女優の処し方

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原節子がお亡くなりになった記事は、新聞の一面を賑わす大きな話題でした。毎日新聞ではトップ記事でした。

新聞に限らずマスコミの編集担当者は、若い人が比較的多いので、おそらく原節子主演の映画を劇場公開で見たという御仁は、まずいないだろうと思います。

にもかかわらず、伝説の美貌の大女優というイメージと実績について共通の知識を持っていたからこそ、大きな扱いにしたのでしょう。逆に読者のなかの若い人にとっては、ハラセツコって誰?という印象の人たちも少なくなかったにちがいありません。

徐々に老いてゆくTVタレントの移り変わる姿をみることは、よくありますが、いったん、このように長いブランクがあっても、なおかつ最大級の賛辞でもって惜別されるのは稀有のことです。

原節子は、42歳のおときに突然、銀幕(当時のスクリーンの表現は、こうでした)からサヨナラしましたから、もう半世紀まえのことです。閑人は若いころから映画好きでしたが、実際に映画館で原節子を見たという記憶がありません。見たと思いますが、それを思い出せません。

ビデオやDVDが普及してからは黒沢明や小津安二郎監督らの作品で何度もみています。名作で名高い『東京物語』なんか数回は見ています。先日もBSで小津の『秋日和』を見ました。原節子は、22歳と名乗る娘、香川京子の母親役。劇中「もう40過ぎただろう」という会話がある役どころでした。原節子にとっては最晩年の主演作の一つでしょう。

ところで、閑人が若いころ夢中になった映画の黄金期に華やかな美貌をみせくれた仏米の女優、ジャンヌ・モローとシャーリー・マクレーンが現役で主演する映画のDVDを最近、続けて見ました。彼女らは、WIKIで調べると、前者はなんと87、後者もはや81になっています。

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ジャンヌ・モローは良き時代のフランス映画を代表する女優でした。ジャン・ギャバンと共演した『現金に手を出すな』の踊り子役で存在感を示し、独特の倦怠感を漂わせた雰囲気の人妻が当たり役、『死刑台のエレベーター』、『雨のしのびあい』などが目に焼き付いています。

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一方のシャーリー・マクレーンはヒッチコック監督の『ハリ―の災難』をはじめ『アパートの鍵貸します』、『愛と追憶の日々』などで、愛くるしい優しい顔だちとコミックな演技で人気を博しました。

さて、ジャンヌ・モローの映画『クロワッサンで朝食を』では、召使の女性をこき使う頑固いじわる婆アを貫禄で演じてました。かつての若いツバメに裕福に養われている気ままな一人暮らし役。大きな瞳や厚ぼったい唇に若いころの美貌の片りんをしのばせました。

シャーリー・マクレーンの近作は『トレヴィの泉で二度目の恋を』。ひそかに人工透析をしている病人だが、見かけは達者で世話焼きの夢見るおばあちゃん。隣人の偏屈爺さんの心を射止めて、アニタ・エクバーグとマルチェロ・マストラヤン二が演じた映画『甘い生活』に出てくるトレヴィの泉に出かけるという話。

いやーもう、かつて輝くばかりに美しかった女優が、手すりを伝ってよちよち階段を上り、ベッドから起きるのに人の手を借ります。口元の縦シワ、シワだらけの首筋、ぎこちない手の動き、足の運び。丸ごと老残を見せてくれます。美しく老いるというのは、美辞麗句のたぐい、実際には難しいものです。

晩年になると、無常観が強まるという日本人にあって、閑人もまた、こういう女優の現実をみると、たとえば、蓮如上人による「朝には紅顔ありて 夕には白骨となれる身なり」という言葉を思い出したり、秀吉の辞世の句とされる「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」なんかを想起してしまいますが、天命というのは、自他を超えた、まさに授かりもの。

天命である歳月を重ねて在りのままを見せる役者魂のジャンヌ・モローもシャーリー・マクレーンも偉い。早くから伝説の世界に隠遁した原節子も偉い。

フランス映画によく出てくる慣用句のセリフにならえば、「セ・ラ・ヴィ」です。この言葉は、「まあ、あれもこれも、人生ってことです」といなす諦観とも達観ともといったニュアンスで使われているようです。

浮き沈み、この世のことは、すべてセ・ラ・ヴィってことよ。

(写真はwikiから引用)





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