[そうかもしれない」と「老親ろうしん」を見る。



yuki



二つとも高齢化社会の現実を家族が悪戦苦闘して、支える話。
「そうかもしれない」(保坂延彦監督)は地味な老作家が、だんだんボケてゆく妻を困惑しながら、優しく支えるが、本人も咽喉ガンを患い、認知症になって入院している妻よりも先に逝く。妻は夫のいない家に車イスで連れて戻され、あらぬ視線で庭をみつつ、にやっと笑う。

買い物バッグを提げて妻はブタとネギを買ってきたという。バッグには何も入っておらず、ああ、店に忘れたを叫ぶ。作家は肉屋を訪れるが、
奥さんは買い物にきてませんよ、と肉屋の主人。ボケの発端は、こうして始まる。

一方、「老親」(槙坪多鶴子監督)の方はサラリーマンの妻がボケ始めた暴君の義父の面倒を見る。義父には娘が二人いるが、長男の嫁が見るのが当然と冷たい。長男は仕事、仕事と逃げまくる。無理難題を吐く。寝ぼけ、排泄物で汚し、食事をこぼす義父。たまりかねて離婚、奈良の住まいから東京へ
逃げ出すが、なぜか義父は追ってきて、またも面倒を見るハメに。

認証症の役を妻は雪村いづみ、義父は小林圭樹。ともにうまいもんだ。
日本人俳優は男は兵隊、女は娼婦をやらしたら、みんなうまいというが、この二人のボケ役が迫真的なのに驚かされる。ボケ役がこんなにうまいのは、男女ともに人生の終末期には同じように発現する資質を持ち合わせているからかもしれない。

よくできた映画。暗く陰鬱な物語であるから、二つともそこはかとなく
軽いノリで、コミックに演出している。そうでなければ、メッセージ
ばかりでエンタメにならないからだろう。しみじみ考えさせられのだが、ボケた老人を抱える問題が、結局は介護や医療や終末期の処遇の問題指摘に留まり、温かい、しかし、きわめて犠牲的な個人の献身によるサポートの域でエンディングで終わるのは、なんとかならないか。


manda


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