「不可逆的」決着の見方

「不可逆的」という、あまり使われない言葉を持ち込んで、日韓間の懸案の一つ、慰安婦問題は「合意」決着したかたちが示されました。

かつて「あれは単なる商行為、妓生の国だから」*1とか、慰安婦問題に軍の関与を認めた「河野談話」*2批判の急先鋒だったアベですから、ふだんの信念からは遠い、本心を隠した妥協の産物であることは明らかです。アベの政治的立場は一貫して慰安婦否認であります。*3

しかしながら、ヘンな言葉をわざわざ使ったものです。もともと国家間の約束事は、不可逆的な約束のはずです。なんで、わざわざこんな言葉を使う必要があったのか。そのことと、ここへきて急遽、決着したのか、その背景を考えます。

閑人の結論を先に申せば、やはりアメリカの思惑が左右したということです。台頭する中国に対して日本と韓国の隣人関係がいつまでも悪化しているのは、アメリカのアジア最重要戦略「リバランス」*4にとって不都合だからです。

アメリカにとって、自衛隊を海外派兵できるアベ安保体制を築いた日本、それと韓国こそがアジアの同盟国の要です。有事の際、米日韓の三国同盟軍を可能にするには、日韓融和が前提です。今回の決着は、「(慰安婦どころでない)もういい加減にしろ」と強いプレッシャーをかけるアメリカの意向に沿った米従属国同士の妥協だろうと考えます。親分の一喝で手打ちしたようなものか。

「不可逆的」とは、辞書的には「元の状態にもどせないこと」です。合意内容からすれば、「慰安婦問題では蒸し返さない」という意味が強調されたのでしょう。しかし、鉱工業の輸出入や経済援助の話ではありません。筆舌に尽くしがたい痛苦を強制された生身の元慰安婦にかかわる話ですから、蒸し返すか否かは、元慰安婦が決めることです。

合意翌日の韓国からの報道では、元慰安婦やその支援団体は総スカンです。韓国の事務次官は元慰安婦たちに「クリスマスころ急に日本が動いたので、事前説明する時間がなかった」とTVニュースのなかで語っていました。なぜ日本は急に動いたのか。

日韓に横たわる様々な問題について日本政府は、65年の「日韓基本条約」で、すべて「完全かつ最終的に解決済み」と突っぱねてきました。鉄壁の文言です。

慰安婦問題の顕在化は、それ以降のことですから、完全かつ最終の枠組みに収めることはないのですが、こんどの「合意」はその「完全・最終」に屋上屋を架すのではなく、新たな約束をしたことになります。条約でも協定でもない「合意」レベルというのは、国際法的にみても、拘束力は弱く、もっぱら信義則の範疇でしょう。

交わした文書がないようなので、時間がたてば、言った言わないと、事実関係は曖昧になります。合意というかたちで永年の国家間の外交課題が収拾されるのなら、もっと早く決着する機会があったはずです。

慰安婦問題を含めて歴史問題について日本側はいつも韓国は政権が代わるたび「蒸し返す」と非難しています。TVの街の声でも、したり顔でしゃべる中年男性がいました。しかし、たいがいの場合、これまで再燃するのは、日本側の政治家や評論家やメディアが、歴史修正主義にもとづく言説を繰り返したのが、きっかけです。

たとえば、「慰安婦なんかいなかった。謝罪する必要はない」という極論やら「植民地時代には鉄道や港湾、教育制度など整備してやった。ありがたく思え」という傲慢発言が韓国側を刺激してきました。つまり、「不可逆させた」のは日本側にあった場合が多いのです。

今回の合意骨子には、日本に法的責任があるという国家としての反省は盛り込まれていないし、今後、日韓共同で立ち上げるとする財団には「政府予算で10億円拠出」するが、「国家賠償ではない。支援である」と逃げています。つまり、元慰安婦に対しても、韓国国民に対しても、日本国家の責任を前面に出していません。

今夏の70年談話でもアベは、村山談話の精神を不承不承に継承する内容でした。今回の合意もアベには不承不承の合意だと思われます。アベを支持する極右一派や右翼メディア、評論家たちの顔を立てるためか、合意当日、急遽、アベ夫人を靖国神社を参拝させています。あさはかな配慮です。アベの本心隠しの譲歩は、極右のアベ支持者の反発をくらうことだろう。

極右のアベがなぜ、70年談話や今回の合意決着を不承不承、受け入れているか。それはアメリカの圧力だと思います。前の政権時には訪米して慰安婦問題について時の大統領ブッシュにお詫びしているのに帰国後はそんな会話はなかったと話して、ワシントン・ポスト紙に「安倍晋三の二枚舌」*5と酷評されたものです。フクシマ原発の「アンダーコントロール」発言といい、平気でウソをつく人物です。

歴代首相でも最悪の対米従属主義者であるアベは、アメリカの戦争に積極的の参戦できる「安保法制」を今秋,ゴリ押しで通しました。アメリカの世界戦略に目いっぱいの追従をしました。ここまであからさまに米追従になじむと、もう米のどんな要請も断ることは不可能でしょう。

アメリカの世界戦略で大きなポイントとなっている一つは、アジアでのプレゼンスと権益を守ることですが、前述しましたように中国に立ち向かってほしい友邦の日本と韓国がいがみ合っているのは困ります。

アメリカにとっては日本より韓国の方が血の同盟国です。韓国は朝鮮戦争、ヴェトナム戦争での同盟軍です。韓国軍はいまでも有事にはアメリカ軍の指揮下に入ることを容認しています。今後アメリカは、遅れてきた自衛隊を取り込めますので、来年から軍事にかかわる三国同盟化が活発になると予想されます。

慰安婦問題は、アメリカにとって日韓融和のトゲです。トゲが抜ければ、いよいよ北東アジアでの三カ国軍事協力体制は、加速されることでしょう。今回の日韓融和劇は、その安全保障対策を整備するという大きな目的のために地ならしされたようなものですから、、いずれ元慰安婦の心の痛みや癒しは片隅に追いやられ、やがてまた、事と次第によっては、蒸し返されるに違いありません.

だいたい加害者側が「蒸し返すな」と被害者に説教垂れるのは尊大な話。被害者が「もう結構です」と言うまで、謝りつづければいいのです。負の遺産を抱えた側の責務です。一事が万事、当事者の納得なしにコトをすすめて、うまく行くわけがありません。


*1  『現代史のトラウマ』
資料:いわゆる「従軍慰安婦」問題をめぐる、安倍晋三氏発言と安倍内閣見解の推移
 http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-9da7.html

*2 河野談話を守る会のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/63578640.html

*3  安倍晋三と「慰安婦」問題―発言に見る、極右政治家の実像―(成澤宗男)
 http://peacephilosophy.blogspot.jp/2015/07/blog-post_11.html
『Peace Philosophy Centre『』}

*4  米国の「リバランス」とアジア太平洋地域の安全保障 (高橋杉雄 防衛研究所主任研究官、「アジアの安全保障」プロジェクトメンバー) - See more at: http://www.tkfd.or.jp/research/project/news.php?id=1062#sthash.YeVfwT2a.dpuf

*5  きくちゆみのブログとポッドキャスト
http://kikuchiyumi.blogspot.jp/2007/03/blog-post_26.html

喜ばしいこと二つ

その1 サンケイの前ソウル支局長が、かの国の法令違反を問われていた裁判で、無罪になりました。自由と民主主義の国であれば当然の帰結だと思います。

閑人は言論の自由こそが、あらゆる自由を包み込む優越的地位にある自由と信じています。モノが言えないことが封殺されると、すべての自由が制約されるからです。ですから、前支局長の朴大統領に関するコラムについても、言論の自由の範囲内と判断されたのは、まことにヨロコバシイことだと思います。

もっとも、現地紙のゴシップみたいな記事をもとに、国家的非常事態のときに大統領が男性と雲隠れしていたと匂わすような噂話をコラムを書くのは、根拠に欠け、品位にも悖るものです。嫌韓オピニオンのリーダー格のサンケイならではのゲスの勘繰り記事です。言論の自由を盾になんでも書いていいというものでありません。

嫌韓反中路線のこの新聞社は、なんとかして朴大統領を貶めたいのでしょう。こういう記事を本社に送る特派員がおり、こういう記事に意義があると認める新聞だということです。判決のなかで「記事内容は虚偽だ」と断じられています。にもかかわらず、無罪になったのは、言論の自由のふところの深さのおかげです。

つまらん記事を書いて、日韓関係をこじらせ、日本政府が「善処」を申し入れて、なんとか政治的判断で無罪になったというお粗末な話でした。

その2 ハシモト市長が任期満了で降りました。この大衆扇動政治家が、とりあえず表舞台から降りたのは、まことに欣快です。「とりあえず」とマクラを振らなければならないのは、ハシモトの言説には、ウソや騙しが付きまとうからです。彼自身が、それが交渉力だと言ってはばからないのですから、眉にツバをつけて聞かざるをえません。

現に退任の翌日、アベと懇談しています。退任のあいさつというのが、表向きの理由ですが、これが政界を引退すると公言した男の振る舞いですか。

だれの目にも、次期参院選挙なり、野党再編の絡みについて、なんらかの約束なり、計画なりが話し合われたと見るのが妥当です。アベと会って懇談をしたという事実をが公になることでハシモトには、一層のハクがつき、政治的に十分な意味があります。自称引退男の計算づくの政治的行動だろうなと思われます。こういう勘繰りは、必要な観測なんです。

いまアメリカで次期大統領の候補者選びが盛り上がっていますが、共和党候補、トランプがパリのテロ勢力、ISに対抗するとしてイスラム教徒の入国を全面禁止などという、トンデモナイ施策を掲げ、アメリカの大衆の支持を受けていると伝えられます。

ほぼ全国民が移民か、その移民の子孫であるアメリカ人が、宗教や民族の違いでもって差別、排除しようというバカな提唱に踊らされています。これが大衆扇動の実態です。

パリの同時多発テロ後に行われたフランスの地方選挙の第一回投票で「イスラム移民の受け入れをやめて、移民の市民権を取り上げて出身国に送り返せ」と叫んだ極右政党「国民戦線」が得票率のトップに立ちました。マリーヌ・ルペンという女性が率いる極端な排外主義の国民戦線は、テロの恐怖を煽りに煽りました。これが大衆扇動の手口です。

トランプやルペンの絶叫は、ちょっと冷静に考えれば、とても現代社会では通用しないアピールですが、大衆はやすやすと煽られて、のっかかってしまいます。その点では、トンデモナイことをもっともらしく煽る政治家と簡単に感染する有権者大衆は同罪です。

いまの選挙制度というのは、投票者の中身というか、質の問題には関係なく、数さえあればいいとい仕組みですから、いかに大衆を煽り、なんらかの期待感を持たせるか、それが勝つための要です。ハシモトがやってきたのは、トランプやマリー・ルペンと変わらぬ大衆扇動です。

表だって反発できない公務員やその組合を敵に仕立てて攻撃し、「ラクな仕事で高い給料もらっている公務員」に怨嗟の気持ちを大衆に持たせ、大衆の拍手を得る手法です。彼の達者な口先はアメリカ、アベ政権、検察、警察、つまり強者には決して歯向かわなかったが、教師や高齢者、女性や生活保護者には厳しいのです。

結局、知事、市長の約8年間を通じて、タレント弁護士として、どうすれば話題を集め、視聴率を高めることができるか、その学んだワザを実践してみたのに違いありません。彼にとって選挙は、いかに大衆操作をうまくやるか、のゲームみたいなものだったので、政策の達成なんかは重要なことではなかったに違いありません。

先の市長選で敗れた元自民市議の柳本あきらさんは、ハシモト退任について「噛んでいたガムに味がなくなったので、飽きたのでしょう」とコメントしています。いみじくも、といった感想です。

彼がやったことで唯一評価できるのは、私立高校の授業料無償化だけでしょう。これとても民主党政権が先行した公立高校無償化の真似っ子に過ぎません。あとは、ごちゃごちゃかき混ぜて、放り出したものばかり。

閑人の周辺では、ハシモトさんのおかげで暮らしがよくなった、という府民、市民の声を聴いたことがありませんね。いずれにせよ、ほんのしばらくでも、世の中が静かになるのは、喜ばしいことです。

女優の処し方

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原節子がお亡くなりになった記事は、新聞の一面を賑わす大きな話題でした。毎日新聞ではトップ記事でした。

新聞に限らずマスコミの編集担当者は、若い人が比較的多いので、おそらく原節子主演の映画を劇場公開で見たという御仁は、まずいないだろうと思います。

にもかかわらず、伝説の美貌の大女優というイメージと実績について共通の知識を持っていたからこそ、大きな扱いにしたのでしょう。逆に読者のなかの若い人にとっては、ハラセツコって誰?という印象の人たちも少なくなかったにちがいありません。

徐々に老いてゆくTVタレントの移り変わる姿をみることは、よくありますが、いったん、このように長いブランクがあっても、なおかつ最大級の賛辞でもって惜別されるのは稀有のことです。

原節子は、42歳のおときに突然、銀幕(当時のスクリーンの表現は、こうでした)からサヨナラしましたから、もう半世紀まえのことです。閑人は若いころから映画好きでしたが、実際に映画館で原節子を見たという記憶がありません。見たと思いますが、それを思い出せません。

ビデオやDVDが普及してからは黒沢明や小津安二郎監督らの作品で何度もみています。名作で名高い『東京物語』なんか数回は見ています。先日もBSで小津の『秋日和』を見ました。原節子は、22歳と名乗る娘、香川京子の母親役。劇中「もう40過ぎただろう」という会話がある役どころでした。原節子にとっては最晩年の主演作の一つでしょう。

ところで、閑人が若いころ夢中になった映画の黄金期に華やかな美貌をみせくれた仏米の女優、ジャンヌ・モローとシャーリー・マクレーンが現役で主演する映画のDVDを最近、続けて見ました。彼女らは、WIKIで調べると、前者はなんと87、後者もはや81になっています。

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ジャンヌ・モローは良き時代のフランス映画を代表する女優でした。ジャン・ギャバンと共演した『現金に手を出すな』の踊り子役で存在感を示し、独特の倦怠感を漂わせた雰囲気の人妻が当たり役、『死刑台のエレベーター』、『雨のしのびあい』などが目に焼き付いています。

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一方のシャーリー・マクレーンはヒッチコック監督の『ハリ―の災難』をはじめ『アパートの鍵貸します』、『愛と追憶の日々』などで、愛くるしい優しい顔だちとコミックな演技で人気を博しました。

さて、ジャンヌ・モローの映画『クロワッサンで朝食を』では、召使の女性をこき使う頑固いじわる婆アを貫禄で演じてました。かつての若いツバメに裕福に養われている気ままな一人暮らし役。大きな瞳や厚ぼったい唇に若いころの美貌の片りんをしのばせました。

シャーリー・マクレーンの近作は『トレヴィの泉で二度目の恋を』。ひそかに人工透析をしている病人だが、見かけは達者で世話焼きの夢見るおばあちゃん。隣人の偏屈爺さんの心を射止めて、アニタ・エクバーグとマルチェロ・マストラヤン二が演じた映画『甘い生活』に出てくるトレヴィの泉に出かけるという話。

いやーもう、かつて輝くばかりに美しかった女優が、手すりを伝ってよちよち階段を上り、ベッドから起きるのに人の手を借ります。口元の縦シワ、シワだらけの首筋、ぎこちない手の動き、足の運び。丸ごと老残を見せてくれます。美しく老いるというのは、美辞麗句のたぐい、実際には難しいものです。

晩年になると、無常観が強まるという日本人にあって、閑人もまた、こういう女優の現実をみると、たとえば、蓮如上人による「朝には紅顔ありて 夕には白骨となれる身なり」という言葉を思い出したり、秀吉の辞世の句とされる「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」なんかを想起してしまいますが、天命というのは、自他を超えた、まさに授かりもの。

天命である歳月を重ねて在りのままを見せる役者魂のジャンヌ・モローもシャーリー・マクレーンも偉い。早くから伝説の世界に隠遁した原節子も偉い。

フランス映画によく出てくる慣用句のセリフにならえば、「セ・ラ・ヴィ」です。この言葉は、「まあ、あれもこれも、人生ってことです」といなす諦観とも達観ともといったニュアンスで使われているようです。

浮き沈み、この世のことは、すべてセ・ラ・ヴィってことよ。

(写真はwikiから引用)





閑中閑ありの悲哀

閑人は、老人なので、トシ相応の喜怒哀楽があります。

なかでも、悲哀を感じる、いちばん痛切なことは、もう先がないということ。
言い変えても同じことになりますが、もうアトがないということですね。
つまり、この先に起こり得ることは光であれ、影であれ、関わらないだろうということです。

と想いが募るのは、ごく最近、片目の視力が失われたからです。脳梗塞とか、心筋梗塞などと同じように、目の奥にある血管が詰まり、視力をつかさどる細胞が死んでしまったのです。突然のことで、大いにうろたえました。こうした病気について素人には因果関係がわからないので、降ってわいたような不運に悔しさを感じます。

先がない、アトがないということに関して言えば、この眼の病気は、いまの眼科治療術では直すことができないと医師に言われたことです。次々と三人の眼科医に診てもらいましたが、三人とも表現は異なっても、今のところ回復するすべがなく、新しい治療法が開発されるまで委ねるしかないとのことでした。いろいろな難病がありますが、目の領域にもまだ治療が及ばない分野があったのです。

そして、希望があるとすれば、あのノーベル賞の山中教授が開発したiPS細胞を利用した再生移植技術が実用化されるようになれば、可能性は広がると慰められました。この技術を使い、いま目の難病とされる黄斑変性の治療が進められています。

先駆的に進めている理研の高橋プロジェクトリーダーが最近の新聞紙上で語っていたコメントでは、「視野は広がったが視力はよくならなかった」との趣旨でした。まだまだなんです。

すでに老眼になっていたもう一方の目だけでは、車の運転がやりにくくなります。遠近や左右のバランスがつかめなくなると、正常な運転をする自信が揺らぎます。そこでコマーシャルで見る自動ブレーキの車に関心が向かい、さらには自動運転の車が、そう遠くない時期に実現されるかもしれないという情報に耳目が集まります。

自動運転というのは、運転者のハンドル操作は補助的であって、加減速、信号や対向車の検知、危険回避をコンピュータ制御できる車ですが、片目運転者には大きな助けになるに違いありません。しかし、この先端技術車の実用化は、2020年の東京五輪の後くらいではないかと展望されています。

閑人の悲哀というのは、視力の回復術にしろ、自動運転の車にしろ、話は未来の可能性の世界であって、たぶん余生には間に合わないにちがいないと思うことにありますね。雲をつかむような荒唐無稽な話なら笑って見過ごせますが、ひょっとしたら手に届くかどうか、その可能性に間に合わないかもしれないと思うことです。

老人は過去に明るいが、未来には暗い。これは千古からの真理ですね。
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