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どうしたものか

身辺で気持ちが著しく落ち込むようなことがありますと、こういうブログを書こうかなという気になりません。
駄文冗語だから、なおさらです。
誰に頼まれたわけでもないし、自らに課した努力義務もないから、流れは自然にそうなります。

自由というのは、なによりも大事なことですが、もし、どなたかが、前回の記事のあと、何か書いているかとページを開いてくれるとしたら、おおいにガッカリさせるかもしれません。まあ、それは自意識過剰であって、つたない文章にだれも何も期待していないと思うのが正しいかもしれません。

プロのモノ書きは大変だなとつくづく思います。連載をかかえスケジュールに追われるような仕事はやるもんじゃない。月一の出稿でも日々、なにかしら拘束感に捉われるのに、週一なんかになると、よくこなせるもんだと思います。

ストレスなんか、どう向き合っているのかな。もっとも、そういうポジションにない者の負け惜しみみたいに取られるから、そんなことを心配することもないか、お笑い草です。

むかし、朝夕の締め切りに尻をたたかれる仕事をしていたとき、まるまる十年ほど先輩が、50過ぎたら、締め切りのあるような仕事をするもんじゃない。疲れた表情をしてつぶやいたことを思い出します。

もう少し年配の定年を目前にした上司と飲んだ時、職業生活が終わる心境をそれとなく尋ねましたら、ちょっと損した気がすると言いました。サラリ―マンとしては、いい線まで行った人にしても、他の生き方があったかもしれないというニュアンスを秘めていました。

閑人は、その職業になりたくて留年までしたことを忘れて、そのころは惰性というか、倦怠感が身に染みてましたので、それらの先輩の言葉をしっかり覚えていて、50を5つ過ぎた時点で職を離れて、あとは、ほぼ自由に生きてきました。

始めた仕事では、雑誌の連載モノは月一だったし、取材費を前払いされて、記事を書くという、きつい縛りを承知したこともありましたけれど、、なんといっても、好きな仕事でしたので、苦にならなかったです。仕事をするのも、しないのも自分の裁量でできるのは、このうえなく楽しく、自由でした。

アタマよりも、丈夫なカラダがものいう仕事だったから、加齢とともに出歩く機会も減り、編集者とも疎遠になってきました。いまでは、あんなこと、こんなこと、いっぱいあったね、と記憶をたどることが多くなりました。いい記憶がいっぱい残ったことは幸いなことであります。

それにしても、先々月らい、身内に健康上のことで、突然起きた不測の事態にショックを受けています。こればっかりは、代われるものなら代わってやりたいが、わが身ではどうすることもできません。長く馬齢を重ねている者がならず、前途に希望や喜びが山ほどある者がなるなんて、だれの采配であることなのか。理不尽な病い。不憫でなりません。

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