本 『サイゴン ハートブレークホテル』 (講談社)

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あのベトナム戦争(1960-1975)は、遠い過去のことになった。若い頃、メコンデルタや解放区の戦況に一喜一憂し、とくにアメリカの全面的な戦争介入に強い憤りを感じていた。朝鮮戦争もその前の太平洋戦争も、幼すぎて具体的なことは記憶にないのだけに,同時並行的な感覚で戦争といえば、ベトナム戦争であった。

その戦争の報道のためアメリカABCTVのカメラマンとして現地に長くいた平敷安常さんの回顧録。副題に「日本人記者たちのベトナム戦争」とあるように、欧米のジャ-ナリストとの交遊のほかに日本の報道各社の常駐特派員、移動特派員たちの言動、取材活動を記録している。さらに現存の特派員OBたちが著者に宛てた回想も収録している。


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分厚い力作で、中身をひとまとめに紹介するのは、至難のこと。印象的なことをいくつか挙げる。
ベトナム陥落のシンボルとされた「アメリカ大使館からヘリで脱出する避難民」の有名な写真は、じつはアメリカ大使館ではなくて、CIA要員の宿舎だったそうだ。間違った説明が全世界を駆け巡り、それを訂正するのに30年かかかった。撮ったオランダのカメラマンの述懐が興味深い。ロバート・デニーロの映画「ディアーハンター」でも劇中劇で挿入されていた。

日本の特派員連中は、どの社の方針も「危険を冒して戦争の取材をするな」と一歩も二歩も距離を置いた姿勢は基本方針。しょせんはアメリカの戦争であって、日本の戦争でないという認識だったとある。あの激烈な民族解放戦争について当時、読者として生々しい戦場に肉薄した記事と思って読んでいたことと、それを伝えていた記者たちの心情はそうとう違うようだ。ほんとうに危ないところの取材はフリーランサーにお任せという構造なら、いまの福島原発報道と変わりがないか。ある特派員は南ベトナム軍事軍支援本部の日々の広報や現地のラジオ、新聞からも情報が得られたと言っている。

そして、前線にまで出向き、真の語り部の資格を持ったライターは少なかったけれど、「on the spot」に生命を賭けなければ、写真が撮れないカメラマンとは違うと書いている。この現場を踏むことなしに写真が撮れないことからベトナム戦争報道のジャーナリストの犠牲は圧倒的にカメラマンが多い。数十人のカメラマンが命を落としている。

作家、開高健は朝日から派遣され、カメラマンと組んでヴェトナムに行き『ベトナム戦記』をモノにしているが、銃弾、迫撃砲が雨あられの前線に出向いて、歩兵の視線で戦争を描いている。実際の戦闘のときには、地面に伏せて、眼前を動くアリを凝視していたとあるのが興味深い。

ベトナム戦とは関係ないが、アメリカの優れた戦争従軍記者、アーニー・パイルは全員玉砕の島で知られる沖縄戦・伊江島で戦死していることを、この本で知った。

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Re: twitter始めませんか

> 非公開でお送りします。
> BLOG、拝見する度に思うのですが、格調が高すぎて
> 気軽にコメントできないので、ついつい読むだけになってしまいます。
>
> タイガースのこと、日常のウップンなど、なんでも気軽に呟けるツィッターに参加されませんか?
> BLOGに張ってFacebookと連携させれば、一度で三分野の
> 健さんファンに読ませることができますよ。

ご返事が遅くなってすみません。twitterをするにはケータイが必要なんでしょうか。ツイッターのことは何もしりません。

ベトナム戦記

全学連の行動に共感し、一時は組合活動(社会党系)に熱中した私。
開高健さんや本田勝一さんの本は当時、むさぼるように読んでいました。
ジャーナリストの方は皆、命がけと信じていましたが、
「真の語り部は少なかった」ことを初めて知りました。
カメラマンの方が犠牲率が高かったのもうなづけ、ご苦労を改めて思います。
ただし、いま売れっ子のW.Yだけは、どうしても好きになれません。
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