山本議員の手紙

秋の園遊会で山本太郎参院議員が天皇に手紙を手渡し“直訴“したことに波紋が広がっています。
「議員辞職せよ」
「非常識で国家議員にふさわしくない」
「請願法に抵触する」
「田中正造をまねた暴挙だ」
「不敬罪だ、切腹ものだ」などと、非難轟々でした。

20131031-00000554-san-000-12-view.jpg


最初に田中正造を持ち出したのは下村文科相。彼の頭のなかでは足尾銅山の鉱毒に苦しむ労働者、地域のために当時の天皇に直訴した反公害運動の元祖を暴挙の主のように理解していたらしく、見当ちがいの喩えにア然としました。その後に与党議員から飛び出してきた「不敬罪うんぬん」には仰天しました。

いまもって、こういう時代錯誤の発想がすいと出てくる化石のような人物がいるのは驚きです。非難・批判はおおむね道義や法律論を持ち出したり、天皇制の認識違いやらから出ています。参院では山本議員から聴取したあと、なんらかの措置を決めるかもしれませんが、これは山本議員の個人的行動であって、お灸をすえるというなら越権行為でしょう。右寄りの連中は、天皇への忠誠を誇示する好機ととらえているのか、ことさらに声高に難詰しています。

園遊会に呼ばれた山本議員が思いの丈が詰まった文書を天皇に手渡したことについて、私なぞは賛成もしないが、反対もしない。なぜかといえば、現憲法下では天皇には一切の政治的権能が与えられていないので、天皇に直訴したところで、なんの効果も期待できないからです。賛成しない所以です。

天皇の憲法上のポジションは、国政に関わることは「内閣の助言と承認」にかかることだけです。具体的には国会の召集や総理大臣や最高裁長官の任命などにすぎません。いずれも既にお膳立てされた事象を形式的に認証するだけです。憲法上で天皇の存在を認めていますが、天皇の国事行為(認証)に異議や改変を迫る権能も与えられていません。

つまり、天皇は「政治的無答責」者であります。政治に一切関わらないことは、同時に政治的な事柄についても一切責任を持たない立場です。山本議員が切羽つまった思いを手紙に託しました。その手紙には伝えられるところでは、福島の子供たちの窮乏や原発労働者の被爆被害などについて書かれたものだそうですが、それによって天皇がなんらかのリアクションを起こすという効果はまったく期待できません。

山本議員の行動は、空振りになるのが、はじめから分かっていたことですが、それを知ってか知らずの行動か、今のところわかりません。園遊会の場で衆目の関心を集めるパフォーマンスをとることに意味があると山本議員が考えていたかどうか、彼はタレント出身ですから、あるいは、そういう思惑もからんでいたかもしれません。それなら、大きな反響を呼んだ限りはパフォーマンスの成果でしょう。

しかし、実際には山本議員のとった行動によって福島での被爆問題にさらなる関心が集まったという方向ではなくて、冒頭のように山本議員非難の嵐となって物議をかもしています。これは非難する連中やマスコミが問題を故意に論点をすり替えているからです。批判の対象になるのは、直訴そのもではなくて、被災二年半にもなって、何一つ解消していない原発問題なのです。

さながら山本議員への集中砲火です。アベ政権と与党と原発推進派の連中は、反原発を唱えて国会に登場した山本議員を目の上のタンコブ視していますので、虎視眈々と山本議員を追い落とそうと謀っているようです。

一方で、それこそ大時代な忠臣アベあたりは、山本議員を天皇の政治利用などと非難すれば、天に唾するごとくアベ自身に降りかかるでしょう。沖縄県民が屈辱の日とした4月28日を勝手に「主権回復の日」と定めて天皇を式場に引っ張り出して、「天皇陛下、万歳、万歳」と三唱したことや高円宮妃をブエノスアイレスまで送りこみ、五輪招致総会で筆頭の挨拶をさせています。いずれも歴然たる天皇、皇族の政治利用とみなされます。

天皇の政治利用という問題にからんで法の下において何人も平等という民主国家のなかで皇室(王室)はどうあるべきか、その正統性は?、その存在意義は?、などという根本的な原理原則にまで波及しないようにアベあたりは早くコトを収拾したいと企んでいることでしょう。

無所属で一匹狼の山本議員は、こんごもゲリラ的政治活動をするにちがいありませんが、事前にもっと勉強してから臨まないと、巨悪にハジかれてしまうと懸念されます。

(写真はgoogle引用)

コメントの投稿

非公開コメント

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
プロフィール

tajifu

Author:tajifu

ブログ内検索
RSSフィード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる