ガム

最近、よくガムを噛む。カルシュウム含有とかで虫歯予防にもなるという効用をうたっているガムを噛む。本を読んだり、ものを書いたりするときも、ついついガムを噛む。いくらか集中力がつくような気がしている。つまり、ガム愛好家になったのだ。

新春のウイーンフィルハーモーニーの本場の演奏会をTVで見ていたら、観客席でガムをむしゃむしゃ噛む西洋オバサンたちが結構いた。格調高い交響楽団の格式ある音楽の殿堂でも、いまやガムを噛みながら名曲鑑賞する連中がすくなくないのだ。

そう思っていたら、イスラエルのハマスへの軍事行動を審議する国連安保理の会議のTVニュースを見てたら、代表たちの後方で待機する職員もしくは随員女性が、ガムを噛んでいた。世界の平和を安全を討議する場で、けっこう、くつろいでというか、ガムを牛のように噛んでいるのだ。

臆面もなくガムを噛んでいるのは講義中の学生たち。目は机下のケータイ、口にガム。注意をうけても
素知らぬ顔で再びガムを噛みだす。イタチごっこである。販売促進会議や次年度の事業活動を討議する会社の会議でガムを噛むヤツは、まだいない。

プロ野球の選手はガムが好きだ。洋の東西を問わず選手たちは噛んでいる、これには緊張緩和と集中力をつけるからだと理由づけされているし、力いっぱいのバットスイングなどのときには口内に力を緩衝する働きがあって、いいのだという理屈もあるようだ。

昔といっても戦後まもなくのことだが、おそらく日本におおぴっらにガムを持ち込んだのは米軍の兵士たちだろう。かれらGIはいつもジープの上でも歩いていてもガムを噛んでいた。どういう効用から米国政府はGIたちに、あんなにガムを噛ませていたのだろう。歩きながらモノを食す習慣がなかった日本では、当初ガム噛みは顰蹙を買った。しかし、その半面、なにも甘味がなかったころだから、あの短い時間とはいえ、口内の広がる強烈な甘さはこたえられなかった。筆者などは、子どものころにハーシーの名前を覚え、いまも忘れられない。

ところで、スポーツ選手といっても、力士やサッカーやバスケやテニスの選手がガムを噛んでゲームをやっている姿はみない。こうしたゲームにも緊張や不安解消の手立てが必要とおもわれるが、噛まない。このことからすると、ガム噛みは動きが激しいスポーツには向かないのだろう。ノドを詰める危険の方は強いかもしれない。

ガムを噛むような口をもごもご動かすのは、食べるため、あるいは咀嚼するため欠かせない天賦の運動であるが、なぜか作法やマナーの世界では、これをみっとない、はしたない、行儀が悪いとする見方が有力である。これも古今東西同じような見方である。

排泄とか性交とか睡眠とか食欲とか、そういう本能がむき出しのままの行動を人の前にさらすのは、マナー違反、行儀作法がなっていないと見るわけだ。だから人目から隠蔽する作法や人目にあってもよい範囲とされる文化が生まれるのだろう。ガム噛みというは本能の要請ではないが、これほど人の口内に根を張ってきたのには、もっと、もっともらしい理由がある気がしてならない。

ウイーンフィルならダメで、サザンオールスターならOKか、大学の講義ならOKで、安保理ならダメか。
そもそも同梱状態になる口内を使うディナーやレストランでは両立しないが、冠婚葬祭では、どうなんだろう。ガムを噛むTPOは揺れている。

ガム愛好家になってしまったので、ここはひとつ、権威ある世界のガム研究者(という人がいるとしたら)のご高説が待たれるところである。

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