高校駅伝で一区の留学生排除

なんともまあ。時代錯誤な、まるで鎖国主義のような排外的な決定をしたものか。今朝の新聞をみて、笑っちゃうほど呆れた。

師走の京都の街を駆け抜ける恒例の高校駅伝(男子)。一区は最長の一万メートル。この十数年、一区走者のトップ争いはアフリカからやってきた外国人留学生(実際には勉学のためでなく、私学の広告塔の役割というくらい、みんな周知のことだが)たち。これではレースが面白くない、日本人選手の意欲をそぐ、というのが排除の主な理由とある。以前、外国人留学生の参加数を制限したと思っていたら、こんどはこの愚策。

一体、どんなスポーツでも競技力というのは国際基準で争われるもので、日本人選手だけで「勝った、負けた」とやることに、どれほどの意味があるのか。この門戸開放の国際化の時代に日本人高校生だけで記録争いして、どんな教育的効果があるのか。

高校生といえども世界の競技人口は広く深く、とてつもない実力を持つ
同世代がいることをまざまざと見る方がよっぽど教訓になり、励みになるのではないか。実際、留学生に負けたくないと踏ん張った日本人選手もいたではないか。勝てないまでも、留学生たちのように速く走りたいと高い理想を求めて研鑽した高校生も多くいたはずだ。

駅伝レース争いの興味が損なわれるという考えにも、恐れ入るね。高体連はいつからエンタメの興業主になったのか。組織から言って高校の先生たちの集まりであろうが、なんという愚かな負け犬思考であることか。こういう先生方を指導者としなければならない高校生は気の毒だ。

陸上の世界選手権や五輪種目は、日本人選手だけでやってくれるのか。
ケニヤやエチオピアの選手と争わないで済むのか。

記録争いの興味をそぐなどと言って排除するくらいなら、逆にいえば、もう陸上のトラック競技などは、日本人は一斉に練習を辞めればいい。なぜなら、たとえば100メートル競走なんか、おそらく永遠に日本人は五輪でも世界陸上でも勝てないだろうから。

スポーツの意義は、機会均等な舞台で一途に体力・能力を競って明快な記録争いや勝負を分け合うのことにある。それとともに競い合う成長と過程に人間ドラマを楽しめることにある。スポーツの醍醐味を、こともあろうに教育と一体のはずの体育集団が損なうとは、考えもしなかった。


ekiden

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