「火宅の人」と「檀」を読む

檀一雄の「火宅の人」(新潮・現代文学全集)は昭和50年に完結した私小説。作家自身の分身と見られる小説家の怒涛の放埓人生記。酒と女と原稿書きに狂奔するさまを虚実入り混じって、つまり、どこからどこまでが本当やら、創作やらと延々と書いている。

家に体の不自由な息子を含む五人の父親だが、別宅をあちこちに構え、
かつ新劇女優ほか、さまざまな女と情痴の限りを尽くす。常識的には
父親、夫、世帯主失格は当然ながら、その泥沼の淵で生きることと死ぬことの人間の寂莫を描いている。

一方、この破廉恥、無頼作家を妻は、どう見ていたのか。そこを描いたのが沢木耕太郎の「檀」(新潮社)。妻を語り部にして、会話のような文体で、夫である作家の言動や狂態をつぶさに書く。気丈な奥さんらしく
陰々滅々なところがないのが救われる。モデル小説への興味もある。

こういうモノを二冊あわせて読むと、家族とは、結婚とは、人間とは
男女の仲とは、などという根源的な関係について考えさせられるものの
、しかし、こういった関係にはこれぞという正解はないもんだ。そのことがよく分かる。

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