辺野古

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沖縄へ遊びに行きました。そのついでにと言うと、事柄が深刻重大なことなので、申し訳ないことでありますがとぐちゃぐちゃ言い訳をしておりますが、タイガースが春季キャンプしている宜野座村から、あの問題の辺野古地区が近いことが分かり、行ってきました。

宜野座村で酒臭いオジサンに尋ねたら、すぐそこだとおっしゃる。地図を見ると、すぐそこではない距離だが、念を押すと、ニコニコして、すぐそこだ、7分で行けると言います。そこで、国道329号を走る。教えられた給油所の角を回ると、茂った林が続き、ついで、海岸に出たが、人影はない。こういうところが移設地候補なのか、どこが違うの感じなので国道筋に戻り、別の人に尋ねると、もっと先だと言います。

教えてもらった通り、国道を北に直進する。左右は一切なんにもなく、ただ上下四車線の道が続く。そこへ実に立派な巨大な建物が現れた。建物は国道の両側にあり、国道をまたいだ跨線橋で結んでいる。国立沖縄工業高専とあります。近年やっと卒業生が送り出したという若い高専。なんでこんな辺鄙なところに国立工業高専を開校したのか、というところに国の思惑やら配慮やらがあるのだろうな。とても通学できる場所ではなさそうなせいか、学生は寮に入っているそうだ。国道を挟んで対峙しているような建物の一方は学生寮なんだろう。すでに辺野古地区であるが、通行人は一人もいない。人が住んでいる息づかいがなにもない。

国道を走ると、相変わらず森林のほかはなにもないところで、いきなりキャンプ・シュワブの入口の前に出た。米軍海兵隊基地であるが、入口には日本人の警備員が一人、こちらを見ている。ここまでくると、海岸側は広大なキャンプ地ばかりので、引き返す。

T字路に写真のような標識をみる。海岸側に小さな漁港があって、そこまで数十戸の集落がある。家並のなかに狭い道路が縦横にあるが、人影は依然となく、店は締められて、出入りが感じられない。埃っぽい。家の壁には英語の大きな文字が風化したり、消し方がおざなりだったのか、色あせて残っていたり。すべてバーやサロンだったと思しき文字列である。米軍の兵隊たちが、大勢繰り出して、夜ごとアルコールと女でにさんざめいた賑わいの跡であろうか。

普天間基地の移転先として日米政府が合意した候補地。移設に反対する地元の動向がきっとあるだろうと想像してきたが、大きな看板一つない。あったのは電柱の根元に立てかけられて小さな立て札で、「私たちはヘリ基地の移設に反対です。命を守る会」というような趣旨の地味なものでした。三日後、野田首相が初めての沖縄訪問したとき、この地の上空をヘリから視察したニュースをTVで見ましたら、海岸で約30人が、移設反対の声を上げていました。

沖縄復帰40年。米軍基地に依存しなければ、火の消えたような貧しさの影に覆われる地域であります。辺野古の歓楽地は、まるで西部劇に出てきたゴールドラッシュのあとゴーストタウンのように生気が感じられないところでした。思うに、ここで暮らす人たちのなかには、基地が来てくれれば、助かるという本音を秘めた人が少なくないのではないかと思いました。

知事も辺野古地区を抱える名護の市長も「県外移設」の立場で日米合意の見直しを強く求めています。それは正しい見解に違いありませんので、辺野古移設を両政府が強引に実行するのは、困難でしょう。強行すれば、不測の事態が起きそうではありますが、しかし米軍依存でなければ、地域の経済振興もままならぬ現状も悲劇です。戦後60余年、政府や沖縄県はなにをやってきたのかと思います。琉球国の昔から、ずっと差別的に処遇されてきた沖縄と沖縄の人たちの苦しみが肌身に感じられました。

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