アベの狙い 北方領土交渉

アベは、このところ世界中にカネをばらま一方、超大国のトップを拝顔跪座することに夢中で、肝心の国内政治の方は多数決にまかせて強行採決を重ねています。

この一見、活動的な振る舞いを推して、長期政権を不動のものにした大宰相と持ちあげるメディアや御用評論家の声が散見されます。国民の暮らしの向上よりも戦前の全体主義国家へ回帰を急いでいるとんでもない首相です。

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来週の15日にはプーチン大統領を自らの選挙区に招いて、日露首脳会談を行う予定です。会談場になる温泉料亭旅館は、そのために大リフォーム、そこへつながる山口宇部空港からの道路は景観整備や警護準備でてんやわんや、すでに”プーチン道路”と異名がついたそうです。

この日程を組んだとき、アベの目論見からすれば、「70年間,果たせなかった」領土返還交渉に大きな成果を上げられると踏んだのに間違いありません。道路事情が悪い過疎地の選挙区にまで、わざわざプーチンを招くのですから、なんの目途もつかない交渉を行うわけがないと見るのが妥当でしょう。

おらが郷土で開く領土交渉の”成功ショー”を選挙民に見せつける。郷土に”錦を飾る大宰相”という思惑があったに違いありません。そして、大叔父、佐藤栄作と同じような栄誉を受けたいと思ったのでしょう。

アベは、ほんとに北方領土(*1)が返還されると考えているのか。戦勝国が戦果にした領土を敗戦国へ無血で返還することはめったなことでありません。戦勝国側にも多くの血の犠牲を伴っているから、国民感情が許さない。ロシア側には「日露戦争で奪った樺太(サハリン)を返さなかったのに、奪われたから返せというのは虫が良すぎる」とする感情もあるようです。

実際、翻ってみても、軍国主義日本は、樺太どころか、台湾や南洋諸島など多くの分捕った割譲地、満州国や朝鮮半島などの侵略地を、相手の国民や住民の悲痛な要請通りに手放さそうとはしたことはありません。敗戦でお手上げになるまでに。

沖縄が返還されたのは、世界史的にも例外の事象だった。なので、「非核三原則」を唱えた当時の佐藤栄作首相はノーベル平和賞を受賞しました。しかし、米国から返還された裏に日本側の屈辱的な大譲歩があり、いまも、その屈伏状態に苦しんでいます。

口先では「非核三原則」を唱えている佐藤首相は、それを裏切ったうえ、米軍の核兵器持ち込み、基地建設の費用肩代わりなどの密約をかわしていたことが、その後に明るみに出ました。平和賞は表向きの「無血返還」が注目されたために与えられたものであって、この授賞は間違いだったという声がいまも出ています。(*2)

佐藤栄作は、アベの大叔父です。アベが尊敬する祖父、開戦内閣商工大臣であり、安保条約改定時の首相だった岸信介の実弟です。こうした系譜を眺めると、アベの北方領土返還交渉のモチベーションには、大叔父のノベール賞受賞があるのではないかと勘繰りたくなります。「ボクちゃんももらいたい」、、、、。

今回の日露会談を設定したあとから伝わる報道では、プーチン大統領はアベが入れ込んでいるほど、乗り気ではなくて、むしろ領土問題をタテに極寒の島々に日本側から経済支援策、大規模な投資を見込んでいるようです。アベも最近は「70年間、果たせなかった」の後に「そう簡単なことではない」と逃げ口上の予防線をはっています。

それあってか、今回の会談は、領土問題を棚上げして両国の共同経済活動へ観点をずらそうとしているようです。ロシア側の主権を認めた上での経済行為は目先の処理であって、領土の帰属問題をいっそう難しくしそうな成り行きです。

今回の会談で、日ソ共同宣言(*3)にうたわれた歯舞、色丹の2島先行返還とか、国後、択捉島に関して領土交渉が1センチでも2センチでも前進するとしたら、その裏で佐藤栄作首相が謀った沖縄返還と同じように多くの密約がかわされたと考えても、あながち不思議なことではありません。なにしろ、したたかなプーチンが見返りなしに応じることはありえないし、功を焦るアベが裏取引を持ちかけるかもしれないからです。

日本国民にとって許されないような譲歩をしないよう見守ることが肝心です。いまとなれば領土返還よりも平和条約の締結の方が先決問題だと思われます。「70年間、果たせなかった」のは、冷戦終結後も米国の顔色を窺ってばかりいて、本格的に取り組まなかった歴代自民党政権の怠慢のせいであります。

{地図はGoogle画像検索引用)

追記 16日、プーチンが帰国した。会談を終えての印象を一言

アベは領土問題は「私の世代で終止符を打つ」と会談まえに大見得を切っていたが、結果はそうなった。領土交渉は交渉課題にもならず、ロシア領であることを再確認することで終止符を打った。おそらく二度と交渉の焦点にならないだろう。アベの対応は、2島返還の余地を残した日ソ共同宣言より前に後退してしまった。

*1 1951年6月、サンフランシスコ講和条約で、日本政府は北方領土とされる国後島からカムチャッカ半島先端の占守島までの千島列島を放棄しています。この結果、当時のソ連が千島列島を実効支配する体制は、沖縄や小笠原諸島を抑えた米国も認める暗黙の了解事項となった。

風向きが変わるのは、米ソ冷戦の過熱。放棄された千島列島の範囲について米国が千島諸島南側、つまり4島は含まれていないと解釈を変えたためとされています( 領土内に含めた地図参照)。1952-1953年ころから北方領土返還運動が起こりますが、政府も運動団体も4島一括、2島先行返還など見解は定まらず今日に至っています。

*2 リベラル21 「茶番だった佐藤栄作首相のノーベル平和賞」
    http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-1011.htm
   
    https://ja.wikipedia.org/wiki/ ウイキペディア 「ノーベル平和賞」項目に「物議をかもした受賞」例に挙げられています。

*3 1956年12月12日 日ソ共同宣言締結 この宣言に「日ソ両国は引き続き平和条約締結交渉を行い、条約締結後にソ連は, 日本へ歯舞群島と色丹島を引き渡す」との条項がも盛りこまれました。あくまでも平和条約締結後という前提です。


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