上波はもう壊滅した方がいい。TVは番組宣伝、直販、お笑い芸人のカラ騒ぎばかりと週刊誌に最近叩かれ
た通りの体たらく。じっさい見るにたえない。つまらん番組提供をしているスポンサー筋は、そのうち批判の対象
になるだろう。おそらくTVによる広告効果は実証できないのじゃないかな。TVは昔、大宅壮一(古いな)が喝破したように、地に落ちた電気紙芝居化してきました。


新聞はと言えば、ページ数は維持しているけれど、広告まがいのややこしい記事が増えた。本来の広告も一流のい
い会社の広告掲載がへって、なんだか寅さんの叩き売りみたいな、怪しげな商品の広告が多い。肝心の記事にいろ
いろな事象の検証記事が多く、特集化しているけれど、学生の論文のように生硬で、しんどい。一報よりも特集大事というの解せない。新聞は本来期待されている一報のペンの浄化力を発揮しなければ、衰退する一方だろう。


ところで、発足したばかりのノダ政権の閣僚、ハチロが福島原発第一の事故現場を視察したあとの会見で「死のまち」という表現をしたのはふさわしくなちと報道が伝えている。

あらためて発言内容を全文読んでみると、別に問題になることはない。人っ子ひとりいない無人地帯を眺めて「死
のまち」とか「ゴーストタウン」とか表現するのは、よくあることだ。そこでの生活復帰を願う住民や行政の感情を逆なでするからと言うが、それはそれで別次元のこと。いちばんの問題なのは、あの周辺一体が再び住むに耐えられる土地になるかどうか、だろう。それは科学的な検証とそれに基づく未来予想の問題であって、厳密に言って、住民の復帰感情とは別の判断が必要だと思う。

そこんところをあいまいにしたまま、やれ再建だ、除染努力しだいだなんて、口先だけ調子のいいことを言って居ても始まらない。ハチロの立場でそれが言えないのならば、判断以外の感想をしゃべきでなかった。

でもね、チェルノブイルやスリーマイル・アイランドが「死のまち」になってるって、みんないってるじゃん、よその国のことならいいの??

政府は、住民感情や行政の立場をくんでも、ここは正直に将来とも住めない、あるいはウン十年先のことだと言明した方がいいのではいか、いたずらに先延ばしするのは、よくない。影響が大きすぎる。

それからハチロが記者に防護服をなすりつけるみたいな仕草をして「放射能つけちゃうぞ」と発言したのは、おそらくハチロと記者団が普段から仲良くすぎて、そういうふざけを許容しあってたんじゃないのかな。それが今回は開き直られたか。そうでなければ、ハチロの振る舞いは児戯に等しい。

                             ☆☆☆  

後日のハチロ発言の詳報を見ると、ハチロの「放射能つけちゃうぞ」発言は8日夜、数人の記者団がいる場所で毎日記者に対して行われたが、翌9日付の朝刊にも夕刊にも報じられていない。つまり、なれ合いの悪ふざけか、ニュース価値はないと認識されて記事化していないわけ。9日になってハチロが「死のまち」発言をした際、先の悪ふざけは、悪質な心ない発言だったということに化けて、合わせて一本で10日付け朝刊で報じられている。見過ごした発言をさかのぼって援用してハチロの悪性を糾弾するのは、フェアじゃないね。(09・14追記)


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