スポーツ雑談

相撲は国技か 
スキャンダルまみれの挙句、理事長が辞任した相撲協会。こういうことを伝えるメディアに必ず出てくるのが、相撲は国技なんだから、もっとしっかりせよ、という論調。フアンの声にも必ず出てくる。

でも、相撲が国技だという法令の定めはない。国民の共通の理解でも、一般的でない。競技人口、フアン層の広さ、関連施設、産業から言えば、サッカーや野球の方が人気も経済的貢献度も大きいだろう。伝統といっても、神事だったのは大昔のこと、江戸時代からは巨漢ショーである。

そう思っていたら、あの国技館を相撲協会が1909年に建てたとき、建物の名称に「国技館」とつけたのが、国技化の始まりだそうな。つまり、これは自称なんである。自称作家や自称音楽家が、必ずしも力を持っているわけでないように、国技とは自称にすぎないのである。自称と自明の理になることとは、天地の差があるなあ。

なぜ野球選手の手袋は手に持つのか
プロ野球を見ていると、打つときは手足にいろいろなガードをつけて防備している。ほぼ総ての選手がバッターボックスに入ると、手袋をしている。痛いの防ぐのと、摩擦力をつけるのだろう。

ところが、塁上に出ると、打撃用の手袋を外して、別の手袋を尻のポケットから出す。ここからおかしなことに、左右の手袋を束ねて、片手に持って、次のアクション、次の走塁に備える選手が多い。なかには代走で出てきた選手でも、手袋を手に持つ。一体全体、あらゆるスポーツで手の動きが制約される
「手に手袋を持つ」スタイルでやる競技を知らない。

思うに選手たちは、束ねて手袋を持つことがカッコいいと思っているのかどうか。尻のポケットからヒラヒラさせてカッコいいと思っていた往年の選手がいたが、手に持って走るのがカッコいいか。どうしてベンチから、そんな走塁にも盗塁にも具合の悪いスタイルを止めさせないのか、不思議に思う。

多すぎるマラソンの随伴車
ことしの五輪で男女のマラソン陣は散々だった。国内のマラソンでいつも妙に思うのは、先頭集団を取り巻く随伴車の多さである。そのうち選手と接触するとか、排ガスを吸いすぎるという事態が問題になりそうだ。まず白バイ二台、審判長車、メディア関係者用バス、カメラ用車、TV撮影用者、TV解説者用車、二、三台あるバイク撮影車。TVで見ていると、わずか数十メートルが移る一画面に十台もの車が
写っていた。

これでは選手は排ガスのなかを疾走していることになる。健康上の問題であろう。先頭の白バイは露払いだから譲ってもいいが(シドニー五輪では確か自転車の警官だったが)、あとの審判長車、メディア関係者用バス、TV解説者用車などは不要である。だれもが知ってるようにマラソン競技は、全容を一目瞭然の位置から拝めない。したがって、大会本部のようなところで、TV観賞すればいいのである。なんの役にも立ってなさそうな審判長車なんかなぜ先頭を走るのか、理解に苦しむ。

TV報道も空からヘリ、解説者を乗せたバイク、低アングルを狙うバイクなど、本体以外に撮影車を動員しすぎである。過剰である。だれのためのマラソン競技か、シンプルの整理すべきときである。

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