仮称 「主権回復の日」

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安倍首相の政治的悲願というのは、現憲法の改定にあるようです。そのことは、事あるごとに改憲を果たさなけれな死んでも死にきれないとまで言っていますから明白です。しかし、国会答弁でもTV番組発言でも、なぜ今の憲法を根本的に改定しなければならないのか、その理由を具体的にあげたことはありません。

要するに、なにがなんでも改憲したいわけです。駄々をこねる幼児性の現れかもしれません。現憲法の長所短所をつぶさに言及し、かくかくしかじかなるがゆえに改定するという道筋を示したことはありません。唯一なんとかの一つ覚えのように強調することは、現憲法は占領下に米国の意向に沿って押し付けられたもので、これを日本人の手に取り戻そうということです。「日本人の手で」というあたりに安倍首相の国粋的右翼感情が盛り込まれていて、その類の人々には耳あたりがよく聞こえているようです。

筆者などは、どなたの手で作られようが、いいものはいい、悪いものは悪いという立場ですから、制定の経緯が米国主導で行われたことをもって、改定の大きな理由にする気が知れません。現憲法発布の日は「主権在民・民主主義スタートの日」であると言ってもいいほどの意味があると思っています。

安倍首相は今月28日に仮称「主権回復」記念式典を行うと発表している。昭和27年、占領下にあった日本がサンフランコ講和条約の発効によって再度独立国(主権回復)に戻った日だというのが、式典計画の理由です。

しかし、この条約の発効と同時に沖縄、奄美諸島、小笠原諸島は日本の主権が及ばぬ米国の施政権下に置かれ、とくに沖縄には「琉球政府」が成立させられました。米軍政による傀儡政府です。アジア太平洋戦争で米軍攻勢に対して本土防衛のため最後の捨石にされた沖縄を、日本政府は平時に戻るときにも捨てたことを意味します。沖縄県民にとっては、「屈辱の始まり」の日です。主権回復とされる日は沖縄受難の更なる始まりだったのです。

今に続く米軍基地など過剰な負担を強いられている沖縄県民の感情をまったく無視した式典の趣旨であります。すでに沖縄県議会は反対を決議、大半の自治体が式典反対ないし中止を求めており、選出国会議員の半数が欠席を明らかにしています。

そこで思うのですが、沖縄が日本政府から切り離されたことを含めて「主権回復」できたのは、米国主導のサンフランシスコ講和条約の締結と米国いいなりの日米安保条約を結んだことにあります。安倍首相の改憲理由からすれば、安倍首相が第一に取り組むべき課題は、日米安保条約の改定ないし破棄とならなければ、一貫性を欠くことになります。安保条約にいたっては講和条約締結の夜、米軍宿舎で密かに結ばれたものですから、経緯としてはサイテーです。

しかし、安倍首相は、揺るがない日米同盟こそ日本存立の基盤として、日米安保条約を金科玉条にしています。沖縄の米軍基地問題の処理にしても日米同盟の枠内で進めています。そうすると、安倍首相の頭のなかには、米国主導にもいいものと悪いものという仕分けがあることになりそうです。憲法はダメで、安保はイイ。 安保は日本人の手に取り戻さなくてもいいみたいです。沖縄県民がいかに負担と犠牲を強いられて、心が踏みにじられていようと、イイようですね。

安倍首相十八番のセリフ「戦後レジームからの脱却」ということばも矛盾です。現憲法からは脱却しても、安保条約からは脱却しないのですから、安倍首相にとっては、都合がいい戦後と都合が悪い戦後があります。

こういう使い分けは、是々非々主義なんてものではなく、ふつうはご都合主義といいます。制定や締結の経緯でいえば米国主導である点では変わりがありませんが、改憲論議についてのみ、改憲して日本人の手で新しい憲法を書こうというのなら、沖縄問題をふくむ日米安保条約についても、おなじ論法をすべきですが、その点は沈黙しています。安保条約の方が戦後日本を米国の軍事的属国化にしている根源なのですが、安倍首相は国粋主義者にしては、この属国化には異議がなく、たとえば米国いいなりの普天間基地の辺野古移転を推進しているわけで、まことに不可思議な話であります。

というふうに詰めて考えれば、憲法を制定の経緯だけで改めたい理由のほかに、きっと、もっと別の動機なり、隠しておきたい思惑があるのだろうかと勘ぐりたくなります。天皇に統帥権を与え、国民を臣民化して、軍部再興、神道を国教化して全国民をして皇居遥拝、靖国参拝させたいなどと考えているのではないでしょうね。なんせ憲法のどこがいかんのか、どうしたいのか、肝心なことは明らかにしないまま政治信条にしているのが、不気味な感じですね。

ところで、前回、この欄で取り上げた孫崎享の『戦後史の正体』に驚くべき記述が紹介されています。昭和54年、総合雑誌「世界」に発表された論文(当時・筑波大学助教授、進藤栄一著)からの引用です。

占領下の最高司令官マッカサー元帥と昭和天皇は計11回、会談をしているのですが、進藤助教授がアメリカの公文書館で見つけた資料によると、昭和天皇はマ元帥に対して沖縄の将来について「沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を25年ないし50年、あるいはそれ以上の長期租借を希望している」と言明しています。
(1947年9月20日 天皇の外交顧問・通訳 寺崎英成からマ元帥政治顧問シーボルト。マ元帥のための覚書)

この場合、租借というのは主権を日本に残したまま、アメリカに無償貸与するということで、ほぼ無期限にアメリカに沖縄駐留をしてもらいたいと言っているわけです。前後のことが書かれていないので、なぜ天皇がこのような発言をしたのか、真意は不明です。ただ、今の沖縄の置かれた状況は、天皇発言の状態になっています。

(写真はGOOGLE引用)

読書 『戦後史の正体』



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孫崎亨 『戦後史の正体』(創元社)

硬派の本だが、昨年は20数万部が売れたという。外務省キャリアというのは、たいがい体制遵守派で、退職後も政府やリーダー批判をしないタイプが多いのだが、筆者は国際情報局長や駐イラン大使を歴任しているにもかかわらず、意外というと失礼ながら、非常にリベラルな見方で、敗戦時からの日本の政権、外務省の外交方針や安全保障施策を批判し、なかんずく歴代首相を国益の観点から色分けして論評して興味深い。

日本は講和条約で独立国に復帰しているものの、安保条約にもとずく経済、安全保障に関しては、いまも米国の保護国、もしくは属国であり、歴代首相のいちばんの大事は、米国との関係をどうするかであり、外務省はいつも米国の方に顔を向けているとしている。

首相色分けの基準は、「自主路線」か「対米追随路線」かの二つである。つまり、国益のために独自の施策を打ち出したか(打ち出そうとしたか)という見方と、アメリカの言いなりだったか、という見方の違いである。アメリカの言いなりであっても、それが日本の国益に沿ったものだったか、国益を損ねてまでも、言いなりであったか、そこのところは微妙です。

筆者は歴代首相をほとんどマナ板に上げていますが、主な首相の色分けを今に近い方から言うと、

自主路線派

鳩山由紀夫 普天間県外移転、東アジア共同体
細川護煕  樋口レポート作成、多角的安全保障提唱
宮沢喜一  基本は対米強調だが、クリントン大統領には対等以上の交渉
福田赳夫  ASEAN外交推進
田中角栄  日中国交回復
佐藤栄作  沖縄返還
鳩山一郎  旧ソ連との国交回復
以下、省略

対米追随派 

小泉純一郎 自衛隊海外派遣、 郵政民営化
中曽根康弘 不沈空母発言、円高基調
三木武夫  田中角栄追い落とし
池田勇人  安保封印、経済特化
吉田茂   安保、経済両面で完全対米追随
以下省略

その他大勢の自民、民主首相は多くは対米追随路線だが、

一部抵抗派として

福田康夫  自衛隊派遣拒否 破綻米金融会社へ融資消極
橋下龍太郎 五輪中の米軍武力行使自粛要求、米国債売却発言
竹下 登  金融では協力、自衛隊協力要請には拒否
鈴木善幸  米の防衛費増額要求拒否など

がいるとしている。

自主と追随路線の差は、
一、常に米国と良好な関係をめざし、米国のいいなりになる
二、少々、米国と波風をたてても日本の国益を守るときは、はっきり主張するか、
にあります。

米国が日本の首相や外務省に対して、敏感に反応する点は以下の3点
一、米国の安全保障、世界戦略について
二、冷戦後は対中国関係について
三、米国の貿易・経済政策について

これらの問題は米国の「虎の尾」ですから、これを踏むと、米国は容赦なく首相はじめ政治家の失脚をや取り潰しを画策し、政権交代を求めてくる。その例の一つが、ロッキード事件に巻き込まれて退陣、失脚した田中角栄首相。アメリカが時期尚早とする対中国国交回復を図った、繊維貿易交渉で米国の言いなりにならなかったことが、虎の尾に触れた。奇々怪々なかたちでロッキード事件が浮上した。近年では普天間基地を最低でも県外移転と叫んだ鳩山由紀夫も、米国が政界、経済界、マスコミの背後で旗を振って、追い落としたと見ています。

自主路線派の首相はおおむね短命、ころころ変わる歴代首相にあって、比較的長期政権を築いて、小泉、中曽根、池田、吉田たちは、みんな対米追随路線派であるということからもわかる。筆者は、米国は自国の国益を守るためには情報機関の暗躍、カネと力のよる妨害工作などなんでもあり、ふだんから親米オピニオンリーダー、マスコミ醸成に余念がないと理解している。

さて、お腹が痛いと言い訳して政権を投げ出した安倍首相は、前回も追随路線派であったことから、今回も必ずや追随路線を歩むだろうが、不可思議な戦前回帰を目指すという極右的政治信条が、本物であれば、米国との間で安全保障や歴史認識で齟齬をきたすことであろう。いまのところ対中強硬策とTPPとで米国のポチになっているようですが、、、。これはブログ筆者の思うことです。

孫崎本はもともと高校生にもわかるようにとの出版要請で書き下ろしされたもので、大変読みやすく、わかりやすかった。

(写真はGOOGLE引用)

読書 『「さいごの色街 飛田』

昨年から話題になった本を図書館に予約していましたら、遅ればせに、ようやく順番が回ってきて読むことができました。

井上理津子  『さいごの色街 飛田』(筑摩書房)
孫崎 享   『戦後史の正体 1945-2012』(創元社)

無題


まず飛田の方を書きます。
女性ルポライター井上さんが足かけ12年かけて、大阪の旧遊郭、元赤線地帯の飛田を歩き回り見聞したことに、「売春宿」業者や曳き子(やり手婆とか、おばちゃんと呼ばれる客引き)、周辺の住民、飲食店主、暴力団組長らからのインタビューを重ねて記録した凄く異色の労作です。

表向きは、売春はイカン、アカンことになっていますので、いまの飛田新地の業者約150軒では「飛田新地料理組合」を組織している。昭和33年に売防法が施行されていらいの、いわば隠れ蓑です。ここでは女の子(売春婦)は飾り窓のような玄関先などで道行く客の目に止まり、選んでもらう仕組み。客と瞬時にして“意気投合”した女の子は、二階に上がり、蒲団のある部屋で“自由恋愛”に及ぶ。

料理組合とは名ばかりで、お茶さえ供されないところがありますが、男女が内密に自由恋愛することについては、業者は知らぬ存ぜぬという仕掛け。15分、20分などと時間設定や料金設定もある。一回分の料金の取り分は業者4.女の子5、曳き子1というのが通り相場らしい。トイレには局部洗浄器が常備され、スキンは女の子がサービスしてくれる。しかし、キモは、女の子が自主的にやっていること、という建前です。

一日に20人もの客と“恋愛”して、股間が擦れて痛いなどいうあけすけな話もあるが、夫に幼い子供もろとも飛田に売られてきた妻の述懷や、10ー16時の昼間だけ通ってきて、家族にOLしているとと言っている若い女性もいるそうです。

こうした女の子(売春婦)は、どこから、どうやって集めるのか。指定暴力団傘下の組長らのインタビューでは、黒服(繁華街でホストなどをやっている連中)による巧みな騙し、スポーツ新聞の求人欄、本人による飛び込みというのが多いらしい。昔は大阪駅で家出娘に「今夜泊まるところがあるのか」「仕事があるのか」と騙して連れてきたものだと語る、ある組長の言い分が興味深い。

そういう役割の男たちのことを、組長は「(大阪府知事をしている)=談話当時=橋下みたいな口の回るヤツや。三百代言や」と称している。サンビャクダイゲンって、どう書くのと著者が尋ねると、この組長は知らないいと言うが、言葉巧みに詭弁や騙しをする弁護士の蔑称というサンビャクダイゲンという意味はよくわかっている。そこの喩えに橋下の名が飛び出すところが面白い。

余談ながら、世をはばかる暴力団組長の目からして、知事=談話当時=の橋下は家出娘騙しの口先だけ達者な連中と同列視しているところに笑っちゃう。この組長の人物評価は、それなりに的を得ています。

そして、これがまるで伏線であったかように、ずっとページを読み進めてゆくと、著者は料理組合の理事長室で、飾ってある写真に理事長と並んで写っている男が、橋下徹であることに驚く。理事長は、このタレント弁護士を「うちの顧問弁護士や」と自慢そうだった。また、理事長室の幹部連中の名前の最後に「橋下事務所」の札も見つけている。われわれにもプライバシーがあるから絶対の名前を書くなよという組合幹部の好意で案内されている場所です。

これまた個人的な感想ながら、このようなエピソードの発掘というのは、この本の手柄の一つだろう。汗と涙、脂をしぼられる女たちサイドではなくて、橋下は業者サイドの顧問弁護士であります。橋下はあくどい取立てで知られた商工ローンの顧問弁護士を長くしていた経歴はすでに明らかになっています。

まあ、いかなる仕事や言動の背後にも「法と正義」があり、それの権利や利益の守る弁護があっていいのだが、橋下はよりによって「売春」業者や借金取立てローン業者の弁護士になっています。カネになるならなんでもやるし、社会的な弱者に寄せる気持ちのなさに寒心しますね。友人知人にしたくない人物ですね。

さて、著者は、一帯からわずか300メートルしか離れていない西成警察署にも出向き、あそこでは売春が行われているのではないかと警察の見解を取材するのだが、警察官は丁寧にそのような事実をつかんでいないと答えています。

100人中100人が、そうじゃないかと思っている実態について、こういう真逆の公式見解が成り立つところにも「法と正義」があります。つまり法は、売春そのものの違反性を咎めているのではなく、売春場所の提供や強制売春について犯罪性を規定しているという理解です。ですから、ワシんとこは料理組合であり、部屋で女の子が自由意思でなにが行われているか、そんなこと知りまへんと業者は逃げ、そこんところを形式論や責任論で擁護しまくるサンビャクダイゲンが横行できる余地があります。

あそこでは、どんな人々が、どのような営業をしているのだろうか、漠然と感じる地域への関心や好奇心にこたえる有り様をありのままに描いた作品です。おそらく女性ライターだからこそ、アプローチな困難な世界に住む人々の懐に入り込むことができて、物語を引き出すことができたのでしょう。古今東西にわたる人間のあくなき欲望と明るみにさらされることがない魑魅魍魎の世界を活写している本でした。

さて、もう一冊の『戦後史の正体』については次回に書くことにします。
                                 (写真はGOOGLE引用)

閑話休題

この欄の読者だとおっしゃってくださる年配の女性が、「このごろ腹の立つことばかりやねえ」と嘆いていました。ひさしぶりに顔を合わせたとき、最近、この欄の更新が滞っていることを按じてくれているのです。

政治のことも経済のことも、あるいは世間の出来事にしても、茶の間の話題にも、楽しいことや夢のあることがほとんどないのです。書けば、それらの愚痴やため息、腹からの非難、批判になりそうです。

なにかしら、曖昧模糊な前途や、先行き暗くなるのが,自明だと思う成り行きが多くて、胸の内にある気分でいえば、うっとおしく、やるせなく、バカバカしく、そして腹ただしいのですね。

思えば、いつの時代でも、前途が明るく、夢を語り、希望を持てるという桃源郷のような状況はなかった。短くも長い我が人生においても、鼓腹撃壌というときはなかった。まっすぐな道は一度もなく、いつも紆余曲折の低空飛行をしてきた。先が見えなかった。

フランス映画の登場人物がよく口にするセリフでいえば、「それが人生だ」ということになるのか。一神教の篤い信者であれば、「すべて神の思し召し」ということになるのだろうか。われら日本人がよく言う言葉でいえば、「なるようにしかならない」「仕方がない」ということになるのだろか。いささか、最近、欝気分です。

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