アベちゃんは、こんな人物 !!??

彼は首相としてここ二、三年、大変なことをしてしまったと思います。平和国家としての日本のありようを変え、危険な道に引っ張りこんでしまった。


こう語ってうっすら涙を浮かべたのは、アベちゃんの母校、成蹊大学の元学長で、アベちゃんを教えたこともあるという宇野重昭さん。もちろん集団的自衛権行使を閣議決定というやり方で認め、自衛隊の海外派兵を可能した安保法制案につながるアベ政治についての感想です。

談話が掲載されているのは、週刊誌『アエラ』*1。昨年から同誌でジャーナリスト、青木理さんが連載している『安倍家世襲三代の果てに』の最終回です。

この連載は、安倍家の父方の祖父、安倍寛 父、晋太郎、そして母方の祖父、岸信介と連なるアベちゃんの系譜をたどり、アベちゃんという人物を関係者の聞き取りと資料で描いた評判の力作。

青木さんは、ノンフィクション作家としてアベちゃんを調べ尽くした結果、人物としてなんら見るべきところがない。ただの凡庸で平凡な坊ちゃんが、なんで二度も首相のイスにつけたか、と首をかしげています。

アベちゃんは成蹊学園で小学校から大学までエスカレーターで16年間在学、大学では法学部政治学科だが、ゼミの指導教授だった加藤節さんは「彼が発言した」記憶がない。

明らかに世襲のなせるわざしょう。地盤があって看板とカバンがあれば未熟な者でも政治家になっていく。だから政治がどんどん劣化しています。致命的です


政治学科の卒業生というのに、憲法学の最高権威とされる芦部信喜の名を知らないと国会答弁したアベちゃんに慨嘆しています。同級生たちへの聞き取りでも、判で押したように「勉強にもスポーツにも活躍した記憶がない」と述べている。要するに可もなく不可もない坊ちゃん学生だったようだ。

アベちゃんは、受験競争の過酷さにも無縁で、アルファロメオを乗り回す姿だけが目立って、卒業後、アメリカ西海岸の名門、南加大に在籍しますが、語学研修に毛の生えた程度の勉強。一年間でホームシックにかかり帰国しています。(アべちゃんは、南加大政治学科履修と長い間、詐称していましたが、今は経歴から削除している)。

その後、大手鉄鋼の神戸製鋼所に「政略入社」(アベ家の選挙区、山口県下関市周辺には同社の広大な主要工場があります)。アベちゃんはここで三年間のサラリーマンを勤めますが、預かった会社側はアベちゃんの処遇に困惑したらしく、新入社員なのに異例のニューヨーク事務所勤務。

エスカレ―ターの学歴、留学ごっこ、就職、、、。世襲による権力を背景に世間の苦労なんぞは、なんにも経験していないことがわかります。

のちに同社副社長にまで上りつめた当時のアベちゃんの上司で、鋼板輸出課長、矢野信治さんの回顧談を引き出している。

当時の彼は要領のいいっていうのが一番適切な評価でしょう。、、、まるで子犬みたいだったな。(政界入り後に)周りに感化されたんでしょう。子犬が狼と群れているうちに、ああなってしまったと僕は思います。


再び元学長の宇野さん。

私もそう思います。保守政党の中に入り、右寄りの友人、側近、ブレーンがどんどんできたことが、大きかった。



アベちゃんの若き日々を知る人たちは、こんなふうに異口同音に平凡が取り柄の坊ちゃんが極端に右旋回してしまったことに不信感を抱いています。青木理さんは、どうやらアベちゃんは、祖父で国家主義者、岸信介を敬慕しているらしいが、岸の政治思想を研究し、それを支える考えを持つようになったとみられる努力も特にないようだと論じています。*2

となると、世襲であるがゆえに三代目の政治家になってしまい、その彼をウルトラ右翼の歴史修正主義の政治家にまつりあげたのは、誰なのか。いつも簡単な漢字にまでフリガナをつけてもらって国会答弁書を読みあげていますように、必ずや,この凡庸な坊ちゃんを傀儡首相に仕立てて操る奥の院か、側近かが居るのだろうと思います。不幸なのは、こんな自立できていない人物が首相でいる国の国民です。


*1 2016年5月2,9日合併号『アエラ』
*2 2016年4月18日『アエラ』

追記、連休中にヨーロッパ恥かき旅行をしたアベちゃんは、礼節知らずを世界に発信する記念写真を撮っていました。アッキーもおバカな嫁さんであることを露呈して、嘆かわしい限りです。

写真は、5月8日のTwitter上で見つけましたが、2チャンネルにも掲載されてました。

訪問先のエリザベス女王も内心呆れたことでしょう。オバマの方がずっと礼儀をわきまえています。

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ハシモトは「演技性人格障害」

ハシモト嫌いにとって、いいニュースなので、拡散します。

閑人は、なんで嫌いか。

ハシモトは個人的な野心がどのくらい世間に通用するかを政治の世界に持ち込み,試しています(いました)。「世のため人のため」という政治家にあるべき志も資質もない人物と理解しているからです。

この手の自称、政治家がいっぱいいますが、ハシモトは頭抜けて特異だった。要するに昨今、海の向こうにも現れたトランプのミニ版で、面白ければなんでもありのTVに乗った大衆扇動家なんです。

さて、いいニュースとは、月刊誌『新潮45』*1に精神科医の野田正彰さんが「大阪府知事は『病気』である」と題した記事が名誉棄損とハシモトが訴えていた訴訟で、大阪高裁は違法性はない、平気でウソをつくという点についても批評、論評の範囲内だとして、無罪判決を下したことです。*2 裁判所がハシモトは嘘つきであるとお墨つきを出したわけです。

閑人は、この記事を発表当時に読んでいました。まだハシモトが政界の風雲児みたいに一部で持てはやされていたころでした。野田さんは、高校時代のハシモトについて当時の教師から聞き取り、「彼は平気でウソをつく。ばれても詫びないし、屁理屈を言う」などとの趣旨のコメントを引き出していました。知事、市長になってからの言動とよく一致しています。

野田さんは、この記事のなかで、ハシモトの言動を「自己顕示欲型精神病質者」(ドイツの精神医学者C・K・シュナイダーの精神病質10分類の一)、または世界保健機関(WHO)の定める「演技性人格障害」の6項目のうち、五つに該当する部分があり、演技性人格障害といっていいと結論づけていました。

wikiによると、演技性人格障害の診断基準は、下記の通り。

・自分が注目の的でないと楽しくない。そのために話を作り出したり、騒動を起こすこともある。

・不適切なほどの誘惑的、挑発的な性的な行動があり場面を選ばない。

・感情の表出がすばやく変化しそれは浅薄である。

・注目をひこうと身体的な外観を用いる。

・印象的だが中身のない話し方をする。


・他の人から見ると芝居がかったような演劇的な表現を行う。

・被暗示性があり、その場面や流行に影響されやすい。

・他者を実際以上に親密とみなし、知人をかけがえのない親友のように言ったり、会っただけの人を下の名前で呼んだりする。



それにしても、卒業して、およそ二十年たって、なおかつ元の教師にこのような強烈な記憶を残している点、まことにハシモトらしいと思っていました。知事選に2万パーセント出馬しないと言明して、その一週間後の立候補したり、違法ではないが、無所属を言いながら、選挙期間中には合計1030万円の献金を自民党府連にして支援を取り付けていたことなど、ハシモトのやり方は当初からフェアーでなかった。
 
彼はしきりに今や民間人と言っていますが、国政政党の法律政策顧問をつとめる弁護士ですから、一般の民間人とは違う、公人です。知事、市長時代を通じて何も実績は残しませんでしたが、訴えられた訴訟は山ほどあります。

市職アンケ調査とか入れ墨調査とか、このうち行政上に生じた訴訟の費用は税金で賄われているはずです。こんな人物の尻ぬぐい費を負担させられる住民こそ、いい面の皮です。

彼は、おそらく判決を不満として上告するでしょう。高裁判決でも相当なインパクトですが、さらに最高裁が「平気でウソをつく演技性人格障害者」であると認定するとしたら、ハシモトを支持した人々、力量を評価するアベあたりは、トンデモナイ前代未聞の人物を高く買っていたことになります。

これって、ものすごいブラック・コメディとちゃうんちゃう!!


*1 『新潮45』2011年11月号 野田正彰 「大阪府知事は『病気』である」
  橋下氏の高校時代を知る先生は“「嘘を平気で言う。バレても恥じない。信用できない。約束をはたせない。自分の利害にかか  わることには理屈を考え出す。人望はまったくなく、委員などに選ばれることはなかった」と話している。
*2 2016年4月22日 朝日新聞電子版
 大阪高裁判決は、記事は当時の橋下氏を知る教員への取材や資料に基づいて書かれ、新潮社側には内容を真実と信じる相当 の理由があり、公益目的もあったとした。

自然の力

山歩きが好きで、汗水垂らして山頂に立てたときに味わう感覚というのは、とてもいいけれども複雑でもあります。日常にはない大きな達成感があります。しかし、それとともに、なんともいえない無力感というものも感じます。大きな自然のなかにある小さな自分という感覚であります。

青黒いほどに見える深い空、どこまでも続く山並み、視野の下に広がる大地の風景。そんな大きな自然のなかにいると、世俗のたいがいなことは、些事に過ぎないこと、思い悩むようなことはちっぽけなことにすぎないことという意識が腹の底から滲みわたります。

不思議なことに、そういう自分を見つめた内省の気分がカタルシスになって、元気をもらうことになります。山歩きの妙味です。

山頂の自然ではありませんが、熊本地震の惨事を伝えるTVの映像をみていると、やはり自然のもつ計り知れないエネルギーに、閑人なんかは強い無力感を覚えます。地底から湧いて地軸を揺るがす大自然の脈動に人はどうすることもできない。しみじみと人間の非力を感じます。

地震予知なんかぜんぜん役に立たないし、起きてしまっても、なお明日のことも予測できないようです。

恐ろしい津波や洪水には、一過性の始まりと終わりがありますが、地震には始まりがあっても終わりがわからない。被災者はまるで羊のように囲いを求めて避難し、被災者でない者は、モグラたたきのように被災の現場に駆けつけ、原状回復や応急の手当に追われています。これが地震という天変地異に対する21世紀の現実です。

自然を征服することが科学の進歩であり、それが文明の証でありましたが、地震にはぜんぜん手も足も出ない。自然の素晴らしさと自然の脅威は裏表の関係にあります。思うに、このような自然の営みに畏怖したり、庇護を求めたりする心から自然崇拝や宗教心が生まれたのだろうと思います。

今では、その自然畏怖の気持ちが薄れました。したがって神や仏の怒りというような宗教的な解釈も廃れました。巨大地震のような大自然の脅威を眼前に見せられると、茫然と立ちすくみ、怯えるしかしようがない。この無力感からカタルシスを得て、再び元気になるということがない。地球の果てまで続く底なしの無力感です。

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