邪馬台国はどっち!?

奈良・纏向遺跡から大がかりな古代遺跡が現れて、また邪馬台国騒ぎが再燃、つまり、邪馬台国があったのは、近畿か九州か、という論議である。飽きもせずにやっている。このテーマは古代史のもっとも大きな話題らしく、古代史研究家も素人フアンも侃侃諤諤である。

不思議でならないのは、ちゃんとした物的証拠が何一つないのに、ああでもない、こうでもないと、類推だけで論争する熱意である。文字もない時代のことであって、どんな巨大遺跡が現れても、所詮は推定でしかない。邪馬台国の存在を立証する状況証拠でしかない。そんな曖昧模糊のことに、あれほど熱くなる人たちの気持ちがわからない。

ことの真実を見極める刑事裁判のようなシステムに照らしていえば、邪馬台国九州説にしろ、近畿説にしろ、「疑わしきは罰せず」のレベルである。つまり、そうではないかと疑問視されるレベルの段階では、まだゼロと同様なのである。自供に相当する文書は望めない。

だいたい、国内の旧石器時代を遡及させるためにせっせと石を埋め込んでは、自ら発掘して立証していたという「神の手」がまかり通るくらいだから、、この世界には科学的証明が通用しないようだ。思いこみで夢を語るのであれば、他人との夢の違いをあれだけ熱く論評しあうのも奇妙な世界である。

いまいち不思議なのは、魏志倭人伝は事実を伝えているのか、という疑問である。

魏志倭人伝は正確に事実を伝えているという前提はゆるぎないのか。

この史書を書いたのは、誰か。
邪馬台国情報は、この史書の書き手の見聞記か
あるいは、別人がもたらした情報の伝聞記録か。
情報の伝達者は、大陸と倭の国を行き来したとしたら、その動機や理由はなにか。

当時の大陸と倭の国の地形的な位置関係の認識はどうか。
ヒミコなる女性名のほかに当時の倭の国の人名は記されているのか。
なぜ頂点に立つ者が女性であったのか。

シュリーマンのトロイア遺跡発掘のようなシナリオにを夢を託すのは自由であるが、いまは夢は夢である。いわゆる、そうかもしれないような物証というものが見つかったとしても、国内では断定のしようがないのではないか。大陸に邪馬台国のことを記した別の書物がないのだろうか。

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