異常な「市長と維新の会」報道

マスメデイアに橋下大阪市長と彼が率いる維新の会の活動のあれこれが連日報道されています。異常な過熱報道であります。毎日紙は就任1ヶ月に特集面をまとめています。中身は新味がなく、従来報道のまとめに過ぎませんが、一市長の就任1ヶ月特集をするなんて、異例の報道です。中身がないだけに無定見に呆れますね。

こんな異例なことをやるのは、橋下市長の特異なキャラ、ぶち上げた大阪都構想、それを支持したとされる「民意」への関心と迎合でしょう。冷静にみて、まだなんにも決定していないのに、連日、「方針」、「検討」、「構想」をまさに「決定したら、実現すれば」の「たら・れば」ペースで報道するニュース価値があるのだろうか。

ある日の毎日紙は、一面トップ、二面、社会面、地方版に維新の会ならびに市長の関連記事は掲載されていました。異様な展開です。市長と維新の会の機関紙みたいなものです。電子版で見る限り、他紙もいっぱい書いています。おそらくメデイアは、過熱報道競争の渦に巻き込まれているのでしょう。

けさの毎日紙の一面トップは市長が主宰する政治塾(まだなんのかたちもない)から300-400人の立候補者を立てて次期国政選挙(まだなんの予定もない)に臨み、都構想に反対する候補者(まだ誰も言っていない)には刺客(このコイズミ好みの刺激的な表現をわざと使う!!)を立てる「方針」だと伝えている。典型的な「たら・れば」を維新の会の思惑通りに伝えています。こんな記事を大々的二一面トップに扱うと、結果として維新の会と市長への応援歌になっています。市長並びに維新の会の観測気球、政治的ブラフの片棒を担っているような記事で、いつから毎日紙は市長派の広報宣伝紙になったのかな。

ナチス・ドイツの天才的宣伝相、ヨゼフ・ゲッペルスは「ウソも百回つけば本当になる」という意味のことを信念にヒトラーの政権拡大、維持政策を着々と進めたとされる。そのような手法に照らして言えば、マスメデイアが市長と維新の会の「方針」やら「検討」やら、「構想」やらを連日垂れ流すことに加担していると、まるでそれらの「方針・検討・構想」は、既定の施策、決定事項のような効果を生んでいくのにちがいありません。マスメデイアは、いつから市長並びに維新の会肯定派になったのかな。

昔といっても米ソ冷戦のさなかのことですが、米下院議員、マッカシーが、根拠を示さずに国務省にソ連スパイが多数潜んでいると発言、マスコミが飛びつき、言論史上に汚名を残す「アカ狩り」旋風が吹き荒れました。マッカーシズムと称されて社会科学の勉強にはきまって出てくるお話です。

公職にある者の発言は、それなりに重要、意味があるとしてマスメデイアは彼の発言のたびにを大々的に報道しました。人権無視、根拠がないアカ退治・追放の熱気は全米に広がり、それ行け行けドンドンのパニックに陥れました。彼の舌鋒は言論界やハリウッドにも向けられ、多くの監督や俳優が犠牲になりました。あのチャップリンもアカとされて、米国から脱出しなけれななりませんでした。このマッカシー旋風がストップしたのは、著名なTVキャスター、エド・マローが、マッカシーを偽りの政治家と番組で批判したことからです。熱気のなかで冷静に判断して、このような見解を表明したマローの勇気は賞賛されています。

無論、市長と維新の会は、マッカシーではありませんが、公務員いじめ、教職員いじめ、労働組合いじめ、それらとともに府、市組織いじりを矢継ぎ早に打ち出して、「敵を成敗するドラマ」を演じている手法は似ていますね。視聴率を気にするテレビ関係者は「悪評も評判のうち」」という独特の価値観をもっています。話題にさえなればいいと思っています。テレビタレント出身の市長は、常に記事掲載、TV露出していなければ落ち着かないのでしょう。このテレ・ポリティクス(テレビ利用の政治)に現状ではマスメデイアがまんまと、その思惑にはまっているとしか思えない。

公職にある者、公的な性格をもつ組織、団体の発言や思惑がどこにあるのか、自ら冷静、的確に判断することなく、「そう言っているからそのまま報道しただけ」と右から左に伝達するだけのメデイアであっていいのかな。こどものお使いみたいなメデイアでいいのかしら。次から次と「方針」、「検討」、「構想」発言を続ける彼らをマスメデイアはダボハゼ状態で飛びついています。実際、「たら・れば」でつないだ砂上の楼閣のような「方針」なんか、とうていストレートニュースとして一面トップ扱いではないと思いますね。

伝えるのに値するニュースかどうか、冷静に判断して報道してほしいものです。「検討」や「方針」の特ダネ競争なんかが行われているに違いないと思いますが、そのような記事がもたらす影響や効果を吟味してほしい。市庁舎の組織いじりなんか、誰が興味を持っていると思っているのでしょうか。市長と維新の会に擦り寄っているのは、既成政党どころか、マスメディアそのものじゃないですか。テレビ視聴率というのは、ネコが見ていても視聴率を上げている。この際、マスメデイアは、市長を支持したとされる「民意」を今一度分析してみたらどうか。国内外にもっと大切で、読者に伝えるべきニュースがあるはずです。

映画「いとこ同志」

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年末年始、スポーツのほかに見るべきTV番組がないので、レンタルDVD屋さんで、フランス映画『いとこ同志』を借りてきて観た。むかし、まだ未成年だったころ、この映画を見て、大変なショックを受けた。世の中では、正しく努力するものが報われる、ということが必ずしも当然の論理ではないことを知った。不条理という言葉を覚えた映画でしたね。

あらすじは、アリとキリギリスの寓意と真逆だと考えればわかりやすい。つまり、この映画では、キリギリスが勝ち組となり、切磋琢磨したアリが負け組となるのだ。救いのない醒めたリアリズムが、当時は鮮烈なインパクトを与えてくれましたね。

田舎から「マジメ青年」が、大学の学士試験を受験するためパリのイトコの豪華マンションに間借りにやってくる。「都会イトコ」も同じ試験を受ける学生だが、こちらの方は大金持ちの子弟らしく、毎日、酒を飲み、高級車でドライブ、女を漁り、パーテイを開いて乱痴気騒ぎを繰り返している。室内の壁には集めた銃器のコレクションを見せびらかしている。

「田舎イトコ」は、旅の模様や日々の出来事を、心配するママに手紙を書き送る母思い。いつも受験勉強に励んでいる。「都会イトコ」に誘われて出たパーテイで、密かに恋心を燃やした女性をほんのちょっとした行き違いから「都会イトコ」に奪われる。その女性と同棲して、いっしょにシャワーで戯れ、ベッドをともにする「都会イトコ」。

そんな悲哀を表に出さず、夜遅くまで受験勉強に励む。この「真面目イトコ」は、「遊興イトコ」を見かねて「あと試験まで4日しかない、勉強をしたら」と諌めるほどだ。そして迎えた試験日。結果は、なんと「遊び呆けたイトコ」が合格、「真面目イトコ」は不合格だった。「合格イトコ」はカン二ングがうまく言ったをほざく。

失意の「真面目イトコ」は、学生証を破って川に捨てる。マンションの壁を飾っているピストルに一発だけタマを込めて、思い切り弾倉を回転させる。ロシアンルーレットのやり方で、自身の頭にむけてピストルの引き金を引くが、不発。タマにさえ見放されている。青年は絶望して臥してしまう。

朝、二日酔いで寝ていた「合格イトコ」は、ふらつきながら、「不合格イトコ」を起こす。そばにあったピストルを手に取ると、何気なく銃口を「不合格イトコ」に向けた。思わず「撃つな」と叫ぶ「不合格イトコ」の制止が及ばず、銃弾は胸を貫き、この不運なイトコは無残にも即死してしまう。


徹底的に浮かばれない「真面目イトコ」。うまく立ち回っていい目を手にする「都会イトコ」。その運命的な対比が鮮やかでした。公開当時、フランスではヌーベルバーグの波のさなかであった。不条理を不条理のままに描いて、なんの救済も安堵もなしに、冷ややかにぽーんと投げ出してしまう結末、この映画は衝撃的でした。

昨年あたりアメリカ発で99%の貧乏人が、1%の富裕層に対してプロテクトの動きが起こった。日本でも一度下層階級に落ちると、上昇する道が閉ざされてしまう。世の中は「持つ者」と「持てない者」との歪な二極化が進んでいます。「持つ者」は特別な努力をすることもなく、作られた社会構造のなかで、どんどん豊かになる。「持てない者」は再起のチャンスさえない。そういう今の時代の現実とすり合わせて、この映画を見ますと、今日的な意味合いで考えさせられます。

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あけおめ



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明けましておめでとうございます





おだやかな空模様の正月が明けました。

例年なら未明に近郊の低山に登り、初日の出を拝みます。今回は術後の身体を労わっていますので、それは見送りました。ですが、山帰りにいつもスーパー銭湯に寄り、初風呂を楽しみ、その後にお屠蘇をいただいている習慣の方については、なんの支障もありませんので出かけました。熱いサウナでたっぷり汗をかき、たっぷりの湯水を浴びて、めったにしない全身の丸洗いをしまして、すっかり気分をよくして帰宅しました。

お屠蘇をいただきながら、今年の抱負とか希望を述べるというのが、順序なのでしょうが、もう長く生きてきましたので、そこから学んだ経験値や知恵からしますと、年初の抱負とか希望という特別なものはありません。

ほんと夢がないなあ、
ネガティヴだな((#^.^#))

もう成り行き任せ、時の流れのままに生きていくだけですね。いささか心もとない話ですけれど、個別具体的な夢や希望を念ずれば達成するというようなナイーブな気持ちにはなれませんので、やむを得ません。何しろ、昨年中、煩わしくとらわれていた帯状疱疹のかゆみやら、脊柱管狭窄症の激痛を一昨年に予想したことでしょうか。夢にも思わなかった苦痛でありました。

夢にも、まさかと言えば、東日本大震災のような災厄を誰が予想しえたことでしょうか。いい夢も悪い夢も、念ずれば、正夢になるということはありえないのです。そういう心境になることは、寂しいことです。歳月を重ねると到達する心境でありますので、若い人が大いに抱負や夢を抱くことに水を差す気持ちはありません。

ただ、世の中が平穏無事で、
身辺には余計な波風が立たず、
健康であればいいと思っています。

おそらくほとんどの人々の夢や希望のかたちも、凝縮すれば、そうしたことに尽きるのではないでしょうか、と勝手に理屈をつけております。

しかし、これでは、やはり前向き姿勢が感じられないなあ。

(と書きましたが、これでは新年のご挨拶にならないかもしれませんね。申し訳ないことです)
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