当たり前のこと

その一、最高裁が婚外子の遺産相続について嫡出子との間にある差別は、不当であるとして、これまでの民法規定を違憲とした。当たり前のことであります。

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なんでも先進国で、このような差別をしているのは、唯一日本だけだったそうです。判決の要旨は「生まれてきた子どもに親を選ぶことはできない。本人に選択の余地がないことで不利益を負わすのは間違っている」ということに尽きます。こんな簡単明解なことが明治いらい延々と直されることもなく続いていたことに、この国の頑なな家族制度や国民の後進性を見ます。

判決の論旨に関して、他の事例に派生させれば、女性に生まれてきたこと、黒人に生まれてきたこと、心身の不具合を持って生まれてきたことなども「本人にとって選択の余地のないことで不利益をうけている」わけです。わたしがかねて廃止を主張している大峰山登山の女人禁制も、当然、是正されてしかるべきことです。生理があるから不浄だとか、皮膚が黒いから劣等だとか、障害があるから生産社会の邪魔だとか、世に誤った不利益がはびこってます。

その二、バンギブン国連事務総長が訪問先の韓国で「政治家や指導者は正しい歴史認識を持つべきだ」と語ったことは、当たり前のことです。これに管官房長官や反韓連中が怒ったり、不快感をあらわにしているには見当ちがいな怒りです。政治家や指導者に限らず、そのへんのB層もふくめてすべての人は「正しい歴史認識をもつべき」であって、過ぎたことを自分に都合がいいように解釈し、他人に強要する歴史修正主義はあってはならないこと。管や反韓連中が、あの発言は韓国寄りであって国連事務総長の中立性を損なうなどと非難しているのは、大いなるヒガミ根性です。

その三、そのバンギブン事務総長が、アメリカが画策しているシリア攻撃について、「少なくとも安保理決議なしに攻撃するのはダメだ」と発言しました。これも当たり前のことです。なんために組織した国連なのか。第二次世界大戦の愚を繰り返さぬために作られた国連なのですが、戦争の回避にかんしてまともの機能したことがありません。アメリカはじめ大国のほしいままに行われています。

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国連の規定では実力行使は、安保理決議が必須としています。安保理が開会される前に事態が切迫または実際の侵略は行われた場合には、正当防衛してもよい、つまり個別的自衛権を認めています。これは人間としての権利です。暴漢に襲われたら、逆襲すればいいのです。交戦の状況しだいによっては被侵略国の同盟国(日米のような関係)がかかわってよい、つまり集団的自衛権を行使してもいいとあります。単独で応戦するのでなく、仲間を呼んでもよいという規定です。

ただし、その間に安保理が開かれ一定の決議が行われれば、集団的自衛権の行使はこれを止めて、国連の実力行使に委ねるべきだとしています。もっとも、この麗しい規定は従来からずっと無視されています。安保理常任5カ国の確執があってまとまらないからです。ただし、今度のアメリカのシリア攻撃計画は、アメリカが侵略されたわけでなく、勝手に気合をいれているのです。そんなアメリカの勝手な気合いに付き合う必要な全然ありません。

ちなみにアベが行使できるようにしたがっている集団的自衛権、つまりアメリカ軍の先兵、傭兵になろうという権利は、もともと国連規定では例外的措置なのです。アベがやるべきことは、国連安保理が正常化できる国際社会の環境つくりにいそしむことが本来の姿勢です。だいたい国連組織ができたのは、かつての日独伊の軍国主義、ナチズム、ファシズムを根絶するための智恵であったはずなのに、その国連生みの理由になった戦争仕掛け国の日本の指導者アベがまったく時代錯誤の情熱を燃やしているのは、世界の笑い者だと思います。

その四、天理大柔道部が本日の報道では活動を停止するとあった。当たり前のことです。5月に起きた暴行事件を秋風が吹くころまで隠蔽し、バレたら、平身低頭する。もうなんども見飽きた光景です。世の中全体がどうも弛緩してしまった感じ。古くさい表現で言えば、ふんどしが緩みぱっしです。とくに体育会系の暴力不祥事はほんと根深いし、その指導者たちのアタマの中はお粗末、隠蔽態度には呆然としますね。

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天理大の部長というのは、なにか大きな大会で三連覇した実績がある男とか、暴行現場にいた主将というには、口をつぐんで、この間のブラジル世界大会で金メダルを獲得したばかりだという。部長の方も素知らぬふりして、全柔連の新規出直し組織の理事に就任していました。この出直しというのは、柔道界の巣食う暴力是認の風潮を糺すために発足したものです。なんというか、ブラックジョークみたいな話。

つまるところ、鍛えた体育能力とはまったく無関係に暴力容認、無責任、無節操な精神が同居しているわけです。文武両道といいますが、ほんと武の分野では世間的に大成されてとされる人物で心底尊敬に値する人物というのは、少ないな。なんのための鍛練か。つまりは、柔道バカ、バスケバカ、野球バカといった手合いをカネとヒマをかけてせっせと育成しているのではないかな。

                                    (写真はGoogle引用)

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