名監督

おじさんたち、おとなの男のなりたい夢というクエッションに 野球の監督とオーケストラの指揮者というのが定番のアンサー。どちらも絶大な権限を持たされて、さぞかし思う存分、自己実現ができるのではないか、と考えられるからであろう。

指揮者のことはさておいて、スポーツの世界の話。

南アフリカのサッカーW杯まえに岡田ジャパンはテストマッチを3連敗。出発前には監督更迭と酷評されたが、決勝リーグでわずか一戦勝ったとたん、名将ともてはやされた。手腕を見抜けなったとして、「岡ちゃん、ごめんね」というフレーズがフアンのみならず、マスコミにも一時はやった。

名将というか、名監督というか、その評価は、こんなに手のひら返すような評価でいいものか。これでは、ただ、勝てばいいリーダーといわれ、負ければ、アホ馬鹿呼ばわりされることを意味する。

いま愛する阪神タイガースが、それなりに健闘している。常に首位争いにからんでいることは、フアンとしてうれしい限りであるけれど、ではでは、マユミ監督は名将、名監督になったのか。

かつて9連覇した巨人のカワカミ監督は、監督の采配で勝負に勝てるのは年間5.6試合と言っていた。残りの勝負は選手の力によるものである。ヤクルトのフルタは、キャッチャーのとき、野球は監督のもの、だから一度は監督をやってみたいと言っていた。監督のリーダシップで5.6試合はモノにできることに監督の醍醐味を見出している。

さて、男の夢に野球の監督というのがある理由は、目的がわかりやすいことである。選手起用に全権を任されている。球団経営のことは抜きにして、有無を言わさぬ人事権(選手起用権)が託される。成績が振るわぬと、まわりまわって経営にも響くが、当面は、ひとつの目的に自分の人事権をフルに発揮して、(持っているとされる)判断力、指導力、統率力などリーダーシップのすべてをかけて勝負すればいい。そこには、妙な人間関係のしがらみや思惑、打算や妥協というようなややこしい要素が入りこまない。満天下の公開試合で腕をふるう。そこに夢の美学があるのだと思う。

しかし、野球のような団体ゲームは、団体としての目的と、選手個々人の目的意識がからみあって、試合をする。プレーボールとともに攻守が所をかえて動きはじめると、監督は有効なサイン、選手交代、守備のコンバートくらいしか指導力を発揮できない。選手が緩急自在な動きをする。選手の持てる力が強弱に現れる。

つまり、具体的にいうと、ピンチ、チャンスに「三振を取れ」、「完封で勝て」。「ファインプレーでゲッツーを取れ」、「満塁ホームランを打って逆転しろ」、、、などと指示したところで、そうなるものでない。試合展開の肝心要の重要な場面では監督の指導力は及ばない。

ということは、実際の試合では、ワンポイントの投手交代や代打の代打といった細かい選手起用の妙が監督の指示できる範囲である。勝負の命運は、選手自体の力である。能力の高い、やる気の旺盛で、丈夫な選手を多く抱えれば、勝率は自ずと高まるものである。勝負事というのは、人の闘争本能を刺激するものだから、町内会の玉入れや綱引きをみてもわかるように、放っておいても人は争うものである。まして生活がかかっているプロ選手である。

であるからこそ、巨人は常勝チームであるが、ハラ監督はじめ歴代の監督が名将、名監督だななんて誰も思っていない。あれだけ金力にあかして各チームの中軸をかき集めてチームを組めば、だれが監督になっても勝つ。たいがいの野球フアンなら、そう思っているはずである。オレでも監督がつとまりまっさ!!(裏を返せば、監督がいなくても勝つということ。)

さて、健闘する今季の阪神。マユミは名監督になったのか。残念ながら、そうではない。カネモト不調、アカボシ消滅、投手陣がいまいちのなかで、新加入のマートン、ジョーの大活躍。ブラゼルと平野の充実が勝ち試合を生んでいる。なにしろこの4人が打率ベスト10に出入りする強力打線である。彼らをマユミが育てわけではない。闘争心が強く、自己技量の向上心にたくましい選手が増えれば、勝つのである。チーム力自体の強さは、編成がいい選手をそろえることである。

名監督というのは、そのチーム力を代表する、いいまとめ役であればいい。願わくば、選手から好かれて、この監督のもとで勝ちたいという気持ちを強く起こさせる人間力があるかどうか、に尽きる。

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