ミシェル・ウイリアムズ

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2017年が暮れて行きます。一年をふりかえって、いろいろ感懐にふけるのが、世の常なんでしょうが、たとえ僅か365日とはいえ、過ぎてしまったことは、今更しょうがない。あれこれ思いを巡らせても、どうなるものではない。

年越しの安倍家はカケもモリもない、だったか。そういうような川柳を新聞でみましたが、だいたい、それでことしは終わった感じ。
この国がまともになるには、なにわともあれ、まずはアベがナベ底に滑りまず落ちることから始まりますから、来年に期待しますか。

まあ、ことしもアホらしやの鐘が鳴り、南京豆のツナ渡りだったと、わけのわからぬことをつぶやいています。

師走。世人は東奔西走しているときに、閑人は文字どうり、ヒマ。これが社会の戦力外になったものの役得です。なのでDVDの映画三昧をやっています。一つ、いいことを見つけました。アメリカの女優、ミシェル・ウイリアムズが、とても素晴らしいのです。気に入りました。



「フランス組曲」、「マリリン 7日間の恋」、「マンチェスター バイ ザ シー」、「ライフ ゴウズ オン」の4作です。彼女のここ2,3年の主演作品です。

マリリンは、ややコミック調ですが、細身ながら均整がとれたセクシーなプロポーションを感じよく披露しています。あとの3作はいずれも、もの静かな知的な役柄ながら、ときに激しい感情表現を好演して魅力的です。なかなかの演技派です。そのうちアカデミー賞を取るかもしれません。

見た目には、かつてヌーベル・バーグのはしりだった「勝手にしやがれ」で一世を風靡したジーン・セバーグとよく似た雰囲気があります。閑人は「明日に向かって撃て」のキャサリン・ロスや「地上より永遠に」のドナ・リードなんかがタイプなので、目下盛業中の女優のなかで、お気に入りを見つけたのはいいことでした。
 
来年もミシェル・ウイリアムズを楽しみにしましょう。

(写真はgoogle画像検索から引用)




格差と分断

このほど来日したユニセフ(国連児童基金)のアンソニー・レーク事務局長が、日本のこどもに広がる貧困について言及していました。ユニセフが「豊かな国」日本の「貧しい現実」に懸念を表明するのは、異例のことではないかと思います。たしか児童ポルノ野放し日本については警告を発していた覚えがありますが、、。

ながくユニセフ・サポーターをしていますが、今回の発言のようなことを聴くと、「ついに」、というか、「とうとう」、というか、国際社会が日本の恵まれない境遇にいるこどもたちに危惧をいだくまでになったか、という思いがします。アベノミクスが到達した負の真実です。

アベ政権下で広がる経済的格差、社会保障のひずみから、多くのこどもたちが「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(憲法25条)が危機に瀕しています。日本のこどもたちの6人に1人が貧しく、勉強する機会や就職するためのスキルを学ぶチャンスを奪われています。貧困家庭育ちが、次世代の貧困家庭を再生産しています。(*1)

ユニセフは、国連機関で唯一、こどもたち(母親を含む)の物心の豊かさ、幸せを目指すことを目的に設立されています。元はと言えば、先の大戦で荒廃したヨーロッパの国々で犠牲になった恵まれない子供たちの援護から始まり、やがて動向は世界に拡散してゆき、戦後、廃墟になった日本でもユニセフ物資の配給を受けました。その恩恵を覚えている年配の方々は少なくありません。

いまのユニセフは、先に豊かになったけれど、まだ少数派の先進国、、、、先進国クラブといわれるOECD加盟国は35ヵ国にすぎません、、、が、160ヵ国超の多数派の開発途上国で生活困窮する母と子の生命と生活のあらゆる面を救済する機関として活動しています。

十数年もまえ、文化勲章受賞の文化人類学者、梅棹忠夫さんが、こんなことを語っていたと聞いたことがあります。「いまの国連機関で本当役立っているのは、ユニセフと国連難民救済高等弁務官事務所(UNHCR)くらいだ」と。

じっさい、国連設立いらいも、十数年まえからも、たとえば安保理なんか、肝心要の「国際社会の平和」を守る監視の役目をいっこうにはたせないまま、形式的議論の場に陥ったままです。ユネスコ(国連教育科学文化機関)なんか、世界遺産の認定というような各国の遺産に屋上屋を架する、どうでもいい認定をやっています。

2017年版の「世界子供白書」の発表のために来日したアンソニー・レーク事務局長は、先進国のなかでは高い生活水準にあるとされる日本のなかで、子どもの貧困率について、こう述べています。

「日本のおよそ16%の子どもが深刻な貧困状態にあります。SDGsの下で、豊かな社会において子どもが飢えや格差に苦しむことがあってはなりません」、「相対的な貧困はどの社会にも存在しますが、その原因の多くは医療と教育の不平等にあります」

「SDGs」とは2年まえ国連加盟国(193国)のすべてが、より良き将来を実現するために今後15年かけて極度の貧困、不平等・不正義をなくし、私たちの地球を守るための計画「アジェンダ2030」を採択したことをさします。この計画の頭文字、Sustainable Development Goals: SDGs(持続可能な開発目標))のことです。

ユニセフはSDGsのもとで、いろいろな指標、つまり、15才以下の子どもの「貧困」、「健康」、「教育」、「栄養」、「格差」などの現状を調査していますが、その主要指標での日本の順位は下記のとうりです(調査国は41ヵ国)。総合では12位、アジアでは韓国が8位です。(*2)

「栄養」・・・1位
「就労」・・・1位
「健康」・・・8位
「教育」・・・10位
「貧困」・・・23位
「格差」・・・32位

栄養や就労がトップなのは、他国にくらべて少子化の影響で相対的に数がすくないための結果と見られていますが、ろくに三度の食事がとれないこどもがたくさんいます。アベノミクスは金持ちと大企業をさらに豊かにしましたが、貧困家庭を潤していません。その結果、社会階層を貧富で分断する格差が進んでいます。

いまや豊かな家庭の子は進学でき、職業を選ぶ選択肢を広げられ、社会の指導的立場を得られやすくしてますが、貧しい家庭の子は、スタートから機会を奪われているという不公平、不平等が常態化しています。

制服が買えず、中学に不登校になるこども、インスタントラーメン一袋が夕飯の母子家庭。母子家庭では2人に1人が困窮化しています。「美しい国」とやらを目指すアベ政権の白々しい成果です。

昨夜、たまたま読んでいた新聞に女優、薬師丸ひろ子さんの最新映画へについてのインタビュウ―がのっていました。薬師丸さんはこんな問題意識を漏らしています。

「日本という国が、どうなっていくのか。どこに向かっていくのか。どんな価値観を大事にしていくのか(中略)」、「なぜこの国で満足に食べられない子がいるのか。介護に疲れ切っている人がいるのはなぜか(中略)」(*3)

国家が存在する最高の理由は、その「国民の健康で豊かな暮らしを守るため」であって、経済も外交も国防もすべては、そのために奉仕するものでなければならないと考えています。

ユニセフに指摘される子供の貧困について、為政者のアベは恥じなければなりません。薬師丸さんが口にするような懸念は、実は多くの国民が抱く共通の問題であると思っています。子供たちの未来を閉ざす。その一方で富国強兵を目標にするアベコベ志向はいつまで続くのか。


*1 内閣府 27年度版子供・若者白書

*2  ・ユニセフ2017年版世界子供白書
    ・12月14日NHK ユニセフ事務局長 日本の子どもの貧困率に懸念
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20171214/k10011258011000.html

*3  2017年12月18日 毎日新聞夕刊 映画「8年越しの花嫁」で母親役、薬師丸ひろ子さん

NHK受信料制度は不合理

最高裁大法廷は、NHKが受信料徴収を義務づけていることを合憲と認めるために,ヘンな理屈をこじつけました。何をいまさらという感じの、いわゆる実のない”正論”です。

なぜなら、あのような理由であれば、NHKばかりではなく、多くの新聞や出版などのメディアも、発行すれば料金を国民から公平に即徴収できることになるじゃーあーりませんか。大法廷はこう述べてます。

知る権利の充足と健全な民主主義発達への寄与を究極的な目的とし、特定の個人・団体や国家機関から財政面で影響が及ぶことがないよう、受信設備(テレビ)設置者に公平負担を求めるもの」



前半の目的は、民主主義の基本にふれているだけで、当たり前のことを掲げているのに過ぎません。NHKの独擅場ではない。この目的を達成すべく三権分立による現代社会が成り立っています。新聞や多くの出版物もおおむね、そういうことに貢献すべく発行されています

中段にある「財政面で影響」というのは、自主独立のメディアにとっては、当然の立ち位置です。政治や経済や宗教や反社会的勢力や、その他もろもろの社会的な力から独立した「懐具合」を維持することが、編集や発言の独立性を保障するからです。

民間のメディアばかりか、あらゆる商工業による生産物販売やサービスは、そのために激しい競争原理にさらされて必死の営業努力をしているわけです。たとえば、朝日を取ろうか、サンケイを取ろうかは、読者の自由です。発行元はその選択の余地に売り込むために努力をしているわけです。

ところが、大法廷は、NHKに対しては、そのような営業努力を求めず、居ながらにして受信料が取れる制度をあらためて容認したわけです。ほんにお気楽な経営であっていいよと認めたのです。競争社会にあって、羨ましいような特例扱いをしたわけです。ほとんど税金並みの義務じゃーあーりませんか。

だいたい大法廷が「知る権利」をことさらに主張するのも、胡散臭い。なぜなら、「知る権利」が民主社会に必要不可欠な権利であると一般に認識されているにもかかわらず、この国では、まだ憲法21条にある先行理念であって、具体的な「知る権利」を保護する下位法律はほとんど明文化されていないのです。

ですから、国民の多くが情報公開などの「知る権利」を主張して、国会や行政やあるいは教育や医療の場で権利行使をしようとしても「知らぬ存ぜぬと」十分に充たされていない現実があるのです。そのように尊重されていない扱いを受ける「知る権利」をNHK存在理由の冒頭に掲げていることをがウサン臭いゆえんです。

国民の多くは、NHKは政府機関の一つで、時の政権擁護のための広報伝達エージェントに過ぎない。国民の「知る権利」から遠い偏向報道をしているととらえています。

大法廷は、制度を容認したものの、強制的な徴収については、さすがに腰がひけており、「契約の自由」の余地を残すべく「双方の合意があること」を徴収の前提にしていますし、合意が得られず訴訟になった場合、勝訴したら徴収できるとしています。これらの点を譲歩したのは、やはり設置イコール徴収というシステムにムリがあると考えているからでしよう。

一方、勝訴すれば、徴収はテレビ設置時期までさかのぼってできると判断していますが、こうした民事訴訟では原告側のNHKが、いつ設置(購入)したか、それを立証しなければならない。立証するのは並大抵ではない。

閑人なら、もし尋ねられたら、自由な購買行動をなぜ説明しなければならないのかと答えたい。およそ900万人いるとする未契約者を訴訟対象にするのは費用も大変だろう。受信料でもって訴訟費用に充てられる矛盾のサイクルが始まります。

受信料徴収制度について大法廷は現行制度を追認しただけで、社会の変化や実情からくる不合理については触れなかった。たとえば、おもいつくままにあげると、下記のようなケースは徴収しているのか。

一、最近、韓国旅行した。どこでもNHKはみることができたが、、、異国の住民から取れるのか。
一、スポーツジム。数十台の運動機器ごとにTVがついて視聴できているが、一台ごとに取っているのか。
一、ホテルや企業の事務所、病院や施設には数十台が設置されているが、、、
一、車のカーナビでもみれるが、、、
一、スマホでもみれるが、、、、、
一、世帯単位の徴収だが、いまや世帯に複数所持は当たり前。部屋ごとに個人がみているが、、
一、長期不在(旅行や入院)のときは、、、、

 大法廷がいうところの「公平負担」を求められるかどうか。サラリーマンや年金生活者の徴税と同じく、取りやすいところから取っているのが実情にちがいないからです。

設置すれば即徴収が義務付けられるのなら、TV工場出荷時に徴収料を付加するか、メーカーが徴収分を負担すれば、確実に徴収できるだろうが、そうなれば、TVの売れ行きにまで影響が及ぶことが必至です。こうした新しい課題について検討する必要がある示唆を大法廷はなんにも示していません。

付け加えると、大法廷に言ってもしょうがないのだけれど、アベべったりの政権の犬みたいな報道こそ、知る権利や健全な民主主義の発展に寄与してませんよ、という付帯意見をつけてほしかった。まあ、ダメだわね。

適材適所

アベがまた従来からある正しい日本語に新しい意味を加味した「ことば遣い」つくりました。

なにしろ、彼は母校の校名に当たる文字さえ正しく書けないことで知られていますが、今回もユニークな解釈を表明して、国民を惑わせています。これほど国語力が劣ったリーダーは戦後最悪です。いち早く絶滅危惧種の仲間入りをさせたいものです。

なんだと言えば、四字熟語で知られる「適材適所」(*0)という言葉の字義について、「自分の立場を守るためなら、ウソ八百を言い募る人物をふさわしい位置につけること」という意味を追加したのです。

さっそく来春の義務教育から採用されるに違いないが、学校現場の混乱は避けられそうにない。英語の方では原発汚染水の「アンダー・コントロール」というのは、「オリンピックをまかせられないという雰囲気が出ないようにするために使った」という意味だったと新解釈をして、国際社会をだました前歴がありますが、、。(*1)

森友学園の国有地激安払下げ問題で「特別なはからいをしていない」、「記録がない」、「文書は破棄した」、「パソコンは自然消去する」などとシラを切った佐川宣寿・前理財局長を国税局長官に昇格させた人事案件について、アベは、14日、国会本会議の演壇から、こう言い切りました。(*2)

「それぞれのポストに最もふさわしい人材を適材適所で配置する、という考え方に基づいて行った」と答弁しました。アベの行政私物化をかばいつづけた忖度官僚の黒い星を「ふさわしい」とたたえたのであります。

こんご上司を守るためなら、恥も外聞も投げ捨てて献身する人物の意味を付加することになった四字熟語誕生の瞬間です。ようするに、親分の意をくんでなら、なんでもやりますというヤーさんの世界と同じなんです。

アベはモリカケ問題について、国会では「謙虚に 丁寧に、真摯に」といいつつ逃げまくり、選挙期間中は国会で謙虚に、丁寧に、真摯に審議すると争点にせず、再び国会が再開されるや、開き直っています。

このことから国民の間では「謙虚 丁寧、真摯」という言葉は、口先だけのことで、問題を先送りしつつ、ウヤムヤになるまで待とうという意味であることと理解されてきました。

11・30付けのFBで見つけたジャーナリスト、吉富有治さんの投稿の後半部分を引用しましょう。


▼国有地の売却金額が非公開だったのは、972件中1件。
一括支払いが原則なのに分割払いを認めたのは1214件中1件。
将来の売買を前提に定期借地契約を認めたのは1194件中1件
瑕疵担保責任免除も過去に1件だけ。

▼以上は森友学園と近畿財務局との土地取り引きに関するもので、
「1件」とはいずれも森友学園のことです。じつに特例だらけで、これで
「問題ない」とするのは無理がありすぎます。なぜ森友学園だけが特別
扱いなのか、疑問に思わないほうが不思議なくらいでしょう。

▼加えて言うなら、それまで幼稚園単体を経営していた法人には許可
されなかった小学校の設立認可に関しても、大阪府は森友学園の申請
を許可しています。状況証拠だけでも「変だ、怪しい」と見られるからこそ
追及されているのです。これで、「安倍総理の言うとおりだ」と思う人がい
たら、そちらの方がよほどヘンでしょう。



こういう誠にまっとうな意見が通らない、不思議の国って、ほんとヘンですね。

異例中の異例なことを、臆面もなく忖度して、出世する、あるいは、そういう人物をふさわしいと取り立てる。「適材適所」の字義変更。こういうやり方こそ、改憲への道筋かもしれません。

*0 新明解四字熟語辞典
   その人の能力・性質によくあてはまる地位や任務を与えること。

*1安倍総理の「汚染水の影響は完全にブロックされている」発言のその後の言い訳がヒドイと話題に
  https://matome.naver.jp/odai/2137856684578462101

*2 http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201712/CK2017120502000120.html
   東京新聞

どうしたものか

身辺で気持ちが著しく落ち込むようなことがありますと、こういうブログを書こうかなという気になりません。
駄文冗語だから、なおさらです。
誰に頼まれたわけでもないし、自らに課した努力義務もないから、流れは自然にそうなります。

自由というのは、なによりも大事なことですが、もし、どなたかが、前回の記事のあと、何か書いているかとページを開いてくれるとしたら、おおいにガッカリさせるかもしれません。まあ、それは自意識過剰であって、つたない文章にだれも何も期待していないと思うのが正しいかもしれません。

プロのモノ書きは大変だなとつくづく思います。連載をかかえスケジュールに追われるような仕事はやるもんじゃない。月一の出稿でも日々、なにかしら拘束感に捉われるのに、週一なんかになると、よくこなせるもんだと思います。

ストレスなんか、どう向き合っているのかな。もっとも、そういうポジションにない者の負け惜しみみたいに取られるから、そんなことを心配することもないか、お笑い草です。

むかし、朝夕の締め切りに尻をたたかれる仕事をしていたとき、まるまる十年ほど先輩が、50過ぎたら、締め切りのあるような仕事をするもんじゃない。疲れた表情をしてつぶやいたことを思い出します。

もう少し年配の定年を目前にした上司と飲んだ時、職業生活が終わる心境をそれとなく尋ねましたら、ちょっと損した気がすると言いました。サラリ―マンとしては、いい線まで行った人にしても、他の生き方があったかもしれないというニュアンスを秘めていました。

閑人は、その職業になりたくて留年までしたことを忘れて、そのころは惰性というか、倦怠感が身に染みてましたので、それらの先輩の言葉をしっかり覚えていて、50を5つ過ぎた時点で職を離れて、あとは、ほぼ自由に生きてきました。

始めた仕事では、雑誌の連載モノは月一だったし、取材費を前払いされて、記事を書くという、きつい縛りを承知したこともありましたけれど、、なんといっても、好きな仕事でしたので、苦にならなかったです。仕事をするのも、しないのも自分の裁量でできるのは、このうえなく楽しく、自由でした。

アタマよりも、丈夫なカラダがものいう仕事だったから、加齢とともに出歩く機会も減り、編集者とも疎遠になってきました。いまでは、あんなこと、こんなこと、いっぱいあったね、と記憶をたどることが多くなりました。いい記憶がいっぱい残ったことは幸いなことであります。

それにしても、先々月らい、身内に健康上のことで、突然起きた不測の事態にショックを受けています。こればっかりは、代われるものなら代わってやりたいが、わが身ではどうすることもできません。長く馬齢を重ねている者がならず、前途に希望や喜びが山ほどある者がなるなんて、だれの采配であることなのか。理不尽な病い。不憫でなりません。

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