タレント乱立

元巨人監督の堀内某、
同選手の中畑某、
同チーム選手の谷某の妻である柔道の某、
歌手の三原某、
女優の岡崎某、
TVタレントの岡部某、
落語の桂某、

まだまだいるらしいが、いずれも今夏の参院選に、それぞれの政党から立候補、国政を担う魂胆である。過去にも、大勢のタレントやスポーツ選手が出馬して、国会議員になった例は枚挙に暇がない。であるから、今回の乱立の気配についても、珍しくはない現象である。

彼らは、すでに属している活動分野で、それなりの知名度をもっているので、ずぶの新人よりも有利である。そこが各政党に目をつけられている所以である。、彼、彼女の知名度によりかった浮動票狙いの作戦である。現代のように支持政党がない有権者が多いとなると、浮動票をかき集めることが選挙戦の勝利する最大の要諦、出馬本人にも、比例代表制にもきわめて有利であるからだ。つまり、集票マシーンである。

マシーンであることは、見事、当選を果たしたあとにも付きまとい、彼、彼女たちは陣笠の一員として、委員会や本会議においても、党議党則に沿った押しボタン役を演じるにすぎないのである。彼、彼女たちの多くの先達の過去の実績からして、そういうことだろう。

ココにきて思うのは、代議制の民主政治は、しばしば衆愚に変質する。この場合の衆愚というのは、たいがい代議員を選ぶ側の有権者大衆をさして言われるのだが、押しボタン役の数さえ多ければ、国政の主導権を握れるとあっては、選ばれる側が、仮に衆愚であっても、ぜんぜんおかしくないということである。誤解されると困るが、特定の個人をさして言っているわけでないが、一人々々の中身よりは頭数が求められているという話である。

多数決原理による民主政治のジレンマである。多数決が必ずしも、正解であるとは限らないが、数は力であることが、この世界の論理であることに、不信感を持たざるをえない状況をみんな見てきた。なのに、そのような状況作りに多くのタレント候補が動員されている。そんな印象が否めない。

だれでも立候補を妨げない建前があるにしても、ふだん、国政に関わる主義主張や、識見や経験、あるいは、夢や希望を語ったことがない人物が突然、立候補して、そして、けっこう当選する現状に、たぶん、多くの人は、こんなことでいいのかなという不信感、アホ臭いような違和感を感じているのではないか、やってられないな、と感じているにちがいない。

この選挙状況について袋小路に入りくんだような気分を持つことが、じつは今の政治に対するいちばんの大きな問題だと思うが、ま、政治家なんて、そんなもんだ、ということが、ワケ知りの大人の認識なのかもしれない。

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