原理主義者

世の中には、思想や物事のあり方について
原理原則を厳守している人々がいる。
キリスト教にもイスラム教にもいるし、国内の宗教
にも、そうした信者がいる。もちろん内面の問題で
あるから、そうした人々がいること自体はなんの
問題もないが、そのような原理原則が政治や経済
のシステムと結びつくと、ややこしいことになる。
たいがいは自分たちの立場の原理原則を擁護する
あまり、他の考え方を排除するからである。

リバタリアン(自由原理主義者)というのは、
人間の自由な権利を最大限に認めようという立場
の人々。自由は総ての人にとって、最高の権利に
違いないが、「自由のなかにも平等を」とか「自由
のなかにも伝統を生かそう」とか、いろいろな制約
があるものだ。

たとえば「言論の自由」は人間の権利のなかでも
決して冒されることがない自由だ。しかし、他人
を中傷誹謗したり、理由もなく名誉毀損したり、
プライバシーを暴いてはいけない、少年少女の人
権には特に配慮しなければならない、などと言論の
自由に一定の枠をはめている。多くの近代国家は
こうして自由にも制限が」必要という立場にある。

ところが、リバタリアンの人たちは、こうした自
由に枠をはめることに反対している。徹底した自
由の権利を認めるべきだと考えている。そこから、
売春婦も麻薬販売もダフ屋もニセ札作りも悪徳警官も、ようするに既成の考えでは、ダメ、ノーとされていることも全部、
自由だと主張している。

どんな中傷誹謗もプライバシーの暴露もみんな
自由であるという。人は自由に生きることで幸せに
なれるというのが主張の根本だ。たしかに究極の自由を
追及して行くと、一切の枠は不要ということに行き着く。
ウームとうなってしまう。

著者はアメリカの経済学の大学教授という。政治家や
行政や司法が、いろいろな名目で、いまある人間の自
由な権利を狭めようとしていることへの問題提起の書
であるが、面白かった。

ウォルター・ブロック著、橘玲訳「不道徳教育」(幻冬社)。


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