余生のパスタイム

長い老後のなかにいます。
いつまで続くのか、余生は!!。
余生とは不思議なことばです。人には決められた寿命が厳然とあるとして、なお余生というのは、文字通り、余った人生の意なのでしょうが、人生のなにが余ったのか、なにが余分なのか。はっきりしないものの、もう十分であるのに何かしら余分な気分のなかに生きているのは事実ですね。

晴れた日は、かつては山を歩きに集中しました。いまは近所をウォーキングしたり、プールへ出かけたり、本屋に立ち寄りますが、それだけではたくさんの時間をつぶすことはできません。晴雨にかかわらずですが、夜は酒を飲んで無為の時間をやり過ごすことができます。まあ、酔生夢死と言った境地です。

雨の日、時間をつぶすのにいいのは、モノを書いたり、本を読んだり、DVDを見たりしますが、それだけではとうてい閑暇のほどは埋まりませんね。

とてもいいパスタイムになるのは、なにかの面倒をみることだと思い、いろいろに手を出しています。それも小さいもので、限られた範囲にあり、細々を手をかけると、それなりの反応があるものです。もちろん自分の体力に見合ってのことです。なぞなぞめいた話しですが、たとえばガーデニングで草花を育てたり、小さなペットを飼うことです。

本来、パスタイムとは、何事かに没頭するものの、しょせんは時間つぶし、気晴らし、暇つぶしというような意味のことばです。いわゆるホビーとは次元が違います。英語圏ではホビーというのは、単なる趣味ではなくて、ほとんど専門的に造詣を深める遊びのことを指すらしい。具体的には、そのことについて本を著わしたり、一時間でも二時間でもウンチクを語れるのをもって、マイ・ホビーと人前で言えるらしい。

さて、そのパスタイムの対象ですが、いま籠のなかに白文鳥一羽、二基の水槽には熱帯魚と金魚を飼っています。白文鳥はヒナのころから育てている手のりです。鳥カゴを開けて、水浴び兼飲用の水容器を取換えてやり、餌とカルシュウム粉の容器を洗い、野菜とともに餌を補給しています。その間、文鳥は肩に乗り、頭に止まり、部屋のなかをぐるり旋回して
戻ってきます。可愛いいものです。

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文鳥はスズメほどの大きさですが、よく餌を食べ、しきりに糞をしますので、止まり木や籠の網が汚れます。これらの掃除をするのも飼い主の仕事です。いつもキレイな文鳥がいる風景を楽しんで眺めるには、手間がかかります。

熱帯魚はいまはエンゼル3匹、赤コリ2匹、黒コリ2匹です。これまでの長い飼育期間のなかで、一体、どれほどの小魚を死なせたことか、グッピー、ネオンテトラをいっぱい犠牲にしてしまったかと悔います。魚を上手に飼うのはほんとうに難しい。

水温の調節、水質の浄化、餌のやり具合、こまごまと気遣いが必要です。それでも、いまのエンゼルは買ってきたときよりも体長が二倍には成長したでしょう。元気に育っているのは喜ばしいことです。

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金魚は丹頂という種類で、いまは一匹だけ。長くて白いレースのような背びれや尾びれが美しい。ゆらりゆらりと泳いでいるのを眺めるのは、いい気持ちの安まる時間です。

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それにしても、アベ反動右翼の暴走が止まりません。後世どころか、近未来にも国民は、この誤った国策の痛手を被るだろうと思います。

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