辛坊治郎のヨット海難

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TVコメンテーター、辛坊治郎が太平洋上でヨット遭難事件を起こし、彼と同行の全盲のセーラーを救出するために海上自衛隊の救命艇機が出動した。今週号の週刊文春によれば、公務員である隊員の人件費等を除いて航空機代だけでも約4000万円の血税の浪費だそうだ。

あのヨットは間寛平が「ア―スマラソン」に使ったものと同じもので、併せてウン千万円に上る多額のヨットと撮影機材が海の藻屑と消えました。

この事件について、昨今の時事通信によれば、自民党国防部会で、津波被災者などの救出なら納得できるが、「深謀遠慮に欠けた」個人の救済になんで海上自衛隊機が出動するのか、という批判が相次いだと伝えている。国会議員が国民の命をないがしろにする、この見当違いな国会議員レベルとおなじようにネット上では辛坊治郎に「税金返せ」、「自己負担せよ」、と言ったコメントがあふれかえっています。

問題点は二つあると思います。

一つは、個人的な失態を税金をつかって救出することと、
二つは、自己責任論です。

公費で救出することで税金を費消するのは事実ですが、、海上自衛隊の出動は、やむえないと考えます。国家は国民に納税などの義務を課す一方、国家も国民に対して義務があります。その最重点項目と言ってよいのが、なにわともあれ国民の生命と財産を守ることです。どんな思慮がない傲慢な奴でも、極悪人でも、その性別や信条や貧富にかかわらず、国家は窮地に陥った国民をサポートする義務があります。この関係が破たんすると、国家は成り立たなくなります。

たとえば、危険な夜道を歩いて、強盗や痴漢に襲われたとしても、その不用心な彼・彼女がバカだから、放っとけというわけには参らないのです。不用心を厳に諌めてやることと被害者救済や捜査しないことは別個の話。捜査を断じて惜しむことがあってはならないのです。

辛坊治郎はどんなコメンテータ―なのか、TVを見ないので知りませんが、あの橋下の強力なヨイショ派だそうですから、洞察力がない、いい加減な人物なのでしょう。こういう人物の失態でも国家は税金を使って救済しなければならない。感情的には不愉快で、勘定的にはもったいない出費なのですが、国家は国民を選り好みできないというのが鉄則です。辛坊治郎が救われたということは、辛坊治郎の信頼度が失墜した半面、国家の機能が果たされたと考えます。

もう一つは自己責任論。辛坊治郎のヨットによる太平洋横断は、傍からみれば、個人的な「冒険もどき」です。ヨットで太平洋横断なんてものは、もういくらでもあります。冒険でもなんでもないが、全盲のセーラーとしては初めてというのと辛坊治郎という名前がウリだったと思います。

ですから、エベレスト登頂を計画した三浦雄一郎と同じように、たくさんのスポンサ―が協賛していましたし、(事件後、WEBサイトはスポンサー名が消え、航海雑記もなくなっています)8月放映の日テレ売り物の24時間テレビの目玉番組にする計画が練られていたと言われていましたので、横断を果たせば、大々的に感動の物語、公共性を装うものになったことでしょう。

こうした目論見がある企画の主人公が、辛坊治郎であるところに自己責任論が集中しています。というのは、多くの人々の記憶のなかにあるのは、辛坊治郎は2004年のイラク戦争の際、武装勢力に拘束された日本人男女3人に対して、当時の小泉政権内部から起きた自己責任論の尻馬にのって、手厳しい非難コメントを発言していたとされることです。

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TVを見ないし、このようなコメンテータ―がいることも知らなかったけれど、当時、大手紙さえ人質になった男女に自己責任論をふっかけていたことを記憶しています。今回、辛坊治郎の自己責任発言の動画をネット上で検索しましたが、見つからなかった。

ペーパーとちがって放送が一般に担保できないことを改めて知らされました。まあ、それは余談ですが、ネット上に沸騰する大勢のコメントから推すと、辛坊治郎が彼ら人質に自己責任を迫る発言をしていたのであろうと思われます。

その発言を踏まえて言えば今回の海難にあって、辛坊治郎の自己責任じゃないか、費消した血税を返せ、という批判が湧き上がるのは当然でしょう。有名人の失態は庶民にとってかっこうのオモロイ話題ではありますが、ここぞとばかり当時の意趣返しの雨が襲うのもやむえません。

イラク戦争に自衛隊を派遣したのは、アメリカいいなりの小泉政権の歴史的なミスでした。タリバンもいなかったし、大量破壊兵器も恐るべき化学兵器も見つからなかった。ブッシュのポチであった小泉の無謀を問うことなく、自衛隊派遣の国策のお邪魔虫になったとして、人質3人に猛烈な自己責任論が浴びせられました。あの論調自体が間違っていたのです。

しかしながら、私は辛坊治郎にムダ使いさせた血税を返せという論調には与しない。辛坊治郎に自己負担させろというのは、国家と国民の権利義務関係においてもあり得ない措置ではあります。ただ、十分なスキルを持たず、すぐギブアップするような大平洋航海を図った思慮のなさ、世間を騒がせたことについて、辛坊治郎は社会的、道義的な責任を負うべきであります。

重ねて言うと、言いがかりのような自己責任論でもって、他国の窮乏に手を貸しに行って人質になったボランティアに冷たい発言をしたとしたら、その無分別を恥じるべきです。

昔から言うじゃあありませんか、天にツバするな。辛坊治郎は降りかかる自分のツバで斎戒沐浴すべきときですね。「どのツラさげて、、」と辛坊治郎は救出後の会見で言ったそうですが、その自省やよし。この先、ずっと顔を洗ってもらいたいものですね。

                                (写真はGoogle引用)

山の話題二つ

富士山がようやく世界遺産に認定されるようだ。一度登った経験者からすると、まだ早い気がしますが、地元と文科省は作戦を変更して申請したら、うまく行ったと喜んでいるらしい。いい加減な話です。実は富士山は最初は世界遺産の「自然遺産」認定を目指していましたが、それでは認定されにくいと判断して「文化遺産」の部門申請に変更してました。

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どういうことかと言いますと、自然遺産としては、まことにお恥ずかしいような環境悪化状態にあります。具体的にいえば、尾篭な話ですが、夏だけでも30万人にも上る登山者の排泄物の処理さえまともでありません。シーズン中、山小屋などで溜めに溜めた、し尿をシーズンの終わりに山腹にぶちまけていました。悪臭ふんぷん、溶けなかったティッシュ(携帯ティッシュは水溶性ではない)の類が膨大な川のように流れるという惨状。そのうえ、空きカン、ボトル、紙片などゴミは捨て放題。

近年ようやく一部ではバイオ処理できるトイレの設置が行われていますが、いまもってし尿処理問題ひとつ解決されていないのです。篤志家や団体による清掃登山を繰り返し、浄化に努めています。

なにが自然遺産ですか。とても世界に顔向けできるような環境ではなかったのです。そっちの対策のためには巨額の費用がかかります。そこで山小屋経営者や地元関係団体などの調整があまり必要でない「文化遺産」登録に切り替えたのです。これは裏を返せばクソまみれの山であることを諸団体が認めたことを意味します。

文化遺産であれば、平安のころからの山岳信仰とそれにまつわる寺社仏閣、芸術的成果を称揚すればいいわけです。お先に登録された石見銀山跡や紀伊半島の参詣道などと同様の世界遺産化です。

だいたい、なんにもしない国連機関。その一つのユネスコが世界中の人類規模とされる遺産に「お墨付き」を与えるという趣向が世界遺産制度の成り立ちですが、なんでユネスコの印籠がそんなに有り難いの。よく考えると、特別に有り難いものではない。余計なことです。国内でも無形有形の文化財顕彰や国立国定の自然公園や日本百選の滝や夕日や清水など自薦他薦の「お墨付き」がいくらでもあります。

世界遺産化も、その一つなんですが、いまさら富士山が自然遺産でございと称したところで、なにかが深まったり、進化したりするものでもありません。誰でもわかることだが、屋上屋を重ねて、なお喜ぶのは交通・観光業者や宿泊施設、土産物業者であろう。新たなお客さん誘引のキャッチコピーになるくらいでしょう。

そういう実態は、すでに登録された地域でも客足激増の現象が起きていますが、ほんの一時的な現象であって、時間の経過とともに興味が薄れ、もとの黙阿弥に戻っているのが現状でしょう。それは毎年のNHK大河ドラマの舞台や登場人物への興味から、一時的の観光バスが多くなるのと同じ流行りものにすぎません。

世界遺産、即、観光地脚光化になるくらいしか意義を感じませんが、おそらく当のユネスコもそう思っているのかもしれません。それならそれで、その程度のお墨付きと思えばいいようです。

もうひとつ。三浦雄一郎が80歳でエベレストに登頂した。それを顕彰して政府は本人の名前を冠した「冒険賞」を創設する方針が伝えられたいます。冒険賞なら日本人初のエベレスト登頂者で、ほんとうの冒険家だった植村正巳さんの名がついた立派な賞がすでにあります。アホらしい話じゃあーりませんか。三浦さんはスポーツ能力を売り物にするビジネスの経営者なんです。経営の事業の成果をもって、いちいち賞を創設していたら、これまでにホンダさんやソニーさんがとっくに国民的賞の対象になっていなければなりません。

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こうした賞が時の政権の人気取りにために創設されるのは、ほんと困ったことです。アベ首相はつい先だっても突然、長島、松井両巨人OBを国民栄誉賞に選び、パフォーマンスを見せたばかりです。進行中の「三本の矢アベノミクス」をすぐれた経済学者が、あれは「アホノミクス」だと喝破していましたが、こういうアゲインストに対して国民目くらましのパフォーマンスが必要なんでしょうかね。三浦雄一郎もTVで見た限り、その申し出に満面の笑みでしたが、時の権力におだてられて喜ぶ、これまたアホらしい自称、冒険男ですね。

三浦さんの今回の登山には、スポーツ用具業界からかき集めた一億数千万円の費用と20数人の日本人サポートがつき、数十人の現地スタッフがカバーしています。かつての国民的支援でヒマラヤの高峰初登頂を競ったアルピニズムの時代の話ではありません。いまやヤク・ルート(ネパールの高地牛のヤクでも登れる)と呼ばれる定番ルートをすでにエベレスト登頂歴があるスタッフ、カメラマンに守られて登ることを冒険とするのは、言い過ぎですね。

敷いていえば、80歳にしては凄い、とうことですが、それは彼の企業としての人体実験であります。そのため普通の登頂より一つ多めのベースキャンプを設けて、栄養たっぷりのスープを飲みかつ休憩し、帰途はなんと6200メートル地点から身の危険を察知してヘリコプターで下山しています。こんな冒険ってありですか。

だいたい年齢を条件にして、登頂の意義を喧伝するのは無意味なことです。それなら、7歳や8歳にして初登頂をいう事態を想定してみれば、いかに無謀でバカらしいことか、よくわかります。

翻って、富士山ですが、毎年夏のシーズンに80歳、90歳代の高齢者十数人が単独で登頂しています。山頂にある富士山浅間神社奥宮が協力して民間団体「富士喜楽会」が、その記録リストを毎年公表しています。だれにも騒がれず、手弁当で富士山に登ることをひそかな生き甲斐にしているご老体が全国におられます。こっちの方が、よっぽど素晴らしい人たちですね。富士山高齢者登山の実情こそ、もっと知られていいことだと思います。

もっとも足腰が弱い爺さん婆さんは、富士山登山でもマネしない方がいいですよ。老爺心ながら申しあげます。(笑)

                                 (写真はGoogle引用)
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