閑中閑ありの悲哀

閑人は、老人なので、トシ相応の喜怒哀楽があります。

なかでも、悲哀を感じる、いちばん痛切なことは、もう先がないということ。
言い変えても同じことになりますが、もうアトがないということですね。
つまり、この先に起こり得ることは光であれ、影であれ、関わらないだろうということです。

と想いが募るのは、ごく最近、片目の視力が失われたからです。脳梗塞とか、心筋梗塞などと同じように、目の奥にある血管が詰まり、視力をつかさどる細胞が死んでしまったのです。突然のことで、大いにうろたえました。こうした病気について素人には因果関係がわからないので、降ってわいたような不運に悔しさを感じます。

先がない、アトがないということに関して言えば、この眼の病気は、いまの眼科治療術では直すことができないと医師に言われたことです。次々と三人の眼科医に診てもらいましたが、三人とも表現は異なっても、今のところ回復するすべがなく、新しい治療法が開発されるまで委ねるしかないとのことでした。いろいろな難病がありますが、目の領域にもまだ治療が及ばない分野があったのです。

そして、希望があるとすれば、あのノーベル賞の山中教授が開発したiPS細胞を利用した再生移植技術が実用化されるようになれば、可能性は広がると慰められました。この技術を使い、いま目の難病とされる黄斑変性の治療が進められています。

先駆的に進めている理研の高橋プロジェクトリーダーが最近の新聞紙上で語っていたコメントでは、「視野は広がったが視力はよくならなかった」との趣旨でした。まだまだなんです。

すでに老眼になっていたもう一方の目だけでは、車の運転がやりにくくなります。遠近や左右のバランスがつかめなくなると、正常な運転をする自信が揺らぎます。そこでコマーシャルで見る自動ブレーキの車に関心が向かい、さらには自動運転の車が、そう遠くない時期に実現されるかもしれないという情報に耳目が集まります。

自動運転というのは、運転者のハンドル操作は補助的であって、加減速、信号や対向車の検知、危険回避をコンピュータ制御できる車ですが、片目運転者には大きな助けになるに違いありません。しかし、この先端技術車の実用化は、2020年の東京五輪の後くらいではないかと展望されています。

閑人の悲哀というのは、視力の回復術にしろ、自動運転の車にしろ、話は未来の可能性の世界であって、たぶん余生には間に合わないにちがいないと思うことにありますね。雲をつかむような荒唐無稽な話なら笑って見過ごせますが、ひょっとしたら手に届くかどうか、その可能性に間に合わないかもしれないと思うことです。

老人は過去に明るいが、未来には暗い。これは千古からの真理ですね。

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