休載の間に

3週間ほどパソコンから離れて暮らしてました。
パソコンが無くても困るという境遇にあったのではなくて、パソコンをする気力さえなくしていたのが、本当の事
情。元気であればインタネットを常に見ていたかった。

さて、その間のメディアとの接触で言えば、改めてTVは不要だと思いましたね。電力不足ならTV局を思い切って縮小再編成するとよい。

とくに地上波はもう壊滅した方がいい。TVは番組宣伝、直販、お笑い芸人のカラ騒ぎばかりと週刊誌に最近叩かれ
た通りの体たらく。じっさい見るにたえない。つまらん番組提供をしているスポンサー筋は、そのうち批判の対象
になるだろう。おそらくTVによる広告効果は実証できないのじゃないかな。TVは昔、大宅壮一(古いな)が喝破したように、地に落ちた電気紙芝居化してきました。


新聞はと言えば、ページ数は維持しているけれど、広告まがいのややこしい記事が増えた。本来の広告も一流のい
い会社の広告掲載がへって、なんだか寅さんの叩き売りみたいな、怪しげな商品の広告が多い。肝心の記事にいろ
いろな事象の検証記事が多く、特集化しているけれど、学生の論文のように生硬で、しんどい。一報よりも特集大事というの解せない。新聞は本来期待されている一報のペンの浄化力を発揮しなければ、衰退する一方だろう。


ところで、発足したばかりのノダ政権の閣僚、ハチロが福島原発第一の事故現場を視察したあとの会見で「死のまち」という表現をしたのはふさわしくなちと報道が伝えている。

あらためて発言内容を全文読んでみると、別に問題になることはない。人っ子ひとりいない無人地帯を眺めて「死
のまち」とか「ゴーストタウン」とか表現するのは、よくあることだ。そこでの生活復帰を願う住民や行政の感情を逆なでするからと言うが、それはそれで別次元のこと。いちばんの問題なのは、あの周辺一体が再び住むに耐えられる土地になるかどうか、だろう。それは科学的な検証とそれに基づく未来予想の問題であって、厳密に言って、住民の復帰感情とは別の判断が必要だと思う。

そこんところをあいまいにしたまま、やれ再建だ、除染努力しだいだなんて、口先だけ調子のいいことを言って居ても始まらない。ハチロの立場でそれが言えないのならば、判断以外の感想をしゃべきでなかった。

でもね、チェルノブイルやスリーマイル・アイランドが「死のまち」になってるって、みんないってるじゃん、よその国のことならいいの??

政府は、住民感情や行政の立場をくんでも、ここは正直に将来とも住めない、あるいはウン十年先のことだと言明した方がいいのではいか、いたずらに先延ばしするのは、よくない。影響が大きすぎる。

それからハチロが記者に防護服をなすりつけるみたいな仕草をして「放射能つけちゃうぞ」と発言したのは、おそらくハチロと記者団が普段から仲良くすぎて、そういうふざけを許容しあってたんじゃないのかな。それが今回は開き直られたか。そうでなければ、ハチロの振る舞いは児戯に等しい。

                             ☆☆☆  

後日のハチロ発言の詳報を見ると、ハチロの「放射能つけちゃうぞ」発言は8日夜、数人の記者団がいる場所で毎日記者に対して行われたが、翌9日付の朝刊にも夕刊にも報じられていない。つまり、なれ合いの悪ふざけか、ニュース価値はないと認識されて記事化していないわけ。9日になってハチロが「死のまち」発言をした際、先の悪ふざけは、悪質な心ない発言だったということに化けて、合わせて一本で10日付け朝刊で報じられている。見過ごした発言をさかのぼって援用してハチロの悪性を糾弾するのは、フェアじゃないね。(09・14追記)


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