自然の力

山歩きが好きで、汗水垂らして山頂に立てたときに味わう感覚というのは、とてもいいけれども複雑でもあります。日常にはない大きな達成感があります。しかし、それとともに、なんともいえない無力感というものも感じます。大きな自然のなかにある小さな自分という感覚であります。

青黒いほどに見える深い空、どこまでも続く山並み、視野の下に広がる大地の風景。そんな大きな自然のなかにいると、世俗のたいがいなことは、些事に過ぎないこと、思い悩むようなことはちっぽけなことにすぎないことという意識が腹の底から滲みわたります。

不思議なことに、そういう自分を見つめた内省の気分がカタルシスになって、元気をもらうことになります。山歩きの妙味です。

山頂の自然ではありませんが、熊本地震の惨事を伝えるTVの映像をみていると、やはり自然のもつ計り知れないエネルギーに、閑人なんかは強い無力感を覚えます。地底から湧いて地軸を揺るがす大自然の脈動に人はどうすることもできない。しみじみと人間の非力を感じます。

地震予知なんかぜんぜん役に立たないし、起きてしまっても、なお明日のことも予測できないようです。

恐ろしい津波や洪水には、一過性の始まりと終わりがありますが、地震には始まりがあっても終わりがわからない。被災者はまるで羊のように囲いを求めて避難し、被災者でない者は、モグラたたきのように被災の現場に駆けつけ、原状回復や応急の手当に追われています。これが地震という天変地異に対する21世紀の現実です。

自然を征服することが科学の進歩であり、それが文明の証でありましたが、地震にはぜんぜん手も足も出ない。自然の素晴らしさと自然の脅威は裏表の関係にあります。思うに、このような自然の営みに畏怖したり、庇護を求めたりする心から自然崇拝や宗教心が生まれたのだろうと思います。

今では、その自然畏怖の気持ちが薄れました。したがって神や仏の怒りというような宗教的な解釈も廃れました。巨大地震のような大自然の脅威を眼前に見せられると、茫然と立ちすくみ、怯えるしかしようがない。この無力感からカタルシスを得て、再び元気になるということがない。地球の果てまで続く底なしの無力感です。

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