空蝉 夏の終わり

あの光源氏が見染めて、近づいたら、衣一枚うち捨てて、姿を消した女を、その後、名付けて空蝉という。源氏物語にも出てくるのだから、蝉の抜け殻は昔から、その存在がよく知られていたのに違いない。

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お盆を過ぎると、蝉しぐれもいくらか静まった感じです。閑人宅でも家屋の壁や駐車場で羽化し、あとに透明な薄茶色の抜け殻がいくつかくっついています。空蝉です。豊かな庭木があれば、幹を伝ってに上り、羽化するのでしょうが、そういう環境ではないにもかかわらず、砂利敷きの硬い庭土を穿って出てくるからすごい。生命力の不思議です。

羽化作業は天敵にねらわれない夜に行われるそうです。裡科観察でもしない限り、普通は目にしない。蝉の生態についてはまだ分からないことが多いうえ、地中に3年とか、長いのになると十数年とか潜伏し、地上に現れては、火がついたように鳴きますが、ほんの短い生涯を送ると信じられていますので、カゲロウと同じように儚い存在とみられています。

こういう不思議な生態とともに羽化したあとの命の儚いところが、日本人好みの無常感に通じています。蝉にもいろいろ種類がありますが、閑人が好きなのは、山中で耳にする日暮らしの鳴き声。カナカナ、カナカナと低く、か細く、余韻のある静かな趣がいい。

日暮らしを秋の山道を下りながら、耳にすると、しみじみ心が安らかになります。コオロギや鈴虫の鳴く声とおなじように心を打ちます。この世を謳歌し、世界をひとり占めするような燃焼したとしても、生あるものはいずれは虚しく果てるという無常感と重なります。凡々たる閑人なら、なおさらのことです。

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(日暮らしの写真はGoogle引用)

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