沢木耕太郎の『無名』を読む


mumei



父と息子という関係は、むずかしい。家族ドラマにあるような明るい
情景をいっしょにするということは、ほとんどの家庭にはない。
ないから、あのような甘ったるい、陽光さんさんたる情景が、理想の
かたちのように描かれるのだろう。

沢木はノンフィクション作家として独自の世界を保つ。それなりの有名人であるが、89歳になる彼の父は、まったく市井に一老人であって、若いときも、仕事のうえでも、暮らし向きのことでも、ただ一度もにぎやかな脚光なんか浴びたことがない、無名の生活人である。沢木が知っている父は無類の本好きで、「一日一冊の本と一合の酒があれば、それが最高の贅沢」というような暮らしをしている人物である。

仕事に忙しい沢木に、そんな父のことに特別な思いを馳せることになるときがきた。別居している父が病に倒れたのだ。母と2人の姉と沢木は交代で病床で介護することになる。これほど間近に父の眠る顔を長く見たことがない、という感慨から父のことをもっと知りたいと思う。

幼児のころのおぼろげな回想、姉や母の思い出すこと、自分の成長の過程にうすく淡くかかわった父の言動、、、。そうしたことが続くなかで、病床にあった俳句雑誌、といっても、同人誌のささやかなものだが、その俳誌に父の作った俳句を見つける。ええっ、あの父は俳句を創っていたのか。そこからバックナンバーを探し出し、いくつかの父の俳句を見つけ、その作風、その作成の動機や背景や、その心境をあれこれと手繰ってゆく。

いわゆるスパゲッティ症候群と称される検査器具とチューブだらけなって寝たきりの病床を嫌がる父をマンションの自宅に引き取り、家族総出で介護すると、院長や担当医が驚くほどの回復をする。院長が言う。
「こんなお年寄りを自宅の引き取りたいという家族は、いまどき珍しい」と。ふつうは面倒な年寄りを病院に預けたがる家族が多いのだ。

よくなった父は流動食から固形物を喜んで食べるようになり、家族とよく話をし、テレビもみるようになった。ある朝、おきなカボチャの煮つけをぱくりと食べたあと、芸能ニュースが流れるTVを見ていている。冗談めいたことも言った。介護していた姉がちょっと目を離して戻ってみると、父はすでにコト切れていた。

完全な私小説。ノンフィクションといえば、私小説はある意味で、ノンフィクションかもしれないが、探り出した事実に物言わぬ父の顔を重ねて、静かな清涼感のある作品になっている。すこし感情移入があって
自己陶酔を思わせる臭みもあるが、全体としては、いい小説である。

小説に出てくるなかで、いいと感じた俳句三句をあげる。

    薔薇の香やついに巴里は見ざるべし
    迎え火や母若くして逝きにけり
    聖夜なり窓あかあかと麺麭工場




sawaki


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