ポックリ寺のこと

過日、お墓参りの帰途、ポックリ寺に参りました。
ポックリ寺に参拝しましたと言いますと、怖いねえ、と言った女性がいました。

閑人には、ユーモラスな呼び名としか思わなかったのですが、怖いねえ、と言われると、確かにポックリと死は同じことを指しているですから、怖い話と言えば、怖い。死の話は、できれば避けて通りたい話かもしれません。

ポックリ寺は正式には「清水山吉田寺「といい、奈良県斑鳩町にあります。かの有名な法隆寺から西南一キロくらいのところ。付近には龍田神社もあり、それらを含めて、そぞろ歩きの散策路になっています。あたりは鄙びて、寺も小ぶりな規模で、静かでした。
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寺の縁起によりますと

吉田寺の創建は古く、天智天皇の勅願によると伝えられている。その後、平安時代末期、永延元年(987年)に恵心僧都源信が開基された。 浄土教の先駆者として知られる恵心僧都源信はお念仏のみ教えを早くから世に広められ、その著書の「往生要集」では、お念仏による衆生救済の功徳を理論付けられた。浄土宗の法然上人や浄土真宗の親鸞上人にも多大な影響を与えられた。</p>



由緒正しい古刹なんですが、ここが一般に知られているのは、こういう縁起があるからです。吉田寺公式ホームページから一部引用しますと、

「ぽっくり往生の寺」としても広く知られている。開基上人・恵心僧都が臨終の母に浄衣を着せかけられ、お念仏「南無阿弥陀佛」をお称えになると、恵心僧都の母は安らかに極楽往生を遂げられた。吉田寺の御本尊・丈六阿弥陀如来像は、恵心僧都が母の三回忌追善供養と末世衆生救済のために発願されたものである。

これが由縁となり吉田寺の御本尊前で御祈祷を受けると、長患いすることなく寿終の後には阿弥陀如来のお迎えがあるという霊験がある。現在ではシモの世話にならないようにと、肌着を持参して御祈祷をお受けになる方も多い。



シモの世話にならずと、具体的で切実な問題を回避できるとあるのが、この高齢化時代の男女の人心にうまくマッチしているようです。この日は、お参りしている人の姿はひとりも見られませんでした。お盆明けの翌日だったせいかもしれません。休憩所や手洗いのあたりで、普請工事が行われていました。

この寺に行くすがら、ポックリ往生の願いごとなら、長野で起きたPPK(ピンピンコロリ)運動のことを想い起していました。
こちらの運動も、命名がユーモラスで、しかし、高齢者たちの日頃の懸念を言い得て妙なのに感心します。もうとっくに逝った母にピンピンコロリとなるまで頑張ってや、と話した記憶が蘇ります。

改めてネット検索しましたら、発祥地の長野県には「ピンピンコロリ地蔵」というものまで建てられているのに驚きました。三十数年まえに地元の体育教師が健康長寿体操を考案。日本体育学会に「ピンピンコロリ (PPK) 運動について」と題し発表したのが始まりだそうです。

実際の運動というのは、「健康で長生きして死ぬ時はあっさり」という願いを込めた健康長寿体操。今時はやりのヨガとか、アスレチック・ジムと同じようなものかもしれないが、なんといっても、わが身、他人の身の往生際にとりわけこだわる高齢者の心をつかんでいますね。

ポックリもピンピンコロリも、言ってみれば、古今東西かわらぬ、生けるものの永遠の課題です。どうしようもないことは、祈るとか、成り行きに任せるしかないか。

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(ピンピンコロリ地蔵の写真はGoogle引用)







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